浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「HOLD YOUR LAST CHANCE ~坪井慶介選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

ツボ!有難う。そして、ツボ!どこまでも走り続けろ!

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傷つき 打ちのめされても
這い上がる力が欲しい
人は皆弱虫を背負って生きている
苦い涙をかじっても
微笑む優しさが欲しい
君が愛にしがみつくより
先ずは君が強くなれ
HOLD YOUR LAST CHANCE
小手先ではがれ落ちる美しさより
HOLD YOUR LAST CHANCE
ひとつぶの汗の方がいい
二度と走れぬ坂道を上ったら
HOLD YOUR LAST CHANCE

長渕剛さんの「HOLD YOUR LAST CHANCE」は坪井慶介選手が大好きな歌である。坪井選手は浦和を離れても、この歌のように、ただひたすらに汗をかき、走り続けていく。

2001年7月14日、福岡大学の学生だった坪井選手は、駒場スタジアムで開催された浦和対市原戦の小野伸二選手がフェイエノールトへ移籍するホーム・ラストゲームを観戦して浦和への入団を決めた。

当時を振り返り坪井選手は「試合を観て、なんとな~く、ここでやりたいって感じた。レッズと関係ない人間が、試合をぼんやりと観ていて、いろんな物が良いなぁ~って思えたから決めたんだ」と懐かしそうに話した。

そして、浦和に加入して13年経ち「やるべきことをやって、なんとな~く出て行きたい」と笑った。坪井選手なりに、浦和を去る覚悟が出来ていた。

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ミシャ監督体制になり1年目はリーグ戦33試合に出場を果たしたものの、ミシャ監督が求める戦術やDFの補強に伴い徐々に出場機会が減って行ってしまった。それでも、坪井選手は「チームのためにやることが、自分のために繋がるし、自分のためにやることがチームのために繋がる」という思いで練習に打ち込んで来たのだ。

その姿勢は、浦和に来て1年目からずっと変わらず初志貫徹していた。ここ数年、試合出場出来ない悔しさや苦しさは、坪井選手の胸の中にあったはずである。

しかし、坪井選手は、そんなことを微塵にも感じさせないぐらい、ただひたすら練習で毎日々汗をかいて来た。

「自分が試合に出ている間に、苦しんで来た選手がいた。それを思えば、自分だけが苦しいとか、自分だけが辛いとか、思えない。そんなこと思えるはずが無いし、思うことがおかしいと思う。僕は、そう思ってやって来た」と話した。いかにも浦和を支えて来た坪井選手らしい言葉であった。

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坪井選手にとって、浦和は日常であった。「当たり前にここにいて、本当にごく自然のものであった。それが、無くなると思うと寂しさはある」と下を向いた。

そして「ここ1年、浦和にいいて、浦和に踏み止まったことは悪くなかった。もっと前に浦和を出るチャンスもあったが、それでもここに残る決断した。今年でここが終わると言うのは、寂しいものがあるが、決断は間違いでは無かった」と力強く話した。

それは、浦和で過ごした13年間、浦和を愛し全身全霊を籠めてフットボールに取り組んで来た証であった。

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そんな坪井選手をずっと見て来たからこそ、坪井選手に「指導者の資格を取らないの?!」と尋ねたことがあった。今から数年も前の話である。その時、坪井選手は「えっなんで?!たか姉まで薦めるの?!いろんな人たちからも薦められた」と驚きの表情を浮かべて聞き返して来たのだ。

「絶対に良い監督になれる!と思ったから・・・」と言うと、「僕は無理!身体能力だけでやって来た選手だよ」と笑いながらその時は否定していた。だが、浦和を去る時に坪井選手は「その内、指導者の資格を取ると思うよ」と言ってくれたのだ。

そして「ただ、今は取らない!」ときっぱりと言い切った。「今、指導者の資格を取るべきなのかも知れないが、これは自分自身の問題。ここで、指導者の資格を取りに行ったら、終わってしまう気がして・・・。次のことを見据えてやることは、大事なんだけど、そういうもんじゃない。今までそうやって来なかった。だから大学でも教職を取らなかった。教職を取れたが、僕は要らないって断った。先生になるために大学に来たんじゃない。サッカー選手に成るために大学に行った。だから、今は現役を続けるためにやっている。コーチや監督になるために現役をやっているのでは無い」と如何にも男らしく一本気であった。

ただ何年先か分からないが、現役を引退する時が来たら、コーチや監督に成るために指導者の資格を取るだろう。そして、月日が巡り、きっといつの日かまた共に闘う日がやって来ると確信した。

13年間共に闘い走り続けて来た仲間が、感謝の言葉を残して浦和を去った。

だが、坪井選手が浦和で見せたプロフットボーラーとしての生きざまは、浦和魂として浦和を愛する人々の心に刻まれている。あの日、ピッチで輝いていたあなたの汗を、笑顔を、そして最後に流した涙の意味を忘れない。現役に拘り続けた坪井選手は、来シーズン、湘南でまた新たな人生を歩みだす。

ツボ!有難う。そして、ツボ!どこまでも走り続けろ!

『HOLD YOUR LAST CHANCE!』

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Q. 脱臼は癖になるのでしょうか?

A. 初めて脱臼を起した時に、適切な治療をしないと何度も繰り返す反復性脱臼(習慣性)となります。そのため脱臼を繰り返す状態になってしまった場合は、お皿が抜けないように手術をします。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

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