浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「次世代への伝言」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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国立で感じた、次世代への伝言

ミシャ監督体制になって初めて首位に立って迎えた試合が、Jリーグでの国立競技場ラストゲームとなった。

1993年にJリーグが開幕して、国立競技場で開催された試合はJ1リーグでは246試合、ナビスコカップやJ2を含めると376試合目であった。

浦和にとって初めて国立で行なったゲームは、1992年12月23日天皇杯準決勝ヴェルディー川崎戦であった。翌年のJリーグ開催を待ちわびるようにスタンドでは、チアホーンが鳴り響き、緑と赤で埋め尽くされクリスマスカラーに染まっていた。

試合は2対2で延長でも決着がつかずPK戦へともつれ込んだ。2番手のキッカー福田正博選手のGKの逆を突いた渾身のPKは右ポストに直撃、カツンと高い音を鳴らし弾かれてしまい、続く川崎の三浦和良選手のPKを土田尚史選手が見事に止めるも、キャプテン望月聡選手が外し、最終的にPK戦3対4で敗戦してしまった。

浦和を愛する人達の国立競技場の思いでは、善戦むなしく惜敗から始まった。Jクラブの中で、一番多く国立競技場で試合を行なったのは、おそらく浦和だと思う。ラストゲームとなった甲府戦は、ボールを支配するものの退いてカウンターを狙う甲府に苦しみスコアレスドローとなってしまった。

国立競技場のメインスタンドから、心を以って技と体力を制御する「心技体」と言われる相撲の神様『野見宿禰(のみのすくね)』と勝利と栄光のシンボル月桂樹と平和の象徴のオリーブの枝を手にしたギリシャ神話の勝利の女神『ニケ』が見守る中で、赤い観衆と共に様々な熱戦が繰り広げられた。

2003年、ナビスコカップ決勝で鹿島を破り前年の屈辱を果たして見事に浦和の初タイトルを手にしたことはもちろんであるが、1995年3月29日名古屋戦では、PK戦となり14人目のギド・ブッフバルト選手が止められ9対10とJリーグ史上に残る試合もあった。

Jリーグ満3歳のバースディ―をみんなで祝った京都戦、7対0で快勝した柏戦、連覇となった天皇杯など思い起せばきりがない。喜びも悲しみも悔しさも想い出が沢山詰まったスタジアムであった。

だが、私たちがフットボールを愛し、仲間と一緒にフットボールを楽しんだ同じピッチで、「生等もとより生還を期せず」と志半ばでペンを銃に持ち替えて戦地へと向った若者たちがいたことを忘れてはいけない。第二次世界大戦の末期となった1943年10月21日に兵力不足を補うために大学、専門学校、旧制高等学校に在籍する20歳以上の学生が、明治神宮外苑陸上競技場(現在の国立競技場)に招集されて、学徒出陣壮行会が行なわれたのだ。

冷たい秋雨が降る中、後輩や女子学生など約6万5千人もの人達がスタンドを埋め尽くし、戦地に赴く推定2万5千人の学生服姿にゲートルを巻いた学徒を見送ったのだ。選手たちが試合を行ない、大勢のファン・サポーターが声援を送る同じ場所である。死を覚悟している学生たち、それを見送る人々。傘もささずにどんな思いで見送ったのだろうか?戦争を知らない者にとっては、想像を絶する悲しい話しである。いったいどれだけの学生たちが、このピッチを後にして帰らぬ人となったのか・・・。

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国立競技場の千駄ヶ谷門の隣にあるマラソンゲートの片隅に「出陣学徒壮行の地」と書かれた石碑がひっそりと立っている。その横には、海軍の「同期の桜」と陸軍の「万朶の桜」と名付けられたソメイヨシノと八重桜が2本寄り添うように植えられていた。そして「次世代への伝言」と銘打って学徒出陣の説明がされており、その文章の最後には「学業半ばにして陸に海に空に、征って還らなかった友の胸中を思い、生き残った我ら一同ここに「出陣学徒壮行の地」由来を記して、次代を担う内外の若き世代にこの歴史的事実を伝え、永遠の平和を祈念するものである」と記されていた。

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2020年東京オリンピック開催にあたり、新たな国立競技場が建設される。「出陣学徒壮行の地」の石碑も建て替えと共に、今年の夏にいったん撤去されることとなった。戦争があってはならないという願いを込めて、改築後も敷地内での保存が検討されているそうだ。

戦後69年が経ち、時代は平成と移り変わって行った中で、この悲しい出来事を決して忘れてはならない。多くの犠牲の下で平和な現代が築かれてフットボールを楽しめるのだ。戦争を知らない私たちが、また更に次世代へと伝えて行く義務がある。戦争のない平和な社会が、如何に尊く大切であるかを・・・。国立競技場のラストゲームは勝てなかったが、フットボールを楽しめることに喜びと感謝を噛みしめて、国立競技場で行なわれた浦和の数々の試合を思い出しながらスタジアムを後にした。

Q.オスグット病を予防するにはどうすれば良いでしょうか?

A.うつ伏せになり、踵がお尻に着くかどうか検査すると分かりやすいです。大腿四頭筋が硬いとお尻に踵が着かなくなります。踵がお尻に着かない子供は、オスグット病になりやすいです。毎日ストレッチをしっかり行ない、痛みがある時は負荷を掛けずにアイシングをします。子供をオスグット病にならない様に、スポーツの指導者が気を付けてあげる事が大切です。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科クリニック 整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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