浦和フットボール通信

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レッズを好きになったきっかけ

埼玉県桶川市出身バンドの「GOING UNDER GROUND」。かつてはテレビ埼玉のレッズ応援番組「GGR」のエンディングテーマも務めるなどレッズともゆかりのある彼らの中に、レッズ大好きを公言し続けるギタリストがいる。その名も中澤寛規。レッズ好きNo.1ミュージシャンと言ってもいい彼が、レッズ、フットボールとミュージックでなんか面白いことやろうぜとスタートした企画。これから何が飛び出すか乞うご期待。「GOING MAGAZINE」とのコラボレーション企画。まずは、中澤さんのレッズプロフィールをお聞きした。 インタビュアー:椛沢佑一(浦和フットボール通信編集長)

GOING MAGAZINEでは、取材風景を動画にて配信中!

■スポーツ音痴なナカザがレッズを好きになったわけ

椛沢:まずは、中澤さんがレッズを好きになったきっかけと、いつ頃から好きになったのかを教えてもらえますか。サッカーをやっていたわけではないんですよね?

中澤:サッカーは全く経験者ではないんです。むしろスポーツは得意な方ではないんです・・・(笑) 中学校1年生の時にJリーグが開幕すると世間が賑わっていたと思うんですが、その時は特に関心はなかったんですけど、友達と家でゲームをやるときにJリーグのサッカーゲームをやったんですね。友達はヴェルディだ、マリノスだ、と強いチームを使うので、自然とレッズが余っていたんですね。そこで「じゃあ、俺は地元のレッズを使おう!」というノリで選んだんですけど、そこで自分のチームとして自覚が出たんですね。そのあともゲームをする時は意地でレッズを使っていて、ゲームを通して、選手名を覚えるようになりました。そうなると次は本物の試合を見たいなと思ってテレビ埼玉の中継とかを見るようになって。ゲームで名前を知って、テレビで顔を覚えて、という流れです。最初は福田くらいしか知らなかったんですけど、徐々に選手たちを覚えるようになりましたね。

椛沢:そんな中、中澤少年がレッズの試合をスタジアムで見るようになったのはいつでしょうか?

中澤:初めてスタジアムに試合を見に行ったのは、高校一年生の時ですね。友達がレッズの試合のチケットをもらって、お前レッズ好きだったから行かない?と誘われていきました。94年のフリューゲルス戦だったんですね。当時、レッズのホームスタジアムである、駒場スタジアムが改修中だったので、大宮公園サッカー場の試合でメインスタンドで観戦していました。その試合は、左サイドバックのルーキーだった中島豪が出てきた頃で、彼が出ていたことをよく覚えているんですけど、試合には負けたのかな?でも、サポーターの雰囲気とか、サッカーの生の試合というものを味わって、これは想像以上に面白いな、と気持ちが高揚する感じがあったんですね。そこから本格的に毎試合欠かさずレッズ戦の結果をチェックするようになったり、試合を見に行くようになったんですね。

椛沢:浦和レッズのどんな所に惹かれたのでしょうか?

中澤:当時、僕が好きになった頃の浦和レッズは、最下位を争っている感じだったんですけど、そこには熱いサポーターがいて、みんなが本気で熱くなっている感じと、良い意味でずっこけている感じが漫画っぽいというか、そのようなところが応援したくなるし、加えて埼玉に住んでいるところであってレッズを応援するという意味を感じていましたね。僕はスポーツが得意じゃないという劣等感があるんですけど、レッズのように頑張っているけど勝てないということに親近感を覚えて、応援したくなったところもあるかもしれないです。華もあって、チームカラーの赤というのも感覚的に好きだったので、Jリーグで好きになるならこのチームだろうというお膳立てがいろいろな部分で揃っていたんだと思います。

椛沢:中澤さんというと、ライブのステージで、赤いTシャツを着ているイメージがありますけど、あれは元々赤が好きだったのか、レッズも意識しているんでしょうか。

中澤:元々好きであるということプラス、もちろん「俺はレッズサポーターだ!」というアピールも含めて、ライブで赤いものを着てます。

椛沢:レッズで好きになった選手はどの選手でしょうか?

