浦和フットボール通信

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欧州通信2012 Mark Russell 北部イングランドに吹いた“五輪”の風。(1)

世界の頂点に立つ巨大クラブ、マンチェスター・ユナイテッドの拡大路線に反発する市民によって設立された「FCユナイテッド・マンチェスター」。そのイレブンと地元サポーターたちの奮闘は、“Red Rebels(赤い反逆者たち)”の名で、いまや欧州全土に広く認知されている。我らがホーム浦和にもその発祥と動向を紹介してくれたマーク・ラッセル(https://www.urawa-football.com/post/2120/)を、ロンドン五輪の熱気を間近に見たマンチェスター近郊のボルトン・ウィガンに訪ねた。

インタビュー/写真 豊田充穂

【1】 7月26日 於 オールドトラフォード・スタジアム内 “レッドカフェ”。

豊田:ロンドン五輪の熱気はこのマンチェスターが北限で、リヴァプールやあなたが住むボルトン周辺にまで行くとテレビ画面だけの世界の様に見えますね。

ラッセル:これは日本で首都・東京だけが異質であるように、イングランドでもロンドンは特殊なのです。英国国内からの五輪ツアーは資料を見ただけ。実際に参加した人の話は私のまわりでは耳にしませんね。売れていないかも(笑)。実際にあなたが見たロンドンの様子はどうでしたか?

豊田:北京大会のような状態にはならないだろうと予想はしていましたが、路上警備と地下鉄改札のガイドが増えた他はいつも通りかと……。

ラッセル:会場の観客はロンドン市民と世界からの観光客が大半ではありませんか? (“レッドカフェ”の窓からスタジアム正面玄関の方向を指して)まあ、マット・バスビーの像の上に五輪マークが掲げられることも最初で最後だろうし、我らがギグスも関わっている大会だから後で写真を撮りましょう。

オールド・トラフォードスタジアムはロンドン五輪のサッカー会場となり、おなじみのライアン・ギグス率いる地元英国(GB)代表のグループリーグ戦や決勝トーナメントのゲームが開催された。五輪マークの下がマット・バスビー監督の像。手前がデニス・ロー、ボビー・チャールトン、ジョージ・ベストの3人。ユナイテッドの永遠のヒーローたちである。

豊田:サッカーに関して言えば、開催国イギリスが「チームGB」すなわちフットボールでいう英国4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)で編成されたことも影響していると思いますか?

ラッセル:そうそう、あなたたちURAWAのファンも知っている聖ジョージ・クロス(イングランド代表の赤十字旗)が使えない。あの旗に愛するクラブ名をデカデカと書き込んむ愉しみが削がれるレギュレーションになりました(苦笑)。サッカーの母国なんて言われるけれど、そもそも英国はその4協会の代表戦さえ存続すれば「ワールドカップなんて無用」と公言していた土地柄。我々にとって、五輪はある意味フットボールと対極にある存在と考えます。五輪は平和を象徴するスポーツ祭典。英国での開催を誇とは思います。だが、私たちがFCユナイテッドを支持する行動はLIFE(生活、人生)だから。

豊田:それにしてもこのラウンジやスタンド、諸設備といい、オールドトラフォードは生き物みたいに巨大化して行く……。始めてここを訪れた頃の印象はまったく過去のものになりました。まるで“レッドカフェ”に押されるように、スタジアム外にあるおなじみの“ユナイテッド・カフェ”は看板も変ってしまいましたね。

ラッセル:そうなんだ! あのカントナの肖像をモチーフにした看板が、つまらない飲料メーカーの広告ボードに代えられてしまった(憤慨した表情)。サポーター連中とも抗議をしようと申しあわせているところです。

豊田:何とも残念な話ですが……あなたが『浦和フットボール通信』に送ってくれた写真が貴重なメモリアルショットになるということでしょう。

マーク・ラッセル撮影のユナイテッド・カフェが掲載された本誌2007年8月 Vol.6号。スタジアムロードの名物だったこの看板も、いまはスポンサー企業の広告看板に代わっている。

ラッセル:豊田さんが初めてここを訪れたのはいつですか?

