浦和フットボール通信

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あるべき「浦和のJクラブ」を考える。村井満(Jリーグ・チェアマン)×永井良和(元日本代表)対談(2014/12/8)

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 日本代表のエースとして鳴らした赤き血のイレブン・永井良和氏は、浦和南高校出身のレジェンドである。対するJリーグ5代目チェアマン・村井満氏は、水沼貴史氏らを擁した全盛期の南高と、浦和高校のGKとして選手権県予選の決勝トーナメントで対戦した経験を持つ。多彩な才能と人材を輩出し、日本のフットボール発展にも大きな貢献を果たしてきたサッカーの街・浦和。その真髄を知る二人は、Jリーグの未来をどのように見通すのか? そして浦和レッズの現状をどのように考えているのか―――両者の対談にはJとレッズの「あるべき未来」を示し、浦和のフットボール文化継承に欠かせない示唆があふれている。

司会進行:豊田充穂
Photo: Kazuyoshi Shimizu / Yuichi Kabasawa

強烈だったチェアマンの「南高」体験。

UF:村井さんは浦和南高が最後の全国制覇を果たした年(1976年度)に、埼玉県予選の決勝トーナメントで浦和高スタメンGKとして「赤き血のイレブン」と対戦しています。本日対談いただく永井さんに事前にその経歴をお伝えしたところ、非常に喜んでくださいました。

村井:光栄の至りです。永井さんは少年時代からの私の憧れの人。今日の対談を楽しみにしておりました。

永井:こちらこそ光栄。よろしくお願いします。村井チェアマンとは昨年11月に開催された「Jリーグの理念を実現する市民の会」の懇親会でお会いしたのが初対面ですね。

村井:その節にもお世話になりました。私自身は川越市の出身なのですが、実は地元には少年団はもちろん、中学年代までは学校にサッカー部が無かったのです。あの頃の南高と言ったら永井さんから田嶋幸三さん(元日本代表・現日本サッカー協会副会長)の代に至るまで、全国制覇が当たり前の『赤き血のイレブン』。文字どおり雲の上の存在で全国の少年たちのヒーロー……ボールも蹴れない自分の立場が歯がゆかったですねぇ(笑)。仕方なくバスケット部に身を置きながら、「高校に入ったら浦和でサッカーをやる。南高と対決する」と心に誓っていました。浦高受験のために川越から自分で入試願書を取りにいったことをよく憶えています。

UF:永井さん、いかがでしょう? チェアマンはこういうキャリアの方ですが(笑)。

永井:(照れくさそうに)……嬉しいというか、頼もしいお話ですね、これは。

村井:ところが問題はその後なのです(笑)。いざ浦高サッカー部に入ったら少年団や中学時代から全国に名を轟かせたという選手がごろごろいるし、「入学前から伝統の浦高合宿に参加してた」なんて噂されるエリート新人までいました。指導者同士が頻繁に交流するサッカー土壌が、すでに浦和には存在したということ。現在のような情報網やサッカー環境なんてあり得ない時代にです。リフティングができずルールさえ良く分かっていない川越の少年にとっては、それはサッカーどころの裾野の広さに驚かされる日々でした。

UF:それでも最終的には、村井さんは憧れの「赤き血のイレブン」との対決を実現されます。

村井:サッカーがやりたい一心で浦高に進んだけれど、その程度ではまるで通用しない雰囲気が当時の浦和サッカー界にはありました。ただ幸いにもそんな私にGKというポジションを勧めてくださったのが、かの倉持先生(守三郎 前国際審判員)だったのです。バスケで鍛えたおかげで、手を使う役なら何とかなる。ここで私は一念発起して正GKの座につくことができました。

永井:対戦されたのは水沼君たちの代(の南高イレブン)ですよね。

村井:そうです。高校選手権県予選のベスト8で顔を合わせました。自分なりの総決算のつもりの試合だったけど、やはり南高の強さは別格だったな。決勝ゴールは確か加瀬君(仁 法政大―日立OB)に決められましたね。

UF:その年の全国大会は初の首都圏開催。日本テレビが全国ネットで一回戦から熱戦を放映した背景もあり、決勝戦の浦和南vs静岡学園が行われた国立競技場には5万人を超える観衆が集まりました。

永井:監督だった松本暁司先生(元埼玉県サッカー協会長)はもちろん、OBの間でも語り継がれる伝説の試合ですね。日本代表のゲームでも2~3万人の動員がせいぜいという時代だったから。

村井:満員の国立の凄い雰囲気の中で始まった決勝戦を、予選敗退の私は正月のテレビで見ていました。確かキックオフから南高のゴールラッシュが始まったけれど、そこから追いかけた静岡の迫力も凄まじくて……。

UF:立ち上がりの12分間で南高は1年生FWだった水沼貴史さんらの活躍で3ゴールを連取しますが、そこから静学も盛り返して最終スコアは5-4。南高は田嶋幸三キャプテンが率いた前年に続いて連覇を達成しますが、テクニック重視の前衛戦術を見せる静学と壮絶にわたり合う激しいファイナルでした。

