浦和フットボール通信

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メルマガ創刊記念(1) 森孝慈インタビュー

■ 始めに。
8月28日・鹿島戦ドローの悔しさはくり返すまでもないが、あの一戦に先立って行なわれた『Talk on Together』(8月24日・於市民会館うらわ)に対するレッズ支持者の感想もあちこちで耳にする。有志サポーターの提言に端を発して創設された『語る会』を前身とするこの会は、ホーム浦和とレッズが融合するプロセスを象徴する存在だ。
「凄まじいまでの勝利への執念を!」というスタンドの思いを代弁した塚本高志代表の言葉に大きく頷いた聴衆の表情。レッズランド構想やレッズレディース創設、三菱自工からの損失補填契約解除などの改革を次々と掲げた犬飼基昭代表の宣言に起きたどよめき。そして、ホームゲーム開催を埼玉スタジアムとし、総力を上げてACL参戦を表明した藤口光紀代表に集まったサポーターたちの視線……壇上で展開されてきた名スピーチやエピソードも数多い。
では今回は、どのように記憶される会となったのか。「記者会見と同じ。フィンケ監督の講演を聴いた気分」、「レッズサポーターはクラブとのあのやり取りで納得するようになったのか」などの出席者反応も聞かれる今回には、果たしてあるべき会の意義が受け継がれていたのか? 
実は開催の同時期、本誌は森孝慈・初代浦和レッズ監督への取材を行なっていた。クラブ現状に対して発せられた同氏のコメントは示唆に富んだものだったが、内容を掲載した本誌9月号(vol.39)の配布は数もエリアも限定されている。より多くのレッズ支持の方々とその意義を共有するために、当ウェブサイトに於いて全文を再掲載する。(浦和フットボール通信編集部)

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メルマガ創刊記念インタビュー ①
森孝慈(初代浦和レッズ監督)
なぜ、レッズの「土台」は築かれないのか。
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古くからのサポーターたちの証言によれば、いまやスタジアムやネット上の主たるレッズ支持者の間では、森孝慈氏の存在は「苦境時代を支えた指揮官」という程度の認識なのだそうだ。残念なことというよりも…このようなクラブ史上の要人が語り継がれないレッズやその周辺に、本誌は危機感を覚える。今季もくり返された浦和レッズの低迷。それは指揮官フィンケの戦術や采配、柱谷GMの統率にばかり起因するものなのか。初代監督のほか、深くレッズに関わってきた同氏に現況について語ってもらった。
―――――――――― インタビュー/構成 豊田充穂

■作るべきはチームの土台か、クラブの土台か。
浦和フットボール通信(以下UF):フィンケ政権誕生から1年半余、TDからGMへの交代あり、複数の主力選手の放出あり。さまざまな手順を踏んでも浦和レッズの戦績は停滞したままです。かつてのオフト政権下で劇的な変革を実現した元GMとして印象をお聞かせください。

:内部の近況を詳しく知る立場にないので断定的なことはいえないが、今季も半ばを過ぎたいまレッズは優勝争いをしていて当然のチーム、と私は思いたい。当のクラブが「今季はチームの土台作り」という位置づけで取組んでいるとしたら、私には少々理解しがたい部分があります。

UF:同感ですね。「クラブ内部のプロとしての組織を固める」という視点から考えるのなら、森さんとハンス・オフト監督のコンビが統率した塚本高志社長時代。02年シーズンの方が土台づくりの意味もアナウンスもずっとハッキリしていた。ファンにも分かりやすかったし、成果も出たと思う。今回はそのあたりの証言をいただきに参りました。

:塚本さんから電話をもらったのは01年シーズン終盤。アビスパ福岡でアドバイザーをやっている時でした。「プロチームとして10年近くになるのにレッズというクラブには積み上げてきた成果というものが全くない。1年ごとに着実に成果を上積みできる組織にするために、基礎からしっかり指導できる監督探しが最初の仕事になる。ぜひGMとして協力して欲しい」という要請だった。浦和への思い入れは強かったし、やりがいある仕事と考えてお受けしたわけです。同年12月7日にGMとしてレッズと契約し、初仕事がハンス・オフトとの契約交渉でした。

UF:以下は森さんが就任したシーズン初頭、「語る会」における塚本社長のコメントです。「いままでのレッズには成長への指針とスタッフの意思統一がなかった。森君に“レッズの憲法”を作ってもらい、ハンス・オフトと共に日本一のサポーターの期待に応えるチームを作って行きたい」。私は当時、レッズのドキュメントも執筆していたのでメモも残っているのですが、会場の埼玉会館に詰めかけた500人のファン全員が息を飲んで社長の言葉にヒザを乗り出す状態。「今度こそ変われるかも知れない」という期待が充満した客席だったんですけどね、あれは(笑)。で、塚本社長に続いてステージに登場したオフトの就任宣言が以下です。「レッズの急務はスタイルの確立。どのようなサッカーをやるのかという意志をクラブ全体で共有し、サポーターにスピリットを感じさせるゲームを見せることがノルマと考えている」……10年を経てこういう内容を復唱することは、レッズ支持者として悲しいのですが。

:なるほどね(苦笑)。翌02シーズンに向けてはオフト監督、ヤンセンコーチの体制で「チームの土台作り」からスタートしたのだが、半年後には親会社(三菱自工)より社長交代の辞令が出て犬飼社長に代わったわけです。塚本社長としては「志なかば」の辞任をどう受け容れたのだろうか……。私自身はGMとして三年計画を作成し、土台作りを進めていました。04年までには優勝を争う地力を持つ「大関」、それ以降は優勝争いに絡む「横綱」を目指す。しかもその力を毎年維持することを目標にしていました。現実には03年にナビスコ制覇、04年にステージ制覇、05年にはリーグ年間2位と、クラブの成長には一区切りの成果が現われていたと思う。浦和の今シーズンが「土台づくりの年」と位置づけられることに違和感を持つのは、そういう理由からですね。

