浦和フットボール通信

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<これが私たちが望んだホームタウンなのか?Vol.2>吉沢康一・特別リポート 育成改革は地元から!エスクデロの挑戦。

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 レッズサポーターにとっては「あのセルヒオの親父さん」、いや「オズワルド・エスクデロの弟」と言った方が分かりやすいかも知れない。J開幕前のプロサッカー黎明期。レッズ攻撃陣を福田正博とともに牽引したアルヘンチナの舎弟は、四半世紀が過ぎたいまも日本、それも埼玉の地で若き才能発掘に心血をそそいでいる。ホーム浦和のフットボールの空気を当時から見続けている吉沢康一氏のレポートで、その提言をお届けする。(浦和フットボール通信編集部)

Text: Koichi Yoshizawa  photo:Yuichi Kabasawa

セルヒオ・アリエル・エスクデロ Profile
1964年2月10日アルゼンチン生まれ。元浦和レッズで、現在中国リーグの江蘇舜天でプレーするセルヒオ選手は、この息子である。浦和レッズのジュニアユースの前身として高円宮杯(U-15)を制した『浦和スポーツクラブ』コーチ、埼玉栄高校の総監督としてインターハイ、全国高校サッカー選手権にも出場させた。アルゼンチンサッカー協会S級ライセンスを持ち、Jリーグにも何人ものプロ選手を送り出している。現在はさいたま市にあるロクFCのジュニアユースチームの監督として中学生を指導する毎日。また「セルヒオ・エスクデロサッカースクール」も開催している。

6/25発行 浦和フットボール通信Vol.58 でも特集掲載

セルヒオ・アリエル・エスクデロ、1964年2月10日生まれの51歳。

「エスクデロさん」、「セルヒオ」、「セルヒオさん」、「セルヒオコーチ」、「セルヒオ先生」、「セルヒオのお父さん」、「セルパパ」、「セルさん」……。

元浦和レッズで韓国のFCソウルでプレーした後、現在中国リーグの江蘇舜天でプレーするセルヒオ選手(以下セルヒト)はセルヒオの息子だ。親子の名前が同じなので、二人を並べて記すときは少し苦労するのが、父親であるセルヒオは、さいたま市にあるロクFCのジュニアユースチームの監督として、日々、中学生の指導にあたっている。

セルヒオは浦和レッズのジュニアユースの前身として高円宮杯(U-15)を制した『浦和スポーツクラブ』のコーチ、埼玉栄高校の総監督としてインターハイ、全国高校サッカー選手権に出場させた実力は折り紙つきだ。アルゼンチンサッカー協会S級ライセンスを持ち、Jリーグにも何人ものプロ選手を送り出している。またロクFCの指導の他には水曜日に東大宮(@Cap Futsal Field 東大宮)、木曜日は志木(@エフボックス・フットボールパーク秋ヶ瀬)で「セルヒオ・エスクデロサッカースクール」も行っている。クラブに所属していなくてもセルヒオの指導が受けられるとあって、ロクFC以外のチームの選手の参加も多く、平日にもかかわらず、横浜から通ってくるスクール生もいるのだが、セルヒオの独特な指導を知っていれば、それも驚くことではない。

言葉の問題もない。容姿こそ外国人かもしれないが、2007年6月11日には日本に帰化しており、れっきとした日本人でもある。

「アルゼンチンは二重国籍問題ないですが、日本はダメ。アルゼンチンは持っていても良いと言うけれど、私は日本のパスポートしか持ってないですよ」と、流暢に日本語で微笑んでわらわせてくれた。

初来日は92年3月。

春が訪れる前のまだ寒い日本にセルヒオは初めてやってきた。
あれから23年の時が経った。いろいろな思いもあるが、日本に骨を埋める気持ちでいる。

「日本のどこが好き? 一言でいうのは難しいけれど、みんなちゃんとしている(笑)決まった時間に電車がきて、決まった時間に人が集まって、何でも物がたくさんあって、便利。一言でいうのは難しいけれど、好きです。じゃなかったら、日本人にはならないでしょ」

確かにそうだろう。日本が嫌いで日本人になる訳がない。セルヒオを語るなら、その前に彼の兄である≪ピチ≫オスバルト・エスクデロを知る必要がある。≪ピチ≫は今、現在エルサルバドルの『サンタ・テクラ』で監督を務めているが、アルゼンチンでも有名人の一人だ。身長は160㎝(公称。実際はもっと小さいと言われている)と小さかったが、卓越したテクニックと抜群のスピードを誇っていた。現役引退直後に『エル・グラフィコ』(アルゼンチンで最も有名なスポーツ誌)で特集が組まれるほどの人気者で、ビッグクラブのボカ・ジュニオルスやインデペンディエンテでもプレーした。1979年、日本で開催された『第2回FIFAワールドユーストーナメント(現・U-20FIFAワールドカップ)』の優勝したアルゼンチンユース代表のメンバーで、大会MVPの≪マラドーナよりも小さい選手≫として、有名になったがオスバルト・エスクデロ、≪ピチ≫だった。

