浦和フットボール通信

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【育成型強豪クラブへの夢。Vol.2】ギド・ブッフバルト育成の“ドイツ基準”を語る。

子どもたちのメンタルケアと教育への貢献……
ブンデスリーガは地域の育成に責任を負っている。

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FIFAワールドカップのディフェンディングチャンピオンであるドイツ。国内トップリーグ、ブンデスリーガの観客動員数も今季1.3パーセント増の1904万人となり、過去最高を記録した。その強さを兼ね備えた繁栄は、われらJリーグが永年の規範としてきた舞台にふさわしい輝きを放っている。原口元気、関根貴大など、多くの日本サッカーの才能が「世界を体感する場」に選んだ最高峰リーグの育成システムを、来日中の浦和のレジェンド、ギド・ブッフバルト氏に解説してもらった。(浦和フットボール通信編集部)

Text/Mitsuho Toyota
Photo/Yuichi Kabasawa、Kazuyoshi Shimizu

ギド・ウルリッヒ・ブッフバルト Guido Ulrich Buchwald
1961年ドイツ出身。シュトゥットガルト・キッカーズでプロデビューを果たし、1984年に西ドイツ代表に選出。代表通算76試合出場4得点。90年のイタリアW杯優勝に貢献した。94年に浦和レッズに加入。熱いプレーはレッズサポーターの心を鷲掴みにした。2004年から浦和レッズの監督に就任して2006年にリーグ優勝。05年、06年と天皇杯連覇を果たした。

飛躍的に発展したJのクラブ環境。

ワールドカップ決勝でディエゴ・マラドーナを完封したドイツ代表の主力DF入団は、もはや敗戦慣れしていたかつてのレッズサポーターにとっては“覚醒への転機”だった。ギド・ブッフバルトは、リハビリに励む福田正博や小野伸二の姿が窓から素通しで見えた入団当時の大原の浦和レッズ・クラブハウスをよく憶えているという。

UF:あなたが浦和レッズに入団してから23年の時間が経過しました。今回は鈴木啓太選手の引退セレモニーのための来日ですが、この間の日本サッカーの変化についての印象をお伺いします。

ギド:私が初めて来日した当時の日本サッカーはJリーグが始まったばかりで、まだまだ未整備の部分が多かった。私の母国のブンデスリーガ所属の各クラブとの環境差、つまりスタジアムとかトレーニング施設などのインフラ面は比べるべくもない時代でした。しかしその後四半世紀が経った今日の発展は目を見張るものがあります。

UF:元浦和レッズGMの森孝慈さんは、我々の取材に対してJ発足当時のクラブ状況を「車輪が四つそろっていない状態」と表現していました。では、サッカーそのもののレベル向上についてはいかがですか?

ギド:それはもう飛躍的に成長したと思います。特に私が感じるのはプレーの技術にとどまらず、監督や選手を含めての戦術眼が大きく進化したこと。日本人選手の特長を活かしたフットボール戦術が広く浸透したことは、Jリーグの成功と発展の大きな要素になっています。多くの日本の若手選手がブンデスリーガに活躍の場を求め、一定の成果を収めていることはその証しでしょう。

ブンデスリーガでプレーする日本人選手は香川慎司(ボルシア・ドルトムント)、長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)、岡崎慎司(元マインツ)らに代表されてきたが、2017年現在では原口元気(ヘルタ・ベルリン)、宇佐美貴史(アウグスブルク)、大迫勇也(1FCケルン)など、各クラブの次代を担うと目されていた中堅プレーヤーに注目が集まっている。そして今夏、レッズのユース出身プレーヤーとしてトップチームに名を連ねてきた関根貴大も、多くのファンの期待を胸にFCインゴルシュタット04(ブンデスリーガ2部)への完全移籍を決断した。

UF:あなたが多大な影響を与えた浦和レッズについて伺います。あなたが入団して以降の3年半で、優勝こそ出来なかったもののチームは戦績はもちろん闘う意識においても大きな成長を遂げました。そしてあなたが監督として就任以来、さらなる強化に成功した浦和レッズは念願のJリーグ年間王者の座を獲得します。

ギド:もちろんレッズは私の心のチームですから。選手としてプレーし、監督として優勝することができた喜びは、改めてここにくり返すまでもないでしょう。

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ブンデスリーガにおける育成は「プロの使命」。

UF:大きな成果をもたらしたあなたが去った後の2007シーズン、あなたのレッズ時代の指揮官でもあったホルガー・オジェック監督率いるレッズは、Jクラブ史上初のACL(AFCアジア・チャンピオンズリーグ)制覇を成し遂げます。

ギド:そうでしたね。

UF:初出場初制覇というACLの快挙もさることながら、1年後の2008年10月にレッズサポーターはさらに忘れることができない重要タイトルの獲得に成功します。アカデミーにおいてトップチームへの戦力供給を担うユース年代の頂点・高円宮杯を獲る……これは育成型プロクラブを待ち望んでいた一定の浦和支持層に、アジア王者にも匹敵するほどの歓喜と賞賛をもたらしました。

ギド:なるほど。

UF:浦和・埼玉の地元勢としてはJ創設以来初めて獲得したユース年代タイトルであったこと。さらにその優勝メンバーの主力が山田直輝、原口元気、高橋峻希、永田拓也ら地元出身のプレーヤーたちであったこと。これらの要素が地元ファンの高評価の要因でした。古くからの“サッカーの街”である浦和・埼玉では、こういう偉業達成は連鎖する傾向がある。ひとつの栄冠がさらなる成果と興奮につながることがたびたび起こって来たのです。現にそのユースチームを率いていたのはあなたのレッズ時代のチームメイト、堀孝史監督でした。

ギド:(盛んにうなずきながら)プロサッカークラブにとって育成という要素は特別な意味を持つのです。加えて私たちドイツのサッカー界は、その経験や知識において世界の先端を行っていると考えます。

UF:具体的には?

ギド:ブンデスリーガの各クラブはリーグ加盟のライセンスを受けるために育成センターを設置しなければなりません。そこには若い選手たちの寮や勉学のサポートを受けられる機能も求められる。これは2部リーグにも適用される義務です。つまりドイツのスポーツ界で語られる育成は「プロクラブの使命」と言えるでしょう。

UF:浦和・埼玉のサッカー史は、学校教育にまつわる青少年育成という側面に深く根ざして受け継がれて来ました。我々が理想とするプロサッカークラブは、当然そういう理念にもとずく組織と考えたいのですが……。

ギド:トップチーム入りを目ざす厳しさの中で、クラブの若手選手たちの精神面・心理面からのサポートは欠かせないものになります。浦和ばかりではなく、プロたるJの各クラブは若い才能を一人前の大人にするまでのシステムを持つことが将来への課題となります。プレーヤーとして大成できない選手も多数いる以上、一定レベルの知識、教育を施す機能を備えることはクラブの重要課題になるはずです。

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問われるJクラブの育成指針。

UF:そのあたりの意識共有が、現在のドイツサッカー隆盛の基礎となっているように思います。若手選手のメンタルもケアしながら教育や生活レベルまでを管轄するとなれば、クラブとホームタウンがかなりの密度で向かい合う努力がなされているのでしょうね。

ギド:現状をいえばドイツの文化教育庁はエリートスクールを設営し、そこでサッカー以外の多様な種目の有望選手も含めたサポートを継続しています。世界大会の出場選手には、所属する学校教師も同行させて学業も疎かにはさせない。クラブレベルでの対応で言えば、私の地元であるシュツットガルトではクラブの育成担当者が地元の学校に赴いて授業を担当するなどの連携を行っています。例えばユースに在籍するプレーヤーが高校生なら、その担当指導者は始業前から高校にまで出向いてトレーニングを指導し、終業後のクラブ練習にも付き合うという日課になる。それほどの個別対応をする体制が出来ているということです。

UF:そのレベルを日本サッカーが目ざすことは一朝一夕には難しいでしょうが……。「どういうサッカーを目ざすか」という育成指針を地元指導者と共有することもままならないJクラブが多い現状には焦りも感じます。

ギド:まあトップチームの戦術までを含めるのなら、ドイツのクラブでも育成から統一されたサッカーを目ざすわけではない。コンフェデレーションカップのドイツ代表を見ても分かる通り3バック、4バックをゲーム中に変えたりもします。育成段階で体得するべきは、まずは「与えられたポジションでいつ、どういう仕事をするか」を臨機応変に判断する能力と考えます。しかしその分、育成段階の指導者はサッカーの技術を教えるだけではこころもとない。メンタルや心理的部分、戦術をしっかりと体得する意志を養う精神性あたりは強く求められることになるでしょう。

UF:クラマーさんの来日以来、ドイツサッカーは日本の手本。川淵三郎初代Jリーグチェアマンも、現役時代に見たドイツのスポーツシューレに感銘を受けてJ創設に着手したと言われています。この25年間で整えられたハード部分を活かし、これからの25年は地域とクラブが一体化した次なる方向性を探っていかなければと思います。

ギド:ドイツも順調に発展してきたわけではありません。ご存知の通り、オランダやフランスに遥か上を行かれてしまった時期もある。そこから修練を積んでヨーロッパ随一という現在があるのです。この経緯は確かに日本サッカーの模範になります。指導者育成もプロクラブ主導で行うべき重要テーマです。選手ひとりひとりに個別に対応できる。メンタルや心理面を鍛えられる。戦術面、技術面を鍛えられる。そういう才能を広く発掘・指導できるスタッフ体制も必要になるでしょうね。自分の心は、選手としても監督としても在籍した浦和レッズにあります。またお会いできたらと思います。

久々に会うギド・ブッフバルトの言葉。そこには「育成型強豪クラブ」がひしめき、いまや欧州頂点に君臨するブンデスリーガを牽引してきたサッカー人としての自負が感じられた。

「人生を賭けて応援してくれる人たちがそろっていた」―――

レッズサポーターの思い出を訊ねた際の、いかにもギドらしい台詞を追記しておく。

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(2017年8月都内にて)
次号、フリーマガジン「浦和フットボール通信」は11月20日(月)発行予定。
この決勝は、浦和の命運を賭けた一戦になる。水沼貴史

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