浦和フットボール通信

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【無料記事/河合貴子の大原なう番外編】鈴木啓太引退記者会見「浦和の街がもっとサッカーで盛り上がって欲しい」(2016/1/10)

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第二の人生を踏み出した鈴木啓太氏

春の訪れを感じさせられる穏やかな青空が広がった1月10日。昨年、引退を表明した鈴木啓太氏の引退記者会見が、浦和市内で行なわれた。会見が始まる前には、鈴木氏が浦和に加入した2000年の加入記者会見の写真から、鈴木氏が浦和で過ごした足跡を辿るように2015年の引退セレモニーの写真が、マイウェーの曲と共に流された。

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そして、少し照れながら鈴木氏は、ゆっくりと席につくと「16年間、浦和レッズという偉大なクラブでサッカーが出来たことは幸せだった。あっという間だった。これからのことについては、話せることはお話したい」と穏やかな表情を浮かべて笑みをみせた。

今後については「サッカー界から受けた恩恵を還元していきたい。レッズとの関わりを持っていきたい」と話し「選手のコンディションを整えるプロジェクトに力を注いでいきたい。昨年から、いろいろとご縁で知り合った方と腸内フローラ―の解析事業を立ち上げました。外から選手のコンディションやパフォーマンスを整え、向上させる。選手たちにとって、一番大事なことは健康だ。解説のお話を頂いたり、チームメイトには読者モデル?!と言われたが、いろんなことにチャレンジして今までの経験を生かしていきたい」とこれからの人生の抱負を述べた。

報道陣から様々な質問が飛び交う中で「一番印象に残っている試合は2011年の福岡戦でホームとアウェイの試合だ。残留が掛かっていて、苦しいシーズンを送っていく中でこの試合に勝たないとまずい緊張感があって、自分がゴールを決めて3-0で勝ってホッとした。最後の最終節から2つ目の試合、福岡の試合。このクラブをJ2に落としてはいけないと感じていた。僕は、J2からレッズに入った。試合には出ていなかったけど、苦しさ試合の難しさを感じていた。そこからレッズが良い時期を迎え、ナビスコ、リーグ、ACL獲ってこれだけ良い思いをさせてもらっている中で、サポーター、クラブスタッフの悲しい顔を見たくないと闘った。J2で闘う状況にしてはいけない。先制点を獲られて苦しかった。ACL決勝戦より大きな試合であった」とJ1残留争いの当時を振り返っていた。

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また、会見で指導者として監督をすることを問われると「指導者になりたいか?YESではない」ときっぱりと答え「監督を選手側から見て、ストレスが掛かる。心臓に悪いことはしない方が良い。将来はどうなるか分からないが、レッズの社長の方が興味がある」と話した。そして「もっと、もっと浦和の街がサッカーで盛り上がって欲しい。浦和の人たちのクラブが正しい道だと感じている。浦和の人たちのものとして、レッズがあると素敵だ。それは、文化だと思っている。文化にしていくには、選手、クラブ、浦和を愛する人たちの努力と結果だ」と話し、一呼吸おいて「今いる選手たちにプレッシャーを掛けたい。今シーズン、優勝して欲しい」と力強く話した。

そして「僕と長くプレーをしたのは、平川さん。今のチームに何か言える立場ではない。選手は100%だそうと頑張っている。キャンプから入って、シーズン終了まで体力的にも厳しい1年になる。悔いなく、闘って欲しい。レッズのファン、1サポーターとして言いたいのは、タイトルを獲ってくれ!!頑張ってくれ!!それだけだ」と今シーズン、浦和を背負って闘う後輩たちへ言葉を残した。

今後、浦和と、どのように関わっていくのか、まだ具体的なことは決まっていない。また、引退試合は、クラブとして考えているが詳細はこれからの話し合いで決まる。

浦和のユニフォームを脱いだ鈴木氏だが、立場を変えて浦和のために共に闘って行く。「浦和の男として始まり、浦和の男として終わる」鈴木氏の引退記者会見は、鈴木氏の浦和に対する愛が沢山こめられていた。

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