浦和フットボール通信

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「 レッズ2012月刊ライブディスカッション 」Vol.9 2012シーズンを総括す。<特別版>

レッズ密着取材を続ける河合貴子氏に、本誌・椛沢編集長が浦和レッズの現状や選手達の思いを毎月訊く「レッズ2012月刊ライブディスカッション」。第3回は、豊田充穂氏をまじえて、2012シーズンのホームタウンはどうだったか、クラブとしてどうだったか、スタンドはどうだったか、現場としてどうだったか。それぞれ総括的に点数をつけて振り返った。(浦和フットボール通信編集部)

2012年のメディアに対する評価

豊田:たかネエは我々の中で選手に一番近い場所が仕事場です。しかもいちばん長いキャリアをもっている取材陣の一人。私たちサポーターは「レッズには継続性がない」という発言をするけれど、それは客席にもなかったり、ホームタウンにも諦めムードがありそっぽ向いているじゃないかという印象もあるわけです。メディアもメディアで長い視点で見てきた人たちのノウハウが皆に伝わっているのかという点は、考えるべき問題と思う。そこで、まずはレッズをとりまくメディアの体制として、ここ近来の3年くらいの評価というものをお聞きしたいです。

河合:正直言って、フィンケ監督体制になった時に、メディア規制とまでは言わないけれども、メディアをコントロールしようとするクラブの動きが感じられた。どこを切っても金太郎飴のように同じ報道で、自分のネタとか自分の取材力とか感じたことが、表現しずらい状況に陥りましたね。

豊田:当時、記者さんたちから聞いたのは、個人的に選手に接触するとか、深い関係のところからネタを拾うことがやりにくくなったと聞いたのですが、それは事実としてあったのでしょうか?

河合:あのあたりから、レッズの取材体制という部分は変わってきたのかなと思います。そこから2、3年経って、少しずつですが、元に戻りつつある。大原練習場のミックスゾーンがあまりに狭いので、選手を捕まえても色々な取材陣が囲んでしまう。囲み取材になると、誰が使ってもどういう風に書いても自分のネタにはならない状況になってしまいます。連載させて頂いているコラムを書く時に、自分が感じたいことをぶつけたい時は広報にお願いをして、ちょっとで良いから選手と話がしたいというお願いをして、今はやらせていただいています。取材サイドにしてみれば、大原練習場のミックスゾーンをもう少しなんとかして欲しいという思いはある。フィンケ体制の頃から少しは変わったけれども、個人的なネタで、個人的な質問はしずらいですね。囲まれると選手も話しにくいこともあると思うので、そこはもう少し緩和されたらなと思う。クラブ側からすると、こういう報道をされたら困るとか、そのようなものがあるから、あのような体制になったんだと思います。

椛沢:当時は、スポーツ新聞などに色々な情報が出過ぎて、サポーター側からもそのような問題をどうにかして欲しいという声も数多くあったのだと思います。

豊田:それが意味を取り違えたところのレベルまでいってしまって、情報は公式サイトに載っているから、そこで確認して下さいという流れになりかけましたよね。オフィシャルに載っていますという話だけになると、新参の取材者は発信力が落ちてお手上げだろうし、読む側も探索力がなくなってきます。

椛沢:それは感じるところがあって、サポーターの受け取り側もオフィシャルの情報こそがすべてなんだという風潮に近年はなってきていて、批判的な意見に対して免疫力が弱くなったと思う。それはある意味”オフィシャル慣れ”してしまっているのかもしれないですね。

河合:私は昔、サポーターに呼びかけていたことがあって、スーパーで卵買うのでも牛乳を買うのでも日付をみたりして新しいものを買おうとしたり、お菓子などを買う時は内容物まで気にしたりする。そのように商品を選ぶように、情報にはテレビがあって、ラジオがあって、新聞、雑誌があって、インターネットがあって、オフィシャルサイトがある。いろいろな中から皆さんが賢い消費者になって下さいと。情報を見極める目というものをもって欲しいと伝えてきた。私がいうこともすべて正しいと思わないで下さいと伝えてきました。

豊田:昔はインターネットもなかったので、同じ場で意見を戦わせて、お互い知らないところを吸収するという膝付けの場があったと思うのですが、そういう場面が徐々に減少しています。その年代の方がいなくなると、ちょっと記者席とご無沙汰をすると新聞担当の方々も、がらっと変わっていたりします(苦笑)。レッズ担当で来ているメディアサイドの方々も部署替えが習慣化すれば、長期的にどういう報道がされてきて、クラブの経緯がどうであったかという情報共有が歯が欠けるようになってしまう気がする。これはホームタウンとしても損失と思うのですが……。

河合:例えば、選手を止められない人が現場にきて、こちらが止めている所の横に来て、質問の意図も理解しないで、上っ面だけ拾っていって、記事になり、私はそういう意図で聞いたわけじゃないのに、違った報道になってしまったということもあります。その意味においても、まず一番はミックスゾーンをなんとかして欲しい。ミシャさんになって、選手との会話は出来るようにはなってきた。ミシャさんも自分の中で疑問があって監督に聞くと答えてくれますし、こちらが記者会見で質問をした時に、なんで?と監督が思った時は、むこうから質問をしてくる。その中からサッカーのディスカッションができるのはありがたい。監督の考え方もわかるし、チームの方向性も分かりますから。

豊田:ふむふむ。となると、メディアサイドの今季採点は80点くらい?