村井:藤枝に行った浦高の遠征合宿を思い出しました。あの静岡の代表は、こういうサッカーで南高に挑んで来るんだ、さすがだなって。

永井良和

浦和のサッカー歴に重なる、Jタウンの理想像。

UF:その南高vs静学戦、ゲーム自体はもちろんなのですが、私たちサッカー好きが感銘を受けたのは当日の聖地・国立を取りまいていた雰囲気です。埼玉方面から神宮外苑までのJRターミナル駅は、会場に向かう浦和・埼玉のファンたちでラッシュアワー状態。到着した絵画館前のパーキングには、静岡ナンバーのツアーバスが渋滞を起こしてひしめいていた……。村井チェアマンに伺いたいのですが、老若男女が立場を超えて“わが町のイレブン”のサポートに駆けつけるこの光景は、そもそも初代チェアマンの川淵さんが提唱した「Jの理想」そのものなのではないでしょうか?

村井:その通りと思う。チェアマンとしては公平なコメントに徹したいのですが(苦笑)やはり浦和、静岡、広島の「サッカー御三家」の土地柄と歴史は特殊だと思います。この立場になってからも、静岡に伺うと浦和をリスペクトする雰囲気を強く感じるし、広島に行ってもそれは同様で、古くからのサッカーの土壌を感じずにはいられない。お互いが好敵手であり、相手のサッカー文化を意識する環境がJ以前からあったことを実感せざるを得ません。

永井:まあ、私たちの現役時代は、その3県以外ではほとんどやっていなかったのかも?(笑)。野球あたりでしょう。その後の普及でプレーヤーの才能は全国から生まれるようになりましたが、指導者レベルでは浦和以下のご三家出身者は非常に多いです。

村井:昔から目に焼きついている写真がありましてね。半世紀前の埼玉国体のシーン(写真参照 1967年大会 サッカー少年の部・決勝 浦和南2-0韮崎高)。客席もなかった豪雨の駒場サッカー場で、傘を差した地元ファンが立ったままでゲームを見守っている姿なんです。

永井:(笑顔で身を乗りだして)その写真、憶えてます。韮崎戦ですよね。当時の私は大原中学の3年生。観衆の中のひとりですよ。優勝シーンを駒場で見て南高に行くことを決めました。いや、チェアマン言われるとおり凄かったんです、僕らの頃の地元の観衆は。

村井:ですよね。男性はもちろん、割烹着姿のお母さんや子どもたちまでが試合を見守っている。浦和に受け継がれているサッカーのDNAが、全てあのワンカットに込められている気がしました。これが浦和のサッカーなのだと。

浦和南高

UF:また解明されましたね、サッカーの街の共通体験が(笑)。実は村井チェアマンに永井さんからの伝言がもうひとつあります。実は先日、本誌はレッズランドで行われた浦和4校OB戦を取材させていただいたのですが……。

永井:そうそう。そのOB戦に先立って行われた4校の懇親会で、挨拶に立たれた浦高OB幹部の方から村井さんのご紹介がありました。「我が校の後輩である村井さんがJリーグのチェアマンに就任した。ここにいる四校の同志たちで、協力できることがあったら何かとお願いしたい。何も出来ないという方も、とりあえず埼玉スタジアム開催のJリーグに足を運んで彼を支えていただきたい」と。

村井:ありがたいお話です。本当に勇気づけられますね。

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Jクラブとホームタウンをいかに向き合せるか。

UF:冒頭にお話があった永井さんと村井チェアマンが出会った「Jリーグの理念を実現する市民の会」の会合なのですが、集まったメンバーは凄い面々でしたね。

永井:ウチの松本先生、市立浦和の磯貝純一さん、浦和西の仲西俊策さん……いずれも全国制覇の監督。地元の重鎮の方たちですからね。私の記憶でも、あのメンバーが顔をそろえて紹介される機会はほとんど無かったように思います。その意味でも村井さんには感謝している。

UF:当日会場でのインタビューで永井さんが「こういう会は浦和の子たちはもちろん、全国の若い才能発掘のための力になる」と言われたことをよく憶えているのですが。

永井:浦高からもOB幹部が出席されましたし、こういう会合によって同僚や後輩の指導者たちも結束を固める。それが結局、こどもたちの育成のモチベーションにも繋がると思うんです。これって四校戦にも通じる浦和らしさなのかも知れませんが……いざサッカー繋がりとなると、不思議なくらいに仲間意識が働きますよね、我々は(笑)。

UF:なるほど。ここで浦和レッズに関する記録をひも解きますと、永井さんがハートフルやレディースの監督として浦和レッズに在籍した期間は2005~2007年のシーズン。ちょうど犬飼基昭代表(浦和高校OB)の号令のもとにレッズがホーム浦和との結束を積極的に深め、地域とプロクラブが“街ぐるみのフットボール総力戦”をやる気概に燃えていた頃に一致します。

