浦和フットボール通信

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【This Week】週刊フットボールトーク Vol.156(9/11)

等々力で雪辱を果たせず...

椛沢佑一(浦和フットボール通信編集長)× 豊田充穂 (コピーライター)

椛沢:先週末は、ナビスコカップ準決勝1stレグの川崎フロンターレ戦が、敵地・等々力競技場で行われました。等々力でのリーグ戦では0-4の完敗をしたことは記憶に新しいところで、この借りを返すと意気込んでの試合となりました。

豊田:「負ける気がしない」という言葉がぴったりの等々力公園スタジアムロードだったのですが、武蔵小杉駅の変貌を追いかけるようにイメージが一変(苦笑)。ミシャ戦術のボール回しをさせられながら、相手の18番の返し手が来る。憲剛とレナトのフィニッシュに誘い込まれる。その展開は分かりきっていいても点の獲り合いに持ち込まれるし、こちらも行くしかないパワーバランスといった感じ。でもこれからの両クラブの趨勢を測るには格好でしょう。一人のサッカー好きの視点から見ても見逃せないセミファイナル・カード。その前半が終ったということだと思います。

椛沢:試合前の大原での練習でも川崎対策のためか、4バックのシステムを試すなど、中村憲剛対策か、中盤を如何にケアするかというオプションを試していたようです。実際の試合では、普段のシステムを変えず、GKは公式戦初先発の山岸。3バックは、森脇・山田暢・坪井が並び、ボランチに阿部と那須が構える形になりました。中盤のケアについては、いつも以上にファーストディフェンスが早く川崎の受け手を完全にシャットアウトしました。ロスタイムには、原口の楔のパスから柏木がフリックして興梠に渡り、先制点を決めました。後半早々にもセットプレイ崩れから、平川がレーザービームのようなシュートを放ち、興梠がそのシュートを後ろにすらして2点目。60分くらいまでは、完全にレッズペースの試合かと思われました。

豊田:現状の持ち駒で対策が講じられた、非常に整理された布陣だったと思います。取るべき人がフィニッシュも決め、相手から前回の対戦イメージを払拭するお望みどおりのゲーム展開に持ち込み、等々力ホームを静にさせていただけに。価値あるアウェー2ゴールですが、ここを持ちこたえられなかった現実は悔やまれる。あと10分、相手を眠らせておくケアと動きが出来れば、川崎にも焦りが生まれたはずですが……。

椛沢:その後、レッズイレブンの足が止まり始めて、それまで功を奏していた相手の寄せも甘くなってくると、川崎の強力攻撃陣の自由が生まれて、押し込まれる時間が長くなります。レナトに一点を返されて、完全に川崎ペースになります。久しぶりの先発となった山田暢久、坪井が相次いで足を攣り、途中交代を余儀なくされ、レッズディフェンスは踏ん張りがききません。大久保にミドルを決められて同点、立て続けに大久保に2点目を決められて逆転を許しました。中盤が空き、お互いにオープンな展開になり、打ち合いを演じることになってしまったのはレッズとしては自分で首を絞めたかなと思います。

豊田:ミドルレンジのケアは今季オープニングのACLから課題と感じていましたが、あの大久保選手の一撃は……。あのタイミングと距離からワクに収められては選手を攻める気にもならない。興梠の2つのゴールテクニックにも感嘆しましたが、ここは脱帽するしかありませんでした。

椛沢:ナビスコ準決勝は2戦トータルで勝負が決しますので、ホーム埼スタでの試合がまだあります。アウェイゴールを2点有しているわけですから、1-0で勝利すればレッズの決勝進出です。第2戦で勝てば良いというシンプルな考えが出来るわけですから、ホームでしっかりと今までの借りを返したいところです。

豊田:両者の相性から見て完封はひとつのハードルですが、ここはレッズというか埼玉スタジアムの真価の見せどころ。非常にエキサイティングなセカンドレグに恵まれたと考えましょう。

椛沢:明日、水曜日は久しぶりに浦和駒場スタジアムで天皇杯2回戦が行われます。対戦相手は栃木ウーヴァです。名古屋が長野に破れるなどジャイアントキリングが早くも起きています。レッズも松本に敗れたことがありましたから、油断は大敵です。早めにゲームを決めて、楽な展開に持ち込みたいところです。久しぶりの駒場でのトップチームの公式戦ですし、浦和の街が盛り上がる試合を期待したいと思います。

豊田:盛り上がりといえば2020年夏季オリンピックの東京開催が決まり、都内、それも私の仕事場関連がお祭り騒ぎになっています。私は「江戸っ子の祭り風情」というものが、そもそもあまり好きではないのですが(苦笑)オリンピックとなれば話は別。当然、編集長は、地元五輪は未体験ですよね?

椛沢:地元ワールドカップは堪能しましたが。前回の東京五輪は生まれていません(笑)冬季の長野五輪はテレビで盛り上がっていましたね。

豊田:オールドファンの我々世代は、子ども時代の「東京五輪体験」が人生を変えたという向きが多いです。サッカーに限らずスポーツ観戦には目がない私も、もちろん例外ではありません。ただ、近づくにつれて若い読者の皆さんも実感すると思いますが、ワールドカップとは一味違うカルチャー体験の大波が東京と日本を覆うことになります。64年大会期間中に中央線から見ることができた聖火の輝きと、父親とテレビ観戦した陸上の棒高飛び決勝の興奮は、子ども心にも鮮明で忘れることができません。

椛沢:豊田さんは肝心のサッカーは観戦しなかったのですか?

豊田:残念ながらその記憶がないのです。ただ父親が勤務していた浦和西高校OBの鈴木良三さん(立教大学 → 日立)が日本代表メンバーとして出場されていたので、テレビ中継があったなら必ず我が家は観戦していたはず。ゆえに当時のオリンピック日本代表チームは、地元大会というのにテレビ中継にもピックアップされていなかった可能性が高いですね。

椛沢:サッカーがメジャースポーツになった今とは、かなり違う環境だったわけですね。

豊田:URAWAの親爺サポーター仲間にも、前回の東京大会を懐かしむ面々がいます。合言葉は「ワールドカップを自転車で観に行ったから、次はオリンピックも」。観戦チケットと会場まで自転車を漕ぐ気力が残っていたら良いのですが(笑)。

椛沢:埼玉スタジアムもサッカーの開催地候補に入っていますから、URAWAにも五輪がやってくるかもしれません。そう考えると今から楽しみですね。

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