椛沢:レッズの露出とう面も注目したいですね。世の中的に、レッズの名を目にする機会が減っているように思うのですが……。

河合:それは減ってるよね!

豊田:必死になって追っていれば目には入ってきますけど、確かにね。

河合:良い記事も悪い記事もレッズの宣伝になるというのが私の考えなんです。書く人もしっかり取材をして記事にしているわけだから。私はあってしかるべき報道の自由もあるから、なんだよ!と言って批判する人がいるから、その規制も出てきてしまう。

椛沢:受け取り側の情報の選択能力が落ちてきているんだとは思いますね。オフィシャルの情報がすべて正しいんだと。オフィシャル発表なので、そうなりがちですけど、大本営発表がすべてか?と言ったら、オフィシャルでは言えないこともたくさんありますからね。

豊田:新聞などに、レッズと書いてあれば、オフィシャルの信頼度うんぬんを全然知らない人でも、レッズは人気のあるクラブなんだと、メディア上に顔を出しているという波及力は看板で名前を見るように、そういう反応はあるのだと思います。

河合:そう。そういうことは大事だと思うんですよ。

豊田:話題にすらなくなったらおしまいですよ。ただコア層はその選別に関しては厳しい考えだとは思いますが……。

河合:選手のこととか、レッズのこととか、本当に愛情をもって接していれば批判とかにはならないと思うんですよね。

豊田:むろん批判はあるべきと思いますが、改善策の匂いみたいなものが結論であるかどうかという話ですよね。

椛沢:スポーツ新聞を読む側もそれを求めているか、という話ですよね。

豊田:そういう面もあるでしょうね。スポーツ新聞の歴史的には阪神タイガースが「あれだけ人気があって見る人もいても、あれだけダメ」というのが、すごく影響していると思う(笑)。

河合:去年、スポニチが、天皇杯でヴェルディが負けたら埼京線で帰るという記事を書いた。あの記事を書いた記者さんを知っていて、そうしたらレッズのサポーターが勝ったあとに、負けたら埼京線!というコールをして、記者さんは記者さん冥利に尽きるだろうなと思った。あのような記者さんのセンスが求められる。女性の記者なんですけど、よく取材をするし、選手のことを大事に思って取材をしている。あれがサッカー文化のひとつだと思う。違う人の見方からすると、なんであんなこと書いたんだ!という話になるかもしれないけども……。

豊田:サッカーと関係ないと主張する人もいるでしょう。文化的なところまでの視野をスポーツに求めないファンだっていますから。レッズのサポーターの素養を計算した上で、情報が出る。そこに反応がある……。個人的にそういう盛り上がりが重要とは思いますが。

河合:そういうメディアで、良いことも悪いことも活字になって、しかも愛情をもって皆さんが書けば、もっともっと良いと思うんですよね。

豊田:総合的に見れば、取材の現場の雰囲気は徐々に回復をしてきたと言えますか?

河合:徐々に回復してきましたね。

豊田:クラブのトップが変わる。監督も変わる。その時点で周辺環境自体までがいっぺんにゼロに変わるという要因は慢性的に抱えているのでしょう。それはメディアサイドの方から「あの時にあの学習をしたじゃないか」とメッセージしても、不確定要素として残らざるを得ないんでしょうね。

2012年のホームタウンへの評価

豊田:さて、続いてはホームタウンの分野です。少年団の方たちとレッズアカデミーのスタッフをお引き合わせする舞台設定が浦和タウンミーティングでもありました。客席におられた北浦和の名物団長さんは、埼玉師範優勝メンバーであった池田久先生に中学時代に体育を教わったという方なんです。サッカーは人間作りの一環だという浦和のサッカー観を中学から大学までの多感な時期に体得して過ごしているんですね。その同級生の方たちは浦和高校、浦和市立等で活躍をされていた。三菱が来てレッズの歴史がスタートしても、この街にはもともと大企業はなかったという前提をお持ちです。

河合:ほほう、なるほど。

豊田:つまり企業サッカーと浦和のサッカーとは相容れないという部分を真正面から捉えてきた年代の方なんですね。その団長さんのもとでコーチを勤める方たちは、もう少し違う感覚をお持ちです。少年時代に浦和サッカーの全盛期を見て、レッズのプロ化を見てこられた世代です。同年代がプロクラブのアカデミーで教えていたり、どこかの強豪校からJリーガーを育てたライバル指導者であったりします。つまり旧来の地元流儀ではだめで、指導という面のところからクラブと手をつなぐ前向きな努力をしないといけないと思っている年代の方たちですなんですね。それで今年から意見発信などをし、双方に能動的に取り組んでもらって、タウンミーティングにおいて同じテーブルについていただくことができました。このようにホームタウンとクラブの指導者同士が向き合えたという点において、僕はホームタウンの努力の採点としては90点くらいを付けたいです。あそこまで行くのには、クラブサイドも含めて多角的な努力をいただいたと思うので……。