豊田:1976年です。ユナイテッドが降格を味わった直後。スタジアムは改装中でピッチさえ見ることができなかった。心残りで78年にまた来ました(笑)。インターネットはもちろん、情報がまるで手に入らない時代だったので。

ラッセル:それは私たちの貴重な時代を見とどけてくれたということです。こういう縁とか巡り合せこそフットボールがもたらしてくれた財産と思います。

豊田:貴重な時代とは?

ラッセル:フットボールが“民衆のもの”で、“ビジネスの所有物”ではなかった時代のことです。

豊田:愛するユナイテッドは変わってしまったのですか?

ラッセル:あなただって感じているでしょう。客席を見てどう思いますか? “ストレットフォード・エンド”(オールドトラフォード立見席の現地通称)は76年の頃のままですか?

豊田:大きく変わりました。女性や子どもの姿も増えました。なごやかさとか、笑顔が多いというか……。

ラッセル:はっきり言ってもらって構いませんよ。逆に豊田さんにインタビューさせてもらいたい。その2012年の雰囲気に、フットボール支持者だけが持つ自由とか熱気を感じますか?

豊田:私はスタンドに女性や子どもの笑顔がある雰囲気を否定しません。ただ、あなたが言うところの自由は「性格と質」を変えたと思います。その結果、当時のイングランドサッカーの客席ならではのゴール裏からのパワーやオリジナリティは低下したと思う。驚くようなアイデアのコールが飛び出すとか、荒っぽいのに凄く統制がとれた合唱が始まるとか……そういう期待でワクワクする醍醐味が、残念ながら少なくなりました(苦笑)。

ラッセル:その通りですよ。そしてそれは私たちにとって耐えられない損失です。かつてのユナイテッドのプレーヤーは、そういう客席からの発信を糧にしてスタンドと一体となった。そういう共通体験を起爆剤にして難関を乗り越えてきたはずなのです。もちろん私だって女性や子どもの笑顔がある客席は否定しない。しかしかつての“ストレットフォード・エンド”にはその場所を占める有資格者に対して、フィールド上の選手との交信が許される“自由”(注:ラッセルはfreedomと表現)が与えられていたのです。

豊田:そういう客席の雰囲気がコントロールされるようになった気配があることは否めませんね。

ラッセル:あんなにスタンドを拡大したら、安全面からもクラブはコントロールを迫られることになりますよ。高額なプレーヤーを繋ぎとめるためには7万5千人の入場が必要だが、そのあおりを受けて私たちのスタンドの雰囲気は変わったし、スタジアムは奇妙な形に膨張してしまった。

豊田:奇妙な形とは?

ラッセル:あの上へ上へと積み上げられていくスタンドは、あなたが思い描く理想のオールドトラフォードの姿を成していますか?

豊田:分かります。おそらく、周辺住民の反発もあるのでしょうね。

ラッセル:客席を増やそうにもビジネス的拡大ばかりをもくろむユナイテッドの経営を、オールドトラフォードの周辺住民は許せない。だから日照権や居住権を盾に近隣の住宅を盛り立てて、スタジアム増築を阻止しているのです。かつて爆発音のようなスタジアムの歓声を受容し、自らも声を合わせていたユナイテッドの地元民衆が、いまやユナイテッドに反旗を翻している。

豊田:フットボールビジネスに翻弄されるユナイテッドをなげくあなたたちの姿が、経営と収支に追われるクラブに陥ったレッズをなげくURAWAのサポーターに重なって見えると……。

ラッセル:そういうことです。私はあなたの目に映ったオールドトラフォードの変遷を、『浦和フットボール通信』を通じてぜひ日本とURAWAに伝えて欲しい。それはこの半世紀間に起こった世界のフットボール史を思い起こさせる重要なモニュメントですから。

マーク・ラッセル、少年期から半世紀にわたるサポート歴を胸にスタジアムロードを歩く……。

【2】 7月28日 於 アンフィールド・スタジアム前 “ヒルズボロ”。

豊田:改めて伺います。あなたがこれほど離れた場所からURAWAというホームタウンに対して興味とリスペクトを持ち続ける理由は何ですか?