≪ピチ≫は何をかくそう浦和レッズ(三菱自動車サッカー部)の初めての外国人選手だった。Jリーグが始まる直前、91年に日本にやってきた≪ピチ≫は、最後の『日本リーグ』にやってきた外国人選手でもあった。

チーム加入は運命的だ。エクアドルのバルセロナというクラブでプレーしていたピチは、日本でのプレーに興味を抱いていた。その情報を日本のエージェントが聞きつけ、アルゼチン選手に興味を持っていた浦和レッズ初代監督の森孝慈さん(故人)に話をしたところ、森さんはすぐにエクアドルに旅立ち即契約となったのだ。この時、森さんがエクアドルに旅立っていなかったら、セルヒオの来日もなかったし、現在中国リーグの江蘇舜天でプレーするセルヒオと浦和レッズは出会うことはなかった。

「≪ピチ≫に誘われて日本に来たんです。アトランタとの契約がきれて自主トレしかしていなかったからコンディションは良くなかった。でも紅白戦でAチームに4-1で勝って、3点とったんです。それを清水(泰男。後に浦和レッズ社長)さんが気に入ってくれて、森さんに契約したらと言ってくれたんです」

晴れて契約の運びとなったものの、順風満帆とは行かず、トップチームではチャンスが回ってこなかった。ケガもあり、サテライト暮らしが続いた。そろそろ契約が切れると思っていた時に思いがけないオファーが舞い込んだのだ。それはジュニアユースチームのコーチ就任の打診だった。プロサッカー選手を続けるか岐路に立たされていたセルヒオだったが、このオファーに賭けることにした。まだ20代で若かったが、迷いはなかった。年俸が大幅に下がると聞いた≪ピチ≫が怒ってクラブにかけあってくれたのも嬉しかった。クラブは≪ピチ≫の説得に応じ、現役時代と同じサラリーでセルヒオとコーチ契約を結んだのだった。選手のキャリアは浦和レッズで幕を下ろした。だが、それは指導者セルヒオのスタートでもあった。

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初練習はオーバーヘッド!? 衝撃のトレーニング方法

「最初のトレーニングの時にぶったまげました。浦和レッズに入って最初の練習はオーバーヘッドですよ。セルヒオが『よく見てね。こうやるんだ』って。そりゃあ、盛り上がりましたよ。オーバーヘッドですから。Jリーグは違うなって。本当はセルヒオが他の指導者と違うんですけれど。もう中学の時は練習行くのが本当に楽しみでした」

今はとあるJリーグクラブで働いている浦和レッズジュニアユースのOBが当時を懐かしく語ってくれた。“ひと味違う指導”は評判になった。もちろん一生懸命に学ぼうとするセルヒオの前向きな姿勢は指導よりも知れ渡っていった。今はパートナーであるロクFCの浅井重夫代表も当時を振り返る。

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「とにかく研究熱心でしたから。当時はロクも強かったのですが、練習試合でも、どこで聞きつけるのか『えっ、また観に来ているの?』ってくらい、観に来ていました。本当に負けず嫌いですからね。それだけ努力もするのはセルヒオのいいところで、今、一緒にサッカーをしているのも、何か運命なのかなって」

下部組織を立ち上げるにあたって、浦和レッズは浦和スポーツクラブと提携して、そこに指導者を派遣していた。おりしもJリーグブームの最中であり、メンバーのセレクションには600人からが集まった。そこから2次セレクションで100人に減り、最終セレクションでは25人ほどに絞られ、すでにスカウトされているメンバーか8人から9人いたので、残れるのは16人か17人と狭き門だった。選ばれし精鋭たちと、研究熱心な外国人コーチは1995年の高円宮杯U-15に優勝。翌年浦和スポーツクラブから移行され浦和レッズジュニアユースとなるが、このタイトルはいわば浦和レッズのクラブとしての初のタイトルでもあった。後に浦和レッズのメンバーに名を連ねる高橋厳一や千島徹らが在籍していた。

「日本では首がしっかりしていないから危ないと、ジュニアではあまりヘディングの練習をしないんだけど、やっぱりやらないとダメ。ちゃんとしたやり方を教えれば危なくないから。ボレーキックでもオーバーヘッドでもそう。練習しなかったら出来ない。いっぱい練習すれば、上手くなるのは当たり前」

セルヒオはアルゼンチンの北部、ブラジルとの国境付近、コリエンテス州にあるパソデロスリベレスという村で双子の弟として生まれた。父親は軍人でアルゼンチン国内を転々としたが、兄弟が夢中になったのはサッカーだった。父親もプロチームからも誘われる実力の持ち主で軍隊ではエースストライカーだった。4人の子供のために専用の練習場を庭に作って、基礎練習はもちろんのこと、アクロバチックなプレーも教えてくれた。