永井:引退後に指導者になってからの自分を考えると、サッカーに関わる人間としていちばん幸せだった時間と考えています。人材も設備も、何よりサッカーに対する理解も現場の細部にまで行き渡っているし、力を貸してくれる旧知の仲間たちもいる。やはりレッズと浦和は凄い、これはやらなくては!というモチベーションが嫌でも沸き立ちました。

UF:不思議なことに永井さんのような人材が登用されるような動きが起こると、Jの課題でもある“クラブとホームタウンの壁”がホーム浦和においても一気に氷解した印象があるのですね。そしてこうなった折には、Jのチームはクラブ全体が一気に活性化する。事実レッズも2007年にアジア王者になり、原口、山田直輝らのユースチームも翌年には高円宮杯制覇を達成します。これはホームタウン対応に尽力された新田博利さん(元浦和レッズ常務)らのマンパワーによる部分が大きいのでしょうが、組織整備がなかろうと誰もが「レッズに参加できる」「レッズに力を伝えられる」システムが働いていたと思うのです。浦和のサッカーの熱を知る永井さんと村井チェアマンの目には、現状の浦和レッズの運営は、どのように映っているでしょう?

村井:レッズとホーム浦和の連携の歴史は古く、落合弘さんが牽引したハートフルクラブなどはものすごい数の地域に足を運び、世界にまで活動の舞台を広げています。クラブや活動の大小に関わらず、Jの一員として誇りに思えるそんな地道な活動が大事だと思う。なかんずくJ創設から存在するオリジナル10のクラブには見本を見せて欲しいです。浦和と同じオリジナル10である以下の鹿島、横浜FM、清水、名古屋、G大阪、広島といった名門クラブには他のクラブを引っ張って行く気概を見せて欲しい思いはありますね。

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永井:プロリーグ誕生から20年という期間はまだ短いのだと思う。やはり浦和レッズには三菱自動車のカラーが残っているし、私が在籍したジェフ千葉でいえばJR東日本と古川電工の影響は拭い切れません。そのような企業運営が根本に入り込んでいるチームは、やはり本社からトップの方が来るし運営には社員のスタッフが関わります。そういう実体といかに折り合いをつけていくかがこれからの課題になるでしょう。語りつくされている難しいテーマですが、逆に新潟の監督時代は地元が興したクラブであるだけに、別の雰囲気も別の課題も双方があります。

UF:お二人に対しては釈迦に説法ですが、つたない当方の現地取材や提携ジャーナリストの情報によれば、ドイツ、オランダはもちろん、スコットランドもイタリアも、地元で長く愛される名門や老舗クラブは、内部決定ばかりではチーム運営が続かない仕組みが成熟している事実があります。しかもそれがクラブサイドからの働きかけによって継続され「地元トッププロの公益性、透明性」を保つ努力が続いているとのこと。これがレッズにおいて実現されて行けば、浦和というホームタウンは再び大きな輝きを取り戻せると考えるのですが?

村井:たとえば件の無観客試合は、ホーム浦和にとっては痛恨であったと思う。私はあの時居合わせた多くは善良なサポーターだったと思いますし、私も信念に基づいて判断をしました。が、いま現在の停滞を見ているとあの一件の影響も大きいのでは? いまはサポーターとクラブが向き合うための産みの苦しみの時期と捉えたい。レッズサポーターの声による応援の力は特別ですし、20年間もクラブを支えてきた努力は何物にも変えがたい。ダメなことはダメと言うにしても、私は全てが礼儀正しく、品行方正になる必要はないと思っている。サポーターは萎縮せずサポートするという観点で今まで通りで良いと思うし、リーグの制裁に従って、クラブが管理強化することもクラブとしての一つの判断だと思う。ただ、でスタジアムという舞台の雰囲気が過度に硬直することは本来のあるべき姿ではないでしょう本意ではありません。

UF:この辺りは他クラブの事例も出てきており、レッズのみならずJクラブ全体の指針となる問題ですね。

村井:例えばマリノスではクラブとサポーターが一緒に啓発研修を受け、ともに改善のプログラムを進めていこうという動きが出ています。スタジアムを差別の温床にせず、逆にサッカー界から日本社会全体を変えていこうという意識の表れでしょう。難しい問題ですが、こういう気運が起こるのは良い風向きと前向きに捉えています。あの横断幕の事案では、3月8日の事案発生から4日後に裁定を下しましたが、浦和レッズは、Jリーグへの事実関係の報告を提出期限日から一日早く回答を出してくれました。こういったことからも、この件に対して浦和は全面的に努力をしたと思うし、本気で問題に向き合っているおうとしていると思います。その先でクラブとサポーターが新たなスタイルを築いて行ければ……いまはそこに期待を寄せています。

(2014年11月 Jリーグ、チェアマン室にて)

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