浦和フットボール通信

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浦和が”サッカーの街”たる理由「第16回浦和4校サッカー部OB交流大会」

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浦和の伝統を伝えるために毎年開催されている

毎年恒例となっている「第16回浦和4校サッカー部OB交流大会」が、9月22日秋分の日に、レッズランドにて開催された。

浦和高校、浦和西高校、市立浦和高校、浦和南高校からなる「浦和4校」は、高校3冠と呼ばれる、国民体育大会で8回、高校総体で2回、高校選手権で11回と「浦和4校」で21回の全国制覇を果たしている。同一市内の4つの高校が全国制覇を成し遂げたのは全国でも唯一の歴史となっており「埼玉を制するものは全国を制する」という言葉を残してきた。

浦和4校サッカー部OB交流会事務局を務める倉又泰弘さんは「現役の選手たちが伝統ある浦和の中でサッカーをやっているんだということを感じてもらうために、みんなで集まろうという話になったのがこの会のきっかけです。昔グラウンドでサッカーをした人もいますし、対戦した人もいるので懐かしいですね。この会を通じて各校に縦の世代の繋がりも出来てきていますし、伝統を繋いで行こうそして集まった時にはみんなで現役選手たちをサポートしようと『浦和愛』『母校愛』を再確認する場となっています」と交流会の趣旨について教えてくれた。

また「今年の選手権では、浦和4校が初めて最初の同じ山に入ってしまったんです。みんなで応援に行こうという話をしました。現役の選手たちは、今は切磋琢磨をして、全国大会を目指して自分達のサッカーをやり抜いて欲しい。現役が終わった後は、これからもずっとOBとしての交流もあります。」と現役の選手たちにむけてエールも送って頂いた。

倉又さんも第51回の全国高校サッカー選手権大会で浦和市立のDFとして全国制覇を果たしているサッカーマンだ。

「私の時代は児玉高校が夏にインターハイで全国優勝をして、選手権でもダントツの優勝候補だったんです。浦和南高が2番手で、我々の浦和市立が3番手。西野朗さんがいた浦和西高が4番手だったんですね。まず浦和市立が浦和西高が対戦をして、我々が決勝進出を決めた。児玉は浦和南高がぶつかって、児玉が勝利して上がってきたんです。当時の浦和南高はスター選手揃いで、相性が良くなかったので、浦和南が決勝の相手だったらどうなっていたかわかりませんね。児玉に決勝戦で勝利して、全国に行き、全国優勝することが出来ました」。

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“赤き血のイレブン”永井良和さんも現役生にエール

赤き血のイレブンのモデルとなった、浦和南高校OBで、元日本代表のストライカー永井良和さんは「生憎の天候ですけども、レッズランドの人工芝の立派なピッチを使わせてもらって何の問題もなくプレーさせてもらいました。浦和4校はみんな全国大会に出ていて、他にはなかなかない伝統だと思います。後輩たちもこのような交流会があることを知ってもらって、良い刺激にしてもらえればと思いますね。母校の浦和南高校も人工芝になるそうで、いよいよ着工するそうです。千葉でも習志野高校が先日公立では初めて人工芝になったのです、さいたま市の公立高校では初めてとのことだそうです。土のグラウンドでやるのと芝でやるのは全然違う。普段から人工芝で出来ると芝でプレーする時の慣れという部分でも違いが出て来ると思います。これで母校にもいい選手が入ってきてもらって、久しぶりの全国大会に出ることを楽しみにしています。ぜひ頑張って欲しいですね」と母校へのエールも送ってもらった。

日本サッカー協会の田嶋幸三会長は浦和南高校出身。日本サッカー協会の技術委員長を務める西野朗さんは浦和西高校出身。村井満チェアマンが浦和高校出身と、浦和4校のOBが現在でも日本のサッカー界を支えているのも伝統に裏付けられた現象ではないだろうか。

浦和のレジェンドプレイヤー達が必死にボールを追いかける姿を見ることで、浦和の輝かしいサッカーの歴史を感じることができる。これをただ過去はすごかったと回顧するだけではなく、サッカーの街の伝統として次代にしっかりと受け継いでいき、新たな歴史を創る力となることを祈りたい。

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