浦和フットボール通信

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浦和で出会った 「フットボールの名言」 10選。(完全版)(1)

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椛沢:多くの皆さまのご支援により『浦和フットボール通信』は晴れて創刊50号を刊行することができました。木年号では、創刊以来に本誌主筆をお願いして来た豊田充穂さんと取材過程で出会った10の名言をご紹介しましたが、このWEB版では選にもれたその他の名言やエピソードを加えた完全版でお届けしたいと思います。

豊田:創刊前から『宿敵静岡』特集を編集長にお願いしてきたわけですが、現地取材は心に残るものでした。「浦和対決史」という連載を執筆していた静岡新聞の名物編集長氏が貴重な地元史資料をプレゼントしてくれるわ、藤枝では服部監督以下の藤枝東高校首脳陣の方々と夜まで談笑するわ、のフットボール交流の嵐(笑)。そんな中で選手時代は同校主力メンバーとして高校選手権2年連続準優勝を果たしている服部康雄さんのコメントは心に響きました。

①てっぺんの国立競技場で、浦和との再戦を待っている。
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服部さんは続けていわく、「われわれは松本先生(暁司)以下の浦和南高校打倒を胸に、猛練習に励んだ世代ですからね」。サッカーどころ静岡が持つ浦和イメージが鮮明に感じ取られ、年配の読者からは「表紙(07年創刊5号)の藤枝カラーに対抗心がよみがえった」との感想をいただきました。後日談ながら、服部監督は翌年の高校選手権で河井陽介、村松大輔両選手(ともに現清水エスパルス)らを率いてファイナルに進出しています。相手校にわが浦和勢が進出できなかったのは残念ですけど(苦笑)。

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椛沢:昭和天皇皇后両陛下が国体を観戦されたという藤枝東高グラウンド。地元ファンが練習試合にさえ数多く集まっているシーンも見ることもでき、サッカーどころの熱を感じた取材でした。私のセレクトはまずは大住良之さん(サッカージャーナリスト)ですね。

②浦和のようになりたくてもなれないホームタウンは山ほどある。

URAWAは特別なサッカータウン。クラブを創り上げている当事者意識を全ての人々が持って欲しいという言葉)は、当時苦境に瀕するレッズの状況下で目の覚める言葉でした。

豊田:大住さんはその他にも幾多の貴重な提言を私たちの取材過程に残してくれています。07年9月の創刊7号では、いまレッズサポーターの間でも大きな注目を集めている「2ステージ制反対」のメッセージにも通じる「創成期の志を失ったJへの警鐘」をコメントしましたね。以下、主旨抜粋です。

*地元に根をおろすクラブにとってホームタウンは「お客様」ではあり得ない。様々な面からクラブを支え、運命を共にする「大地」なんです。テレビの放映権とか巨額のスポンサー料とかの「天からの水」に心を奪われて足もとを忘れてはいけません。

椛沢:まさに今のJリーグの2ステージ導入検討に対する問題にも繋がる話ですね。今回レッズサポーターが発信のスタートとなり、反対の姿勢をスタジアムで表現しました。一番の問題は、サポーターを「お客様」と捉えたような一方的にレギュレーションを変えようとしているリーグの姿勢にあると思います。

豊田:ラストインタビューとなった森孝慈さんの言葉も外せません。

③浦和レッズが作るべきは、チームよりもクラブの“土台” 。

何しろ地元トッププロの将来にかかわる提言ですから。「代表とGMの関係は健全か? スタッフの責任と権限が保たれているか? “レッズの土台づくり”はそこから始まる」という重要な示唆を含むコメントでした。
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椛沢:ラストインタビュー実現に向けては、本誌でもコラムを寄稿して頂いている河合貴子さんを通して、森さんにお願いをして頂き、他のメディアに対してはレッズの話は一切していなかった状況でしたが、地元メディアとして頑張っている浦和フットボール通信ならばとインタビューを快く受けて頂きました。フットボールクラブの組織として大事な部分を自らの経験として語ってくれた森さんの言葉は、クラブの財産として未来永劫引き継いでいかなければならないものです。いずれにしてもクラブという組織構築の上で見逃すことができない部分を森さんには語って頂きました。また、選手として森さんと共に戦っていた福田正博さんにも以下のコメントをもらい、プレーヤー視点からのレッズとしてのあり方を教わりました。