ラッセル:フットボールがクラブのものではなく「自分たちのものである」ことを強くメッセージしている街だからです。私たちヨーロッパ人が“不毛の地”と信じて疑わなかったエリアで、こんな強い意思が存在することは本当に驚きでした。

豊田:なぜURAWAがそういう街であると分かるのですか。

ラッセル:あなたのような良い歳をした大人が(笑)わざわざロンドン五輪の最中にURAWAの現状と比較するために北イングランドまで訪ねて来たりするからだよ。先ほど言った「フットボールが自分たちのものである」ことを心にたずさえて、それを維持することは並大抵のことではないのだから。

豊田:同意ですね。好きなことのためとはいえ、この歳になるとエコノミーシートで欧州線に搭乗するのは本当に辛い(笑)。

遊びには来るな……挑発的なスローガン看板に見下ろされるアンフィールドのゲート。これもThis is Anfield の恣意の一部なのか。

ラッセル:とにかく不思議に思うのは、我々のサッカーゆかりの場所にやって来る人たちが、あなたと同じ浦和や埼玉の人間である確率が高いこと。私の仕事上のデータを見てもそうなのです。しかもあなたたちは世代を超えて、労と時間を惜しまずに自らの活動をやり遂げる。そこに私たちは、“同族”としての気配を感じるわけです。日本にそういうエリアがあることが知ったら、特別な興味を抱くイングランド人は少なくないと思う。

豊田:その結果、南アフリカ大会の時のように4年に一度しかないW杯の折に、わざわざURAWAを訪れるという奇特なイングランド人も現れるという筋書きになる…(笑)

ラッセル:そしてそのイングランド人は、『力』の様なエキセントリックな日本風パブで、30年も前の自国スター選手の思い出話ができるという驚くべき体験もできるのです(笑)。
(編集部注:参照 https://www.urawa-football.com/post/2120/ )

豊田:あなたの息子であるジェームス・ラッセルさんも、埼玉スタジアムのスタンドでレッズ・サポーターの雰囲気を肌で感じ取ったとか……。

ラッセル:そういう空気は国境を越えたもの。しかも彼は私の家の環境で育った息子だからね。URAWAの大切な友人であるコモリさんから「闘莉王」のネーム入りレプリカをプレゼントされたジェームスは、バックスタンドであなたたちのゴール裏の第一声にショックを受けた。気づいた時には通路に飛び出し、「君たちの同志はここにもいるぞ!」と叫んでいたそうです。日本語コールの意味も分からない30歳過ぎの男がね(苦笑)。

豊田:ここアンフィールドの正面玄関に沿ったストリートで続いているリヴァプールサポーターの「伝承」の意思も、凄まじいものがありますね。多くの逸話を残す彼らは、あなたたちも一目置く同志ということでしょうか?

ラッセル:あなたからのリクエストがあった“Hillsborough justice campaign(ヒルズボロ・ジャスティス・キャンペーン)”のショップでは、リヴァプールの連中が現在に至るまで築いてきたサポーターのスピリットを感じることができます。アンフィールドの正面玄関前にあのようなショップを存続させている心意気には感じ入る。ましてや“ヒルズボロの悲劇”さえネタにしたマスコミに心から同調するスポーツファンなどこの世にいないでしょう。

豊田:そう思います。

“Hillsborough justice campaign”の店内には、「ヒルズボロの悲劇」(1989年)に際し、不当にリバプールを貶めたマスコミを告発するスローガン・フラッグが掲示される。話題性を追うあまり、“リヴァプールサポーターが暴行”の捏造記事を掲載し続けた英国大衆紙『SUN(サン)』のキャラクターを、リヴァプールFCの象徴・ライヴァ―バードが懲らしめている図柄。命を落とした同志たちの名誉を回復する活動と追悼募金は、現在に受継がれている。

ラッセル:ただね、五輪が終ってリーグ戦の日常に戻り、リヴァプールサポーターについてコメントを求められたら……(ニヤリとして)記事にして欲しくない言葉が出てしまいそうだ。

豊田:どんな言葉ですか?