椛沢:あのような場すらなかったわけですからね。大きな一歩だったと思うし、これからどうして行くかということでは大きな問題があると思いますけども。

河合:私はレッズが子どもたちの世代のチームを作る段階で、もっと地域と根付かせるために、あのタウンミーティングでも提案させてもらったのは、例えたらレッズが日本代表レッズバージョンで、子供たちが自由に行き来できるようにする。大会がある時に各少年団からピックアップをして、選手をレッズに預ける。その度に補強があったり、少年団で活躍したらレッズに行けて、ダメだったら少年団に戻る。みんなプロの選手が日本代表に入りたいと思うように、レッズが地域でのそんな存在になって欲しい。レッズと少年団と敵対するような感じではなくて、うまくそこをできないのかなと思いました。そういう事例まで実現出来れば夢みたいな話ですけど。

豊田:少年団団長の方に聞くと、これまでに相互の関係を築くチャンスは3年ごとくらいに3回はあったそうなんですね。それぞれのチャンスの時に然るべき条件がそろっていたら、いま頃は双方の関係もピークを迎えていた可能性もあったとか。つまり地ならしのセッティングができていなかったのですね。プロクラブを作っている事情と、子どもたちを育てている事情がぶつかって、お互いが遠慮してしまう場面が多かったようです。

河合:それはそれで先を見据えていかないといけないですね。その一歩としてはタウンミーティングでディスカッションできたのは大きかったんじゃないですか?

豊田:もちろん大きかったと思います。その一歩になるまでが大変だったのですが。次は中体連や高体連にも糸を繋ぎたいところです。

河合:中体連、高体連の選手登録の問題もありますからね。そこで問題なのは、少年団で活躍して、レッズに入りました。でも何かのきっかけで少年団に戻しますといった時の子供達のメンタルケアもしっかりとやってあげないと、育つめも摘んでしまうこともある。それが原因でサッカーが嫌いになる、レッズが嫌いになるのは私は嫌なんですよ。そのような挫折を味わった時にもう一回頑張っていくんだと思えるくらいのものがあると良い。中村俊輔はジュニアユースからユースに上がれなかった時に高校に行って、高校で華がひらいて、もう一度マリノスに行くんだという気持ちで彼は過ごしたという話を聞いた時に、レッズでもそのようなことがあっても良いとおもう。少年団で優秀な子がレッズに流れてしまうというだけでは嫌なんですよね。

豊田:そういう育成では可能性の幅がない。子どもが成長して行くケースの許容が少ないと、道が一本しかないという気分になってしまう。子どもたちがセレクションにもれた瞬間に、他の道はないということになってしまうのです。

河合:だから、地域代表の浦和レッズという目標になると良いなと思いますよね。ダメで帰ってきても選ばれたんだとおもって、また頑張れば呼ばれるというものになれば、100点満点。焦らず少しずつなのかなとは思います。

椛沢:それがFC浦和という選抜チームだったと思うのですが、JFAのレギュレーションによってチームとして認められないということで、全少に出場できなくなって、公式としてのFC浦和がなくなった経緯なので、レギュレーションとしてどうなのかなと思いますけども、レッズから外れてもさらにFC浦和に行くとか、受け皿がたくさんあると良いですよね。

豊田:そのためには前提として「大人たちのパイプ」も築かれていることが重要。ホームタウンは指導者との交流の発端を作ったということで90点ですね。残りの10点は未来への期待値です。指導者もホームタウンとクラブ双方の関係を築くために情報の共有と継続をする。そのための努力はクラブサイドが責任をもって先導すべきと思います。まあ、土橋くんと内舘くんが少年団の近くにずっといてくれれば一番良いワケですが(笑)。

河合:良いなあ。そうなってくれれば、浦和レッズの未来は輝いてますよ!

2012年のスタンド、サポーターの評価

豊田:ですよね。さて、たかネエから見て、今季の応援は如何でしたか?

河合:正直いって、埼スタがいっぱいにならないことが何よりも……。バックスタンドまで使ったビジュアルもできなくなってしまった。それがすごく悲しい。

豊田:たかネエと私が初めて会ったのは、私がレッズが降格をしてJ1に復帰するドキュメントを書いている2000年のシーズンの時でした。当時は駒場で応援をしていても、(スタンドの)あのエリアでは誰が責任をもって誰が盛り上げているのか、スチュアードはどうか、このフットボール劇場を誰がどのように盛り上げるに関して顔が見えていた気がするんです。そこが希薄になった気がしますね。スタンドの密度や雰囲気が維持できなかった経緯には、そういう原因もあったように思う。まあ、大住良之さんはその部分を差して「サポーターがお客さんになってはいけない」という。お客さんになったら、駒場は駒場でなくなり、埼スタは埼スタでなくなると言われるわけですが。

河合:埼スタが満杯にならないのