浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「目に焼き付けて~鈴木啓太選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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鈴木選手とサポーター、立場は違うが浦和を愛する絆で結ばれている

照明塔の灯りが眩いカクテル光線となって、夜の帳が下り始めた晩秋の埼玉スタジアムのゴール裏をひときわ輝かせていた。

「浦和の熱き男13 俺たちは忘れない」「幾多の苦楽を共にした戦友 ありがとうKing啓太」

ゴール裏には、感謝の思いが籠められた横断幕が掲げられていた。喜びを分かち合い、悔し涙を共に流し、時には勝ちたい思いが強すぎるが故に、心がすれ違った時もあった。だが、どんな時も一緒だった。16年間、勝利を目指し共に闘ってきた。

鈴木啓太選手は、愛おしそうにじっと浦和のゴール裏を眺めて「お前ら、最高だ!」と16年間の思いを噛みしめるように叫んだ。そして、今までの感謝の思いを籠めて、浦和のタオルマフラーを振りながら立ち去った。

今シーズンの秋口だったと思う。練習を取材していて鈴木選手の動きの切れの良さを感じて「凄いコンディションが良いね。動きが切れている。良いね」と声を掛けた私に「何年、俺のプレーを見ているんだよ!本当の俺のプレーは、こんなもんじゃないでしょ?」と鈴木選手は言ったのだ。

確かに、試合に出場し続けていた全盛期のころのパフォーマンスとは比較にならないが、年齢や不正脈のことを考慮したら鈴木選手のプレーは良かったのだ。だが、自分のプレーに妥協を許さない鈴木選手の胸の内が、その一言で痛いほど伝わって来て、思わず「ごめん」と消え入りそうな声で呟き下を向いてしまった。

今思えば、あの時にもう鈴木選手の中で退団が決まっていたのかも知れない。それから何週間後に、鈴木選手は「自分のことなのに、クラブが発表するっておかしいでしょう?!自分の口からみんなに伝えたいと思うのは当然だ」とクラブ主体に苦言を呈して、フェイスブックで退団を明らかにしたのであった。

鈴木選手は「レッズは、トップを争うチーム。アジアを闘うチーム。トップコンディションで出来ないのは、チームの為にならない」と退団を決意した。そして、「本当に引退するのか、オファーを頂いたチームに行くのか、迷っていたところはあった。自分自身、サッカーを続けられる思いがあったのも事実だ。退団することを発表したが、寄せられたメッセージやリアクションがある中で、徐々に僕はこのチームが大好きだし、このチーム以上の思いを持つチームに出会えないと思った。サッカーを続けられても、それが正しいのか?それは、違うものになっていく。それが、引退する決断に固まっていった」と浦和を退団すると共に「浦和以上に愛せるチームはない」とスパイクを脱ぐ決断をしたのだ。相当悩んだ挙句の苦渋の選択だったと思う。

鈴木選手が引退を表明したのは、最終節となった神戸戦後の退団セレモニーにであった。

広島の結果次第であったが、年間首位の座が掛かる神戸戦に、リーグ戦に於いて約3カ月ぶりとなるベンチ入りした鈴木選手の姿があった。チームメイトはもちろんであるが、浦和を愛する人々は、5分でも良いから、鈴木選手がホーム埼玉スタジアムのピッチで躍動する最後の姿を観たいと願っていたのだ。

だが、広島が湘南に72分に4-0とリードし、浦和の年間首位の座がほぼ消滅しても3-2と神戸が追い上げる展開の中で、ミシャ監督は鈴木選手をピッチに送り込むことが出来なかったのだ。本当に、残念で憤りさえも感じてしまった。

だが、試合後に行なわれた退団セレモニーで鈴木選手は、実に晴れやかな顔をしていた。

「沢山の方に支えられた16年間、浦和レッズの選手としてプレー出来たことを誇りに思っています」と鈴木選手は深々と頭を下げた。そして、16年間の過ごした月日を思い浮かべながら、込み上げて来る思いをグッと噛みしめて「チームの為、仲間の為、浦和レッズの勝利の為に走り続けて来たことが、僕のプライドでした。人生で最も情熱に溢れる時間をみんなと過ごすことが出来て最高に幸せでした。ここでみなさんに報告があります。私、鈴木啓太は、今シーズンを持って引退することを決断しました。どうしても僕の愛する人たちに直接伝えたくて、この場所で発表することにしました」と初めて引退を明らかにした。

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退団セレモニーが引退表明へと変わり場内は騒然としたが、いかにもフットボールを通して浦和を愛した鈴木選手らしい行動であった。「いつからか、お前は浦和の男だ!俺達の鈴木啓太だ!と認めてもらえたことが、本当に嬉しかったです。誇らしかったです。僕の心には、浦和以上に愛せるチームがありません。だから、僕はプロサッカー選手として、浦和の男として始まり、浦和の男で終わります。16年間、大きな声援、大きな愛情を有難うございました」と目頭を押さえながら愛する人々に感謝の気持ちを伝えた。

2000年に高卒ルーキーで浦和に入団した鈴木選手は「俺は、浦和のロイ・キーンになってやる!」と誓っていた。アイルランド代表としても活躍し、マンチェスター・ユナイテッドで12年間所属して326試合出場を果たしたロイ・キーン氏は、現役時代はキャプテンも務め、闘争心と恐れを知らない果敢なプレースタイルで熱いハートを持つ選手であった。フットボールを愛する熱い魂を持っているロイ・キーン氏は、ピッチの中だけでなく試合前のロッカーで携帯がなったり、練習中に不真面目な態度をとったチームメイトに怒りを露わにしたりと、その言動で恐れられることもあったのは有名な話しである。荒くれ者とまで言われたロイ・キーン選手と非常に紳士的な鈴木選手とは対照的な違いはある。

だが、ピッチの内外でフットボールに真摯に向き合う姿勢は同じであった。働き蜂のような豊富な運動量で、中盤で相手の攻撃の芽を激しく摘み獲るプレースタイルや自分自身に妥協を許さない姿は重なるものがあった。その姿は、多くのフットボールを愛する人々の心を掴んだロイ・キーン氏以上に、浦和を愛する人々の心に刻まれていったのだ。だからこそ「浦和の男」として認められ、愛されてきたのだと思う。

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鈴木選手は、共に闘って来たサポーターの存在を「家族であったり、時々監督だったり、時々すごく褒めてくれる親戚のおじちゃん。目的だったり、目指すところが一緒の仲間。そう言う存在だ。サポーター無しでは、このチームは語れない。僕のサッカー人生だ」と話した。

そして、「ただ、ただ良い景色だなぁ~と思った。選手として、あの場所から観る機会がないと思ったら・・・。寂しかった。真っ赤に染まっていて、この景色が観られるのはレッズの選手だけだ」と最後にゴール裏を愛おしそうに見つめて、目に焼き付けていたのだ。

浦和を愛する人々も、共に闘って来た浦和の男の最後をしっかりと目に焼き付けていた。啓太、格好良かったよ!今まで、共に浦和を愛し、共に闘ってきてくれて有難う!!「オーレー オレオレオレー 啓太~啓太~」鈴木選手のチャントが、いつまでも埼玉スタジアムに響き渡っていた。

鈴木選手とサポーター、立場は違うが浦和を愛する絆で結ばれている。お互いが、しっかりとその勇姿を目に焼き付けて、また新たな浦和の歴史を刻んでいった。

Q.上手く超回復をするには、どうすれば良いのでしょうか?

A.乳酸が溜まった時に、回復をさせないといけません。先ずは休息をとること、そして食事、入浴です。トレーニングが終わったあとに、クールダウンでストレッチをしてアイシングをして筋肉の疲労をとります。最近、糖質減と良く言われていますが、炭水化物をとらないと筋肉は働きません。慢性的ゆっくりと働くのは、脂肪の燃焼ですが、サッカーなど急激な運動は、炭水化物がエネルギー源なので運動する前にうどんやパスタなどを選手たちは、食べています。若いスポーツ選手が、ダイエットのために糖質制限したらエネルギーがなくなり疲労が取れません。頭の神経のエネルギーは糖質です。糖質制限は大切ですが、スポーツをしているアスリートにとって糖質制限は、お薦め出来ません。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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