UF:残念に思うのは、あの塚本体制のもとではクラブが掲げる目標とその意義もはっきりサポーターに伝えられていたし、初タイトル(03年ナビスコ制覇)という大きな成果をもたらしていること。スタッフの役割も明確だったし、非常にバランスが取れた運営がなされていたと思うのです。直後の犬飼・ギド政権になってもその素地は生きていて、クラブがファンと一体となってACL制覇まで行き着いた印象。もちろんオフトとギドでは戦術やプレースタイルの変化は起こりましたが、その現場を支えるクラブ組織には“あるべき陣形”が取れていたと思う。サポーターも含めて体感したはずの、あの時の「土台」はどこへ行ってしまったんだろう……そう感じる現状です。

:レッズが悩むべきはチームの土台づくりか、クラブの土台づくりか。そこを整理する必要がある。近頃の(クラブの)動きを見ていると、それさえ混乱している面があるかも知れない。私は犬飼さんはクラブ全体の強化に関して功績を残されたと思う。でなければアジア制覇などという成果は望めません。問題はその後あたりだろうな……。翌年のリーグ戦、わずか数試合だけでオジェックが切られる。永年にわたってチームを支えてきた選手が次々と移籍する。外から見ての印象だけど、こんなあわただしい“揺れ”が起こるということは、現場を預る人間がどんな権限を与えられて仕事をしているかが気になりますね。現GMの柱谷(幸一)君は有能な人材だが、フロントや監督と然るべきコミュニケーションが取れる状態か? 例えば急を要する補強費用も任されている状態か? 心配な面はいろいろ見える。

 

■「監督交代」や「選手獲得」では解決しない弱点。

UF:そこで思い出されるのは、やはり森さんのGM時代に塚本社長が言われた言葉です。「成績が極端に上下する。現場に起きている情況が幹部にまで上がってこない。“良好です”との報告を受けていたのにチームが大きな問題を抱えていたりする。この手のレッズの悪癖はぜひ払拭したい」。いまさらなのですが……こういう根幹に関わる意思疎通ができない組織だとしたら、誰を監督にしようがどんな選手を獲得しようが、強いレッズは実現できないように思えます。

:サッカーの世界に限らず、それは会社でもどんな組織でも基本だよね。トップから現場までのコミュニケーションが取れて信頼関係も築けている。そういう組織が強さを発揮し成果を上げるに決まっている。加えて重要なのは、その状態を5年、10年と続けるノウハウを養えるか否かということでしょう。それなくして「土台」なんて作れない。プレースタイル云々の議論はその後に来るものだと思う。

UF:厳しい質問になってしまいますが……。例えば今回お話しいただいている森さんと塚本さん、そして犬飼さんの仕事。クラブ史上において重要な転換期となったこういう歴史や前提といったものは、レッズ内部においてしっかり検証され、共有する作業がなされているのでしょうか?

:ううーん、残念ながらおっしゃる通りの危惧はある。さらに突っ込んでお答えすれば、浦和レッズは50%強の出資比率を持つ三菱自動車工業株式会社の子会社です。社長を決める人事権は三菱自工本社にあり、サッカーの知識も浦和レッズというクラブの経緯も知らない幹部が送り込まれてくる可能性は高い。その社長の個性にもよるが、トップが代われば組織内の様々な風向きまで変わってしまうことはままある。そういう歴史のくり返しではレッズが成長できなかったことは明白でしょう。誕生から15年以上、そろそろ経験を生かせる組織になって欲しいな。選手や監督ばかりでなく、クラブスタッフ全員が「自分の成果」ばかりにとらわれないことも肝心。クラブの流れをよく見て、長所は継承して欠点は改善する。それを組織全員で実行できるクラブが強豪になり得るということです。現状ではJでそれが出来ているクラブは鹿島、という結論になってしまうのかも知れません。

レッズ支持者にとっては息苦しくなるような証言の数々だった。インタビューの最後に「せめてもの解決策」を問うと、変わらぬ“レッズ愛”に満ちた言葉が返ってきた。「例えばクラブ内で迷いがあるスタッフがいるなら、相談に来たりして欲しいよね。いまは外から見る立場だけど、それに値する経験はさせてもらっているのだから」。
(2010年8月 都内にて)

森 孝慈 (もり・たかじ) プロフィール
1943年、広島県生まれ。修道高校、早稲田大学を卒業後67年に三菱重工入社。同社サッカー部および日本代表の主力MFとしてメキシコ五輪で銅メダルを獲得した現役時代を経て指導者に転じ、81年より日本代表監督に就任。独自の観点と戦術から革新的なチーム作りを果たし、W杯メキシコ大会予選(85年)ではすでにプロ化していた韓国代表と本大会出場を賭けた伝説の名勝負を演じる。Jリーグ創成期には浦和レッズ創設のため尽力し、初代監督も務めた。横浜マリノス、アビスパ福岡でフロント経験を積んだ後、02年に塚本高志代表(当時)の要請を受けてGMとして浦和レッズに復帰。ハンス・オフト監督を擁立し、プロクラブとしてのレッズの改革に多大な貢献を果たした。常に日本サッカー界のエリートコースを歩み、浦和レッズの成長にも貴重な役どころを演じたURAWA史上の重要人物である。
 
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