浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「大切なものを考える時間」(1/12)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

2012年はFC東京の天皇杯優勝で幕が明けた。表彰台で喜ぶFC東京の選手達を見て、心から「おめでとう!」と素直に思えた。そして数年前の国立は真っ赤に染まり「WE ARE REDS」で包まれていた事が懐かしく思えてならなかった。

2006年1月1日 決勝は浦和対清水。前半39分、CKのこぼれ球からアレックス選手がクロスをあげると堀之内選手が見事に頭で合わせて先制。更に後半28分、ポンテ選手、赤星選手と素早いパスワークから、マリッチ選手が冷静にゴールに流し込み、清水に1点は返されたものの、2対1で勝利して初優勝を飾った。元クロアチア代表FWのマリッチ選手は来季の契約延長がないにも関わらず、クラブ・サポーターへの忠誠心から天皇杯を闘い続けていた。僅か半年間であったが、真面目で謙虚でひたむきなプレースタイルは、まさに「浦和の侍」であった。フットボールを愛し、浦和を愛していたマリッチ選手のコールは夕暮れ迫る国立競技場の空に鳴り響いていた。

2007年1月1日 リーグ優勝を果たした浦和は二冠をかけてガンバ大阪と対戦。しかし、怪我や体調不良の選手が多く主力を欠く事になってしまった。前半から猛攻を仕掛けて来たG大阪に対して、内舘選手、ネネ選手、細貝選手の急造のDFラインが身体を張って対応。GK都築選手の好セーブも光り前半0-0と折り返すが、後半もG大阪の猛攻が続き、後半37分にはDFラインの裏に抜けだしたG大阪のFW播戸選手が都築選手と1対1のピンチを迎えるも、都築選手の素早い飛び出しでシュートコースを消し、気迫溢れる守りでシュートをブロックしてゴールを許さなかった。G大阪に圧倒されながらも、後半42分、途中出場の長谷部選手が前線にロングボールを送り込むと、同じく途中出場の岡野選手が右サイドに流れて受け、中央の永井選手へ。岡野選手のクロスはDFに当たりコースが変わったにもかかわらず、永井選手が身体を投げ出し右足シュートが決まる泥臭い決勝点となった。試合後に岡野選手は「主力がいなくても、結果を出し、ひとりひとりの力がある事を証明出来た」と満足気に話した。G大阪が放ったシュートは21本。浦和のシュートは6本とシュート数を見ただけでも、その苦しい試合展開が分かる。苦しい中でも選手、スタッフ、サポーターが勝利のために一丸となって闘い、退任するブッフバルト監督に花道を飾る事になった。「世界に輝け浦和REDS」の歌声が誇らしげに聞こえたものだった。

毎年、ベンチレポーターを行っている文化放送の天皇杯中継のために、今大会も決勝前にFC東京と京都を取材させてもらった。その時に両チームの対照的な姿を見た。京都の選手達は「リーグ戦で大敗した思いがあるが、新たな年で、新しい京都の歴史を作る」と笑顔で話し、「チャレンジ精神」で挑んだ。一方、FC東京は決勝戦前に降格が決定した当時の京都戦のVTRをミーティングで選手全員が見た。そして、FC東京の選手達は「京都戦でJ2に落ちた悔しい思いは忘れない。サポーターに悲しい思いをさせてしまった」と険しい表情で話し、「反骨精神」でこの試合に臨んだ。結果は2対4とFC東京が圧勝した。

浦和が天皇杯を連覇した時には、選手達の心の奥にFC東京の選手達が持っていた「反骨精神」があった。「主力の選手達がいないから・・・」「来季の契約がチームと無いから・・・」そんな事は全く関係なかった。浦和を愛するが故に、「だったら、俺がやってやる!!」「底力を見せてやる」と個々の思いが一つになって栄冠を勝ち取ったのだ。

今シーズンのJリーグが開幕するまでの間、何故浦和が5、6年前まで数々の栄光を手にする事が出来たのか?考える大切な時間にしたいと思う。栄光を手にする事が出来た一つには「反骨精神」があった事を忘れてはならない。

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