浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「希望の光~興梠慎三選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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興梠選手の最後まで諦めない闘う姿勢は、希望の光となって勝利を呼ぶ

開幕からいきなり3連敗を喫すと、どうしても心が暗くなり荒んでしまう。

「誰が悪い」「○○のプレーが・・・」などと、まるで戦敗の犯人捜しをしているような言葉が聞こえて来る度に、思わず耳を塞ぎたくなってしまう。浦和を愛する人々にとって、愚痴りたくなる気持ちも理解出来るが、敗戦の責任は全て指揮官である監督が担うものである。

浦和を指揮するミシャ監督は「3連敗の中で光が見えている。良い闘い。良いトレーニングが、出来ている。悪い流れは変えられる」と3連敗となったACLブリスベン戦後の記者会見で語った。その言葉を聞いた時に、ひょっとしたら監督が見えた光とは、興梠慎三選手なのではないかと思った。

昨シーズン終わりにミシャ監督は「慎三の怪我は、痛かった」とこぼしていた。興梠選手に対するミシャ監督の信頼は絶大なものなのだ。優勝が掛かった大一番のG大阪戦で、ミシャ監督は攻撃の切り札として興梠選手を起用した。腓骨骨折でまだ万全なコンディションでなかった興梠選手だったが、監督から「行けるか?」と尋ねられたら、当然「大丈夫です!」と答えたのだ。しかし、結果は皆さまもご存じのとおりである。試合後、「無理だった」と哀しそうな表情を浮かべていた興梠選手の姿を忘れることは出来ない。この無理が祟り興梠選手は、長期離脱を余儀なくされた。

しかし、幸運であったのはオフを挟んでの離脱だったことと、興梠選手にとって離脱中に第1子が昨年誕生したことであった。今シーズンの始動日でもまだリハビリメニューだった興梠選手だが「オフはねぇ~家族とのんびり過ごしました。いつものオフシーズンだったら、お酒を飲んだくれているんだけど・・・。怪我もしているし、子供も生まれたし、お酒を全然飲まなかった。子供を見ていると癒されるし、メチャクチャ可愛い。お陰でコンディションが良い」と今までのオフの過ごし方を反省しながら話していたのだ。長期離脱で苦しいリハビリを子供が癒してくれていた。そして、復帰の目標に向って、焦らず地道な努力を重ねて行った。

「もう無理はしない!」心に固く誓った興梠選手が、満を持して3月4日のブリスベン戦でピッチに立ったのだ。苦しい試合展開の中で、なんとか前線でボールを収めようとピッチを走り、気を吐いた。

試合後、興梠選手は「まだ、試合勘はない。公式戦、初めてだったが、流れが止まらないようにボールを失わないようにと考えてやったが、ボールが収まり切れなった。ズラタンとの2トップは、一度やってみたいと思っていたが、守備の時に、陽介(柏木選手)の横を相手に使われてしまった。後半、ワントップで押せ押せムードだったのに・・・。僕が決定機を決めていたら大ちゃん(那須選手)の退場も無かった。決め切れないところはコンディションがまだまだだ。もう1点、失点しなければビックチャンスは来ると思った。決定機は、あったが決め切れず勝ち点を失った」と悔しそうに試合を振り返った。

48分に柏木選手からパスを受けた興梠選手の決定的なチャンスも決まらず、那須大亮選手が退場処分になり1人少なくなっても我慢強くチャンスを覗っていた。76分には、槙野智章選手のDFとGKの間を狙ったアーリークロスに対しても興梠選手は飛びこんで行ったが僅かに合わなかった。終了間際には、興梠選手のアーリークロスを李忠成選手が頭で合わすもゴールネットを揺さぶることは出来なかった。ラストチャンスのアーリークロスを興梠選手は「サイドに出しても、相手は高さがある。DFも整っていたから、アーリークロスしかないと思った。自分が、ボールをもらう前にチュン(李選手)と目が合っていたからねぇ」と話した。興梠選手は、1人少ない状況の中でも、せめて勝ち点1と虎視眈々とチャンスを狙い、最後まで諦めずに闘っていたのだ。

「今日は、アピールしたかったなぁ・・・。良いアピールが出来なかった」と興梠選手は言っていたが、厳しい状況下で興梠選手のプレーは輝いていた。そして、興梠選手は「全部勝てば、分からないじゃん!苦しい闘いになったが、あと全部勝てば良いんだ!まだまだ、終わってない」と笑った。

3連敗で悔しくて悲しく切なく意気消沈してしまうところを、「最後まで諦めない」と希望を持たせてくれた。興梠選手の笑顔は、優しく温かいもであった。興梠選手の最後まで諦めない闘う姿勢は、希望の光となって勝利を呼ぶ!!今シーズンは、始まったばかりである。まだまだ、これからだ!

Q.なぜ、脈が遅くなるのでしょうか?

A.副交感神経からなる迷走神経という自律神経があります。運動をすることにより、この迷走神経の緊張が強くなります。緊張が強くなることにより、脈が遅くなると言われています。運動のための生体反応ですので、スポーツ心臓で脈が40ぐらいになっても必ずしもそれが悪いことではありません。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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