浦和フットボール通信

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浦和への伝言2012 大原ノート – vol.12 瀬田のおっちゃんと“プリン”

浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。
平和な秋ですね。いえいえ、日本国的にはそうともいえない状況もありますが、“浦和”的には昨年の悲愴な気分とは違う、楽しい季節です。というわけで、勝ち点が40を超えたあたりで催されたサポ的飲み会も平和的、かつ友好的雰囲気に満ち溢れていました。そこで話題もサッカーを超えて広がり、この小コラムで以前触れた石井桃子先生のお話なども出てきました。その時……

「俺もさあ、小さいとき別のなんとかいう児童文学で有名になった先生の家で小さな文庫をやってて、本読ませてもらってたよ」「へえ~、なんていう先生?」「う~ん、俺たち子どもは“瀬田のおっちゃん”って呼んでたけど」「瀬田?」「それ、だれだ?」「えっ。も、もしかして“瀬田貞二”先生?」(←これ、私)「うん、そうそう、その先生」(←これ、わが同窓生のK太郎君)

「え~、え~、え~、瀬田先生って浦和に住んでたの!?」「そうだよ、俺の家のすぐ近くにずっと住んでいて、確か社会人になってから浦和駅の改札でばったり会って、図書館に関係する仕事してるって言ったらいろいろアドバイスしてくれたよ。でも、それが最後で、しばらくして亡くなられたらしいよ」「そうよ、そうよ、瀬田先生は60代で亡くなられたから。じゃあ、あの大仕事はすべて“浦和”で仕上げられたんだ」(私超感動!!!)

なんてねえ、何のことだか分かりませんよね。石井桃子先生は「くまのプーさん」「ピーターラビット」、神宮輝夫先生は「アーサー・ランサムシリーズ」に「かいじゅうたちのいるところ」、そして、瀬田貞二先生といえば「ナルニア国物語」「指輪物語」の翻訳者です。そうです。あの映画の「ロード・オブ・ザ・リングス」「ナルニア国物語」をすばらしく個性的な訳で日本に紹介してくれた人なのです。この3人は私の中で「翻訳児童文学」の3大巨匠となっていて、神宮輝夫先生には一度、お目にかかる機会があり名刺をご本人からいただけたのは私にとって大変うれしいことでした。石井桃子先生が浦和育ちというのは有名で、これもうれしいことです。さらに、なんと瀬田先生も浦和の住人だったなんて、それも同級生のK太郎君がご近所付き合いしていたなんて、すてきな情報です。

浦和は奥の深い不思議な街です。私が翻訳出版された「ナルニア国物語」を夢中で読んだのは中学生のとき。ほぼ初版で読んでいるので、瀬田先生が翻訳のお仕事をしたのは、小学生だったK太郎君たちが先生の文庫を楽しませてもらっているころでしょうか。「指輪物語」を小さな活字でぎっちり詰め込んだ文庫で読んだのは大学生のとき。ということは、先生が翻訳なさっていたのは私が中高校生のころとなります。ニアミスです。私だって浦和駅の改札口で1回ぐらいすれ違っているに違いありません。K太郎君、いいなあ~。

瀬田訳の「ナルニア国物語」は子どもたちにとって分かりやすいよう、日本語訳された印象的な登場人物名が有名です。さらに、先生があとがきで記されているように、お菓子の名前なども日本の子どもたちにはなじみのないものがあって苦労されたようです。それは「ターキシュ・ディライト」。映画「ナルニア国物語」で雪景色の中、兄や姉妹とはぐれてしまったエドマンドに白の女王が差し出すお菓子です。そして、このお菓子のためにエドマンドは仲間を裏切ってしまうのです。

「ターキシュ・ディライト」、今ならネットで調べられます。日本の「ゆべし」に似たお菓子というサイトもありました。う~ん、瀬田先生どうしましょう。エドマンドが「ゆべし」で白の女王に仲間を売るとは、なかなかイメージできません。さて、そこで瀬田先生が選んだお菓子は……

「プリン」です。「チョコレート」でも「イチゴのショートケーキ」でも「クッキー」でもなく、「プリン」です。瀬田先生の訳は大好きですけれど、「緑のリボンをかけた円形の箱」の中からつまむのに「プリン」はちょっと不向きだと思ったものです。でもね、今回なんだか想像できましたよ。瀬田のおっちゃんに仲間を裏切ってでも食べたいお菓子は「プリン」、そう思わせた誰かがいたんです、きっと。ほら、そこで口のまわりを茶色のシロップでベタベタにしてプリン食べてる“浦和の子”、君のことですよ。でも、それってまさか君じゃないよねえ、K太郎君。

文/百瀬浜路(ももせ・はまじ)
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市在住。

写真/黒木葉子(くろき・ようこ)
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォトグラファー、イラストレーターとして活躍。セツ・モードセミナー勤務を経て、現在フリーランス。川口市在。

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