中澤:初めて見に行った試合で強烈に覚えているのは、先程も言いましたが、中島選手。当時は野人・岡野雅行選手もインパクトはありましたよね。ミスターレッズの福田さんは怪我をしていてあまり試合に出ていなかったので、なかなか見る機会が少なかったんですね。あとドイツ人のルンメニゲもいましたね。名前のインパクトと佇む感じを含めて、当時のチームで一番の外国人助っ人だなと思ったのと、あとはルルですね!あの貴公子感というか、チェコの選手だと思うんですけど、スマートな感じがレッズにいないタイプの選手だと思っていて、初めて試合に出た時に、ファーストタッチゴールをして、コイツは持っているなと思って、意識的に応援しようと思った初めての選手でしたね。

<ナカザ浦和探訪(1)浦和駅前篇>
浦和レッズのホームタウンである浦和の街を中澤さんが探訪。

浦和はサッカー以外にもウナギが有名。駅前にはアンパンマンの作者でお馴染みのやなせたかし先生作の浦和うな子ちゃん銅像がある。

駅前にあるフットレリーフに、友達の内舘秀樹さんのパネルを発見!


伊勢丹前にある、レッズの選手と集合写真をパシャリ。

GOING UNDER GROUND Profile

埼玉県桶川市出身の4人組。ブルーハーツに憧れて、当時中学1年の松本素生、中澤寛規、石原聡、伊藤洋一は、バンドを結成。高校1年の時に河野丈洋が加わり、何度かメンバーの出入りを経て、高校卒業時に5人が揃う。
1998年12月にインディーズレーべルDNA CUPSULESより、ファーストミニアルバム『Cello』をリリースする。1999年10 月には自分たちの事務所 aqua music products、レーべル sunnysideを設立。翌年5月に初のフルアルバム『GOING UNDER GROUND』をリリースし、全国ライブツアー開催など精力的な活動を展開するなか、2001年6月21日にシングル『グラフティー』にてメジャーデビュー。2005年にリリースされた『STAND BY ME』は三ツ矢サイダーのオリジナルCMソングで話題となり、ロングヒットとなる。2006年には初の日本武道館公演を成功させる。2009年4月18日、日比谷野外大音楽堂でのtour2008-2009 “LUCKY STAR”ファイナル公演をもって、キーボード・伊藤洋一が脱退。メンバー4人での再スタートを切る。2009年11月、松本素生がヒダカトオル(元 BEAT CRUSADERS/現 MONOBRIGHT)をプロデューサーに迎え、ソロ・プロジェクトのSxOxU(ソウ)を始動。同じく12月に、河野丈洋も初のソロ・ミニアルバム『CRAWL』 を自身のレーべル“NORAH RECORDS”よりリリースする。
2010年1月、プロデューサーに常田真太郎(スキマスイッチ) を迎えてのコラボレーション、松本素生ソロ曲「2030」がグリコ「ポッキー」スペースシャワーTV CFソングとしてオンエア。松本素生として、ソロ第二作目のシンガーソングライター・ミニアルバム『素生』を3月にリリース。メンバーのソロ活動も盛んになる中、2010年2月には、 GOING UNDER GROUNDとしても所属レコード会社をポニーキャニオンへ移籍することを発表し、5月にヒダカトオル・ プロデュースの楽曲『LISTEN TO THE STEREO!!』をリリース。“メジャー・デビュー10周年”となる2011年4月には2年振りとなるニューアルバム「稲川くん」をリリース。LIVE活動も精力的に行いつつ、2012年11月14日に待望のニューアルバム「Roots&Routes」をリリース。
2012年11月17日より冬のHALL TOURと題して地元桶川を含む全国4カ所のホールツアーを行い、年が明けた2013年3月よりGOING UNDER GROUND TOUR 2013「Roots&Routes」を開催する。

GOING UNDER GROUND
2012.11.14 RELEASE「Roots&Routes」
GOING UNDER GROUND1年7ヶ月ぶりのフルアルバム

一度は完成に漕ぎ着けたアルバムをゼロから作り直した
NEW ALBUM「Roots & Routes」ついに完成 !!
 

〈収録曲〉
01. 1978
02. シナリオライター
03. Breakthrough  *アニメ「FAIRY TAIL」主題歌
04. Roots
05. 1998~土曜日の夜、日曜日の朝~
06. ナカザのディスコ★
07. 刹那
08. 稲川くん
09. コーンフレークダイアリー
10. 1+1
11. 愛なんて  *映画「ハラがこれなんで」主題歌
12. なんにもいらない
13. 9th Route
14. Shining   *JR東海CMタイアップ曲

PCCA.03698 税込価格¥3,000
PONYCANYON

 

冬のHALL TOUR~Root&Routes~

11/17(土 )桶川市民ホール
12/8(土)大阪・御堂会館大ホール公演に続き、
1/13(日)栃木県総合文 化センター
1/20(日)日本橋三井ホール 追加決定!!

3月からは
GOING UNDER GROUND TOUR 2013「Roots&Routes」

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