ラッセル:私的に言わせてもらえばね、気持ちの奥底までリヴァプールが好きだというフットボール好きなんて、リバプールサポーター以外には存在しないと言うことです。。

豊田:なるほどね。マンチェスターはリヴァプールとは反りが合わない。

ラッセル:あそこと反りが合わないというなら、世界の大半の都市がそうでしょう(笑)。ま、受け流して聞いて欲しい。『浦和フットボール通信』には本音を言うから。

豊田:大丈夫。私たちもあなたの『Punk soccer(パンクサッカー)』と同じ零細メディアなので。

ラッセル: 私たちマンチェスターの人間は、リヴァプールサポーターを“Bandit(バンデッド)”と呼んでいる。覚えておいてください。

豊田:どういう意味ですか?

ラッセル:山賊とか海賊という意味から転じて……うん、後は言いたくない。

豊田:酷いですね(笑)。そう名づけた理由は?

ラッセル:マンチェスターから来たクルマでアンフィールドのパーキングに駐車すると、鍵はかけてあってもタイヤを4輪とも持って行かれます。盗むというよりは、若いサポーターのパフォーマンスなのでしょうが……。

豊田:そういえば、先ほど駐車したアンフィールドのパーキングにはまるでクルマがなかったな。

ラッセル:駐車場に限らない。この時間帯のリヴァプールの人口密度なんて、あの程度のものですよ。

豊田:さびれていると……?

ラッセル:いや、彼らは大半が港湾労働者だからね。怠け者のBanditはまだ寝ているんだ(笑)。世界を変えた「産業革命」を支えたグレーターマンチェスターの我々とは違うのです。

豊田:それは面白い(笑)。

ラッセル:ジョークですが、これはフットボールにおいては重要なポイントですよ。母国の誇りという以前にイングランドや英国の各都市は「地元愛」も半端ではない。それが(クラブ単位で行われる)フットボールのリーグ戦に凝縮され、延々と発露されて来た歴史があるから。

豊田:そこは同意。とにかくホームの観客に見守られたイングランドのクラブチームは、特別なエネルギーを振り絞る。そこが魅力なわけです。

ラッセル:観客ばかりではないよ。仕事の関係で数多くのイングランド人のメディアスタッフやジャーナリストたちを見てきましたが、鋭い論評で知られる男に限って、ひと皮むけば狂信的な地元クラブの支持者だったりするのです。プレミアがこれほど世界中の多くのファンに受け容れられるのは、いまだにスタジアムの雰囲気とサポーティングによる部分が大きいことは間違いない。

豊田:大衆受けしやすい?

ラッセル:近年はそこだけで持っているということです。

豊田:サポーターが「You’ll Never Walk Alone」を歌うJのクラブも出てくるほどですからね。

ラッセル:(顔をしかめて)そんなチームがあるのですか!? あの歌はリヴァプールとセルティックの支持者しか歌えるはずがないエッセンスを含んでいる。その日本人サポーターたちは、歌詞を理解しているのだろうか……。

豊田:いや、していないと思いますよ……後は言いたくない(笑)。

ラッセル:やはり豊田さんは我々と同族ですね。

≪以下、次号(8月30日配信予定)に続く≫

マーク・ラッセル(Mark Russell)プロフィール
イングランド北西部・ボルトン生まれ。サポーターとして、またスポーツ関連情報をメディアに配信するリサーチャーとして30年以上にわたりマンチェスター・ユナイテッドを見守ってきたフリー・ジャーナリスト。イングランド、スコットランドなど英国サッカー変遷の研究を専門領域とし、リヴァプール、エバートン、ブラックバーンなどのクラブに関して長い調査歴を持つ。少年時代からの熱狂的な“赤い悪魔(マンチェスターユナイテッド・サポーター)”であったが、米国人投資家のマルコム・グレイザーが経営権を握りアレックス・ファーガソン監督の専制政治が敷かれた90年代後半からの同クラブの一辺倒な拡大路線(ビッグクラブ化)に絶望。志を同じくするマンチェスター市民の熱望によって結成されたFCユナイテッド・マンチェスター(Football Club United Of Manchester)の支持者となり、その動向のレポートを海外のメディアに向けて発信する活動を行なっている。

http://punksoccer.com/

 

 

 

 

 

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