浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「浦和の男になった~槙野智章選手」(12/7)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

リーグ最終戦、ハーフタイム後、円陣での秘話。

ACL出場権を手に入れた最終戦、喜びを噛みしめながら興奮状態でヒーローインタビューに満面な笑顔で答える槙野智章選手がいた。そして湧き上がる歓声の中、槙野選手は「浦和の選手として、闘いますんで、一緒に闘いましょう!」と高らかに来年の去就を宣言した。心身共に、浦和の男になった瞬間であった。

2012年1月19日 埼玉スタジアムで行われた移籍会見で、槙野選手は「この1年、浦和のために全力を尽くし、近年のネガティブな内容を変えるためにやって来た」と話し、『絆』をテーマにみんながひとつになる結束力を呼び掛けた。昨シーズンまでは、「We Are Diamonds」を満足な勝ち方をした時に、マフラーを掲げてサポーターが喜びを噛みしめて歌っていたが、今シーズンは、槙野選手の提案で、勝利の歌声に選手達が加わった。浦和に新しい風を槙野選手がもたらしたと感じた。しかし、勝ったからと言ってただ歌えば良いものではない。浦和のサポーターは誰もが納得する勝利で無ければ「We Are Diamonds」を歌わなかった。「We Are Diamonds」は心から自然と湧き上がる歌であり、強制するものでも、強要するものでも無い事を槙野選手に伝えた事があった。すると、槙野選手は「えっ!?そうなの?勝ったら歌うものではないの?どうすれば良い?」と戸惑いを隠せないでいた。答えは簡単である。「サポーターもファンも選手も監督も誰もが納得する勝ち方をすれば良い!誇りを持って、みんなが心から歌える」と言うと、真剣な面持ちで「分かった」と答えてくれた。

取材陣からは「槙野広報部長」と呼ばれるぐらい、どんな時でもメディアとちゃんと向き合ってくれる。誰だって疲れていたり、答えたくない時はあるのに、槙野選手は違っていた。槙野選手は、どんな事でも真剣に向き合い、考える選手である。だから、Tシャツのメッセージの文字製作も選手はもちろん、スタッフまでが加わりみんなが協力したのだ。一人よがりで自分勝手な選手だったら誰も協力はしない。槙野選手の言動や行動には、相手を思いやる気持ちがあり、どうすれば良い方向にいくか?紆余曲折しながらも、一人で悩まずにみんなの意見を聞く心の広さがある。選手、スタッフ、サポーター、そしてメディアまで結束させたのは槙野選手であった。今までの浦和には無かった事である。本当に頭が下がる。だが、私の中で槙野選手は、レンタルの選手でどこか借りものである気持ちが強かった。正直、浦和の男として違和感があった。

ACL出場権をかけた名古屋戦、前半終了間際の身体を張った槙野選手のシュートブロック。そして、待望の追加点となったFK。試合後、「最後の最後に身体を張って、守備の所で自分の存在感が出せた。右の腹筋でした。(シュートブロックした個所)FKは、マルシオと陽介が譲ってくれた。ペナルティーの中でGKを惑わす動きとか、みんなのゴールです」と話した。攻守に渡り槙野選手は勝利の原動力になったが、原動力はそれだけではなかった。山田暢久選手が「後半始まる前の円陣で、いきなり槙野が、柏と鳥栖の状況を知りたい?知りたくない?って言い出したんだよ。えっ・・・。知ってんだって思ったら、知りたくなって、それで柏が負けていて、鳥栖が引き分けている事を知ったんだ。聞いた時、やってやろうじゃないか!!って、情報を入れる事によって士気が上がった」と教えてくれた。槙野選手自身は「知って闘うか、知らないで闘うか、選手によっていろんな考え方があるから、伝えた方が良いか、悪いかどうしようか?と悩みました。で、円陣の中でみんなに聞いて、状況を伝えました。その時点で知る事によって、やってやるぞ!ってみんなモチベーションが高くなった。ACL取りたい気持ちが強かった。気持ちには、引力がある」と力強く話した。プレー面だけでなく、メンタル面でも槙野選手はACLへ牽引していたのだ。

『絆』をテーマ―にピッチの外でも中でも闘ってきた槙野選手だからこそ、みんなが槙野選手の声に耳を傾け、結束できた。その集大成が、34試合目で形となって現れた。「試合はパーティーじゃけん」と広島弁が飛び出す槙野選手が、34試合目で正真正銘浦和の男になった。

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