浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「4年目、梅崎司の気持ちの変化」(5/26)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

4年目、梅崎司の気持ちの変化

2008年に鳴り物入りで浦和レッズにやって来て、今年で4年目の梅崎司選手。小技が効き、変化に富んだドリブルで相手DFを翻弄し切り裂く姿は、観る者全てを魅了する。梅崎選手は、その才能と将来性を評価され19歳で日本代表に選ばれ、07年にはフランスのグルノーブルにレンタル移籍、古巣の大分トリニータに一時戻りはしたが、レッズに完全移籍した。

移籍してきた当時は、誰もが梅崎に大きな期待を寄せ、梅崎はその期待に応えようと一生懸命に取り組んでいた。その姿勢を見た、当時のチームメイトの岡野雅行選手は「たまには、俺みたいに気楽になれば良いのに・・・。梅を見ていると何でも100%を求め、100%で取り組む。本当に頭が下がる」と言い「100%」と梅崎選手の事を呼んでいた。

レッズに来て1年目に出場した試合は22試合。ようやくチームに馴染み、“これから”と言う期待の2年目、梅崎選手はシーズン初めから腰痛を患い手術し、長いリハビリを経てようやく復帰した。しかし、復帰したかと思うと右膝前十字靱帯損傷。また約9カ月のリハビリ経て合流するも、今度は右膝半月板損傷で3度目の長期離脱という不運に見舞われてほとんどピッチに立つ事は無かった。

そして、4年目の今シーズン、怪我無くチーム始動から合流出来た梅崎選手は明るく「最初からみんなと練習出来るのは凄くうれしい。今年こそは試合に出場してチームに貢献したい」と意気込みを話してくれた。だが、2列目に入ってもポジショニングが難しいのか中々チームメイトとかみ合わずベンチ入りする事も儘ならない状況が続いていた。梅崎選手は、怪我も癒えコンディションも戻って来て「やらなきゃいけない。こんなもんじゃない」と仕掛ける事を考え過ぎて悩んでいた。

ところが、最近の梅崎選手は「100%」の姿勢は変わらないが、ある意味「角が取れた」と言うか、ピッチの中で活き活きしている。梅崎は「自分は攻めの選手で仕掛けるのが魅力だが、そればかりになるとそれに固執してしまい、相手にも読まれる。自分の中で頼り過ぎた所があって、それが俺なんだって思い過ぎていた。スピードがある方じゃない。緩急つけて、余裕を持って楽しんでと思ったら頭もクリアーになった。肩の力抜けて楽にやって行こうって意識している」と笑った。その気持ちがピッチの中に表れていたのだ。

梅崎選手の気持ちの変化が起きたきっかけは、東日本大震災だったそうだ。「あり得ない光景を目の当たりにして、ショックだった。自分の悩みは小さいと思った。生きている事に感謝し、生かされている事を楽しまないといけない」と胸中を話してくれた。レッズに来て怪我に悩まされていた梅崎選手に対し「レッズに来て梅崎は駄目になった」と心無い発言をするサポーターの声が梅崎選手にも届いていた。その言葉受け「結果を出さないといけない」と梅崎選手には焦りがあった。「ずっと好きでやって来た事が、仕事として出来て、好きな事の延長が仕事となって自分で自分にプレッシャーをかけていた。自分で自分の首を絞めていた」と梅崎選手は言う。「生きているなら楽しまないと・・・」その思い一つで梅崎選手のプレーが変わった。そして、満面な笑みを浮かべ「もともと小さい頃からファンタジスタ系で何でもするタイプだった。なのに、俺はドリブルを仕掛けることしか無いと思い込んでいた。良い意味で変わって行ければ良いんじゃない!?」と自分に言い聞かせるように言い、更に「昔ある程度出来ていた自分が居て、それに縛られていた。それをようやく捨て切れた。ゼロからやって行こう!!楽しく日々を送れば、自ずと結果は付いて来る」と言葉を続けた。

梅崎選手は、周囲の期待感に押しつぶされ、過去の栄光に輝いた呪縛に囚われ、自分自身を見失っていたのかもしれない。それを自らの手で解き放った。今、梅崎選手は、ピッチの中で活き活きと楽しんで、命の輝きを放ち続けている。

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