④サポーターは90分間を迎えるまでのクラブのプロセスを見て、感じて、そして一緒に闘う決意を固める。
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豊田:この時のミスターレッズへのインタビューテーマは、本誌のスローガンでもある「10年後、どんなレッズでありたいか」でした。良くも悪くも創成期の浦和レッズを体現していた彼の言葉を聞き、やはりスタンドのサポーターと共にキャリアを全うしたスターであることを再認識しました。締めのコメント主旨を以下に抜粋します。

*10年後、自分たちの誇りを体現できる存在になっていたいです。ピッチ上のメンバーだけじゃなく、浦和レッズというクラブのスタッフ全員で。

椛沢:ミスターレッズの福田正博さんは、ゴール裏でともに戦ってきた同志という感覚がありますが、実際にインタビューで話をしていても感覚がすごく似ているところがあって、同じ空気を吸って闘ってきた人なんだなと実感をしました。そこが共鳴をしていたからこそ、サポーターの絶対的な信頼もあったのだと思います。

豊田:本当に福田正博と駒場のゴール裏が演出する「劇場効果」は忘れることができませんね。ただ、世のミスターレッズの印象といえば、これはやはり悲劇のヒーローという側面がぬぐえない。その部分を尋ねると、引退して指導者としての経験を積むほどに感じた「ピッチ上で戦う現場とマネジメントサイド」に潜むJ各クラブに普遍的に存在する問題を解説してくれました。

椛沢:そうですね。それが11.27に至るまでの自分のキャリアに符合しているとも語ってくれました。

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豊田:あまりに悲劇的なシーンであるために、私はこの(09年秋 33号)に掲載された11.27の現場に立ち会った当時6歳の女の子・ミサキさんの言葉をセレクトできなかったのですが……。

*レッズは優勝するためにいるのだから。

椛沢:当時、小さな子が、優勝経験もなかったレッズに対して発信したメッセージというのは、URAWAというサッカーホームタウンにおけるクラブとしての責任、PRIDEというものを既に感じ入っていて発声された言葉だったのではないかと思いますね。

豊田:私はこの言葉に代表されるレッズ創成期の熱が、いまだに浦和レッズというチームのカラーや矜持を象徴していると思います。その意味で、橋本代表以下のクラブのアカデミーが推進するジュニア育成に対する地元の反応と期待、そしてそこに向けられる厳しい批評眼はホーム浦和のフットボールマインドの裏づけになっていると感じますね。相した中でコメントされた北浦和サッカー少年団・吉野弘一監督の以下の言葉は心に残りました

レッズジュニアに行けなかった子たちで、レッズジュニアに勝って見せたい 。

これは浦和エリアの少年たちのトップレベルがレッズジュニアに集まることを指摘された際に口にされた言葉ですが、常に満足とは言えない厳しい条件下で強敵と相対して来た地元指導者の心意気を象徴する言葉といえるでしょう。同時にともに切磋琢磨して、トッププロであるレッズに深く関わりながら進む「URAWAの未来志向」にも合致した言葉であると思えるのです。

椛沢:この街の子供たちをしっかりと育てるという強い信念を感じた言葉でしたね。北浦和という街は、子供から大人までのサッカー小僧が集まっている街という印象があります。シニアまでボールを蹴り続けている“サッカー小僧”が子供たちも育てている。北浦和少年団もOBの吉野さんという監督と、浦和の中でサッカーと共に生きてきた、吉川団長のコンビネーションが絶妙な少年団だと思います。

(以下、後編に続く)

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