浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「ブラジルを目指せ!!~山田直輝選手」(3/23)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

ナビスコ杯仙台戦で負傷し、左膝前十字靭帯損傷と診断された山田直輝選手。彼への応援メッセージをタカねえが贈る。

悲劇は突然やって来た。ナビスコ杯・ベガルタ仙台戦の前半25分、相手DFと接触した山田直輝選手は、崩れ落ちるようにその場に倒れこんだ。倒れた瞬間、本人は全てを悟ったのか、自ら両手で×印を作り、そしてその手で顔を覆った。おそらく、痛みと悔しさとやるせなさ、夢だったロンドンオリンピックを断念しないといけない状況が頭の中を駆け巡り、悲しみで心が一杯になり、涙が零れていたに違いない。診断の結果、左膝前十字靱帯損傷。腫れが退き次第、手術をする事になった。復帰には、かなり時間がかかるし、もとのプレーを取り戻すにはもっと時間がかかる事も山田選手は知っていた。

2010年1月6日アジア杯最終予選イエメン戦で、右足腓骨を骨折。長期離脱を余儀なくされた。昨年、6月ナビスコ杯山形戦で、僅か10分であったが、1年半ぶりに公式戦のピッチに立てたのだ。怪我から復帰しても、試合に出場出来ない日々が続き「浦和で試合に出て、活躍しないとオリンピックに行けない。オリンピックは一生に一度だけなんですよ!W杯とはまた違った意味がある大会なんです」と山田選手は焦りを感じていた。自分のプレーを取り戻すためにもがき苦しんだ1年半であった。その後、浦和での活躍が認められて、念願かなってオリンピック最終予選のメンバー入りを果たした。

しかし、今年2月のオリンピック最終予選シリア戦後の浦和のキャンプ中に、右中臀筋を肉離れしてしまい、オリンピック最終予選メンバーから外れてしまった。更に、左膝に炎症を起こしてしまった。2月29日大雪が降る中、チームメイトの練習を淋しげに眺める山田選手の姿があった。「練習を見ているだけでも面白いね」と山田選手は笑った。「ボール蹴りたい気持ちは良く分かるけど・・・。焦っちゃ駄目よ。無理しちゃ駄目よ。山田選手にはベストコンディションでピッチに立って貰いたいのよ」と話しかけると、「大丈夫!そんな酷い怪我じゃないし、開幕戦には絶対間に合わせるからね」と私の心配を他所に、山田選手は自信ありげに言った。「山田選手の大丈夫はあてにならない」と言い返すと、「もう二度とあんな思いはしたくないもん」と唇を尖らせて苦笑いした。

両手で顔を覆ったまま、担架で運ばれる山田選手の姿を目で追いながら、山田選手が言った「オリンピックは一生に一度だけなんです!」「もう二度とあんな思いはしたくないもん」言葉を思い出し、胸が締め付けられた。「変われるものなら、変わってあげたい」と思うのは私だけでは無いと思う。だが、現実を受け止めないといけない。山田選手と怪我で泣かされた小野伸二選手の姿がダブってしまった。シドニーオリンピック予選フィリピン戦で左膝靱帯断裂の怪我を負った小野選手は、長期離脱を余儀なくされた。さらに、日韓W杯では虫垂炎を患い、ドイツW杯最終予選のバーレーン戦を前に疲労骨折等、どれだけ怪我に泣かされて来たか、左膝には何度も繰り返し手術した傷跡が痛々しく残されている。それでも、小野選手は現実と向き合い未来に向かって復活してきた。「自分を応援してくれる人達がいる。自分を待っててくれる人達がいる。そして、何よりもフットボールが好きだから・・・」その思いがあったから復活する事が出来た。

ミーシャ監督は「オリンピックには行けないが、ブラジルW杯に行きなさい。前を向いて進んで行きなさい」と山田選手に声をかけた。この怪我で、フットボール生命に幕を下ろした訳ではない。ブラジルW杯に向けての自分自身の闘いが始まったのだ。小野選手が復活を遂げたように、山田選手も必ず復活をすると信じている。なぜならば、ピッチで輝く姿と眩しい笑顔を待っている人達のために、ここで挫ける訳にはいかない。挫ける筈が無い。彼は、何よりもフットボールが好きだから。そして必ずピッチで再び輝きを放つ日がやって来るはずだ。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

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