父から子へ、子から孫へ。

セルヒオはセルヒトが歩けるようになった頃から、アルゼンチンでは普通の事とボールを蹴らせて遊ばせた。そしてセルヒトの2歳の誕生日にはゴールをプレゼントしたという。

「小さなゴールでネットをきつく張って、ゴールすると跳ね返ってくるようにしたの。ゴールが決まらないとボールを取りに行かないといけにないから、セルヒトは必死にゴールにボールを蹴ってね(笑) あと風船とか、柔らかいボールとかでヘッドは怖くない、格好いいんだよって教えて。ベッドの上とかマットとか柔らかいところでオーバーヘッドの形を教えたりね。小さくても練習できるんだよ。それにみんなやりたいんだから」

蹴り方も分からない、どう動いていいのか分からないのに、ベンチから激しく叱責する指導者の姿を目の当たりにして心を痛めている。環境は経験よりも重要だと感じている。

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エスクデロ一族

セルヒオは、4人兄弟で長男のファン、次男のオスバルト、双子の兄のカルロス、そしてセルヒオの憧れは父親だった。兄のマネをして父親に褒めてもらうのが嬉しかった。知らず知らずにサッカーに魅了されていく環境がエスクデロ家にはあった。そしてそこはアルゼンチンだ。サッカーに事欠くことはない。兄弟の中で頭角をあらわした≪ピチ≫はプロ選手となり、ユース代表のレギュラーとして世界大会で優勝。≪ピチ≫からはチームメイトのマラドーナも紹介してもらった。セルヒオも16歳でプロ選手となり、アルゼンチンのユース代表にも名を連ねるようになった。

「フル代表とユース代表が練習試合をした時があって、マラドーナが交代する時に私が交代で入ったの。みんなマラドーナに拍手をしているのだけど、自分が拍手されているみたいで気持ち良かったよ。あんな経験はいままでしたことがない」

蛙の子は蛙である。

セルヒトは言わずもがな、≪ピチ≫の息子であるダミアン・エスクデロもまたプロサッカー選手であり、アルゼチンU-20、U-23代表として活躍し、ヴェレス、ボカ(いずれもアルゼンチン)、ビジャレアル、バリャドリー(いずれもスペイン)、グレミオ、アトレチコ・ミネイロ、ヴィトーリア(いずれもブラジル)でプレーしている。4人兄弟の長男、ファンには3人の息子がいて、その長男のファン(やはり父親と同じ名前)は現在ボカ・ジャパンのコーチであり日本在住。次男のナウエルは埼玉栄高校の中心選手として活躍した。三男のサンチァゴはアルゼンチンの古豪クラブウラカンの下部組織に属している。セルヒオの双子の兄、カルロスの息子も長男のカルロスもプロとしてディポルティーボ・メルロ(3部)でプレーしている。まさに父から子へ、子から孫へ。口移しにサッカーが伝えられるエスクデロ家はまさにサッカー一族なのである。

「そういえば、昔だけど、マラドーナの別荘でマラドーナファミリーとエスクデロファミリーで試合をしたこともあるよ。向こうもみんなサッカーをしている。こっちもサッカーをしている。もちろん真剣勝負で。どっちが勝ったって? 向こうにはマラドーナがいるよ(笑)」

再び日本に

アルゼンチンで指導者ライセンスを取得後、2001年に日本に戻ってきたセルヒオは柏レイソル青梅(現AZ’86 東京青梅)のコーチとなった。監督は浦和レッズ時代のチームメイトの二宮浩。ここで約1年半指導した後に2003年4月から埼玉栄高校のコーチ(後に総監督)に就任した。

「埼玉栄高校では10年間いろいろなことを学ばせてもらいました。お亡くなりになった前理事長には大変バックアップしてもらいました。教員ではないけれど、先生と呼ばれて(笑)、7時40分には登校指導で出勤して練習開始は16時。長かった(笑)磯貝一直先生(退職)とコミュニケーションがとれるようになって、一気に強くなりました。学校のバックアップで県外から優秀選手がたくさん入ってきて、甥のナウエルは海外留学生として受け入れてくれました。2005年から6年連続でアルゼンチン遠征を出来たことも大きな収穫でした。選手たちはアルゼンチンで本場の本当のサッカーを経験しました。リーベルやロサリオ・セントラルといった強豪クラブのユースチームと互角に戦った年もあります。日本人でも通用することは、たくさんあると彼らはそこで初めて知ったと思います」

当時の埼玉栄高校は小気味良くショートパスを繋いで、ボールを大事にしながらも、ボールに関わっていない3人目の選手が大胆に動きを見せる、スピーディーで攻撃的なサッカーをしていた。埼玉栄高校での在任期間には県内4冠(新人戦、関東大会、インターハイ、高校サッカー選手権)を獲得する他、常にトップレベルでの戦いを繰り広げてくれた。またジェフ千葉でプレーする町田也真人のように、身体が小さな選手もセルヒオの手腕にかかればトップレベルで通用することも証明してくれた。

「ヤマトのように小さな選手でも問題ない。もちろん190センチある大きな選手は魅力があるけど、サッカーには身長制限はないからね。それよりもテクニック、センス、一番大切なのは戦えるかどうか。それが重要なんだよ」

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上手い、下手じゃない。戦うか、戦わないか。日本サッカーの欠落点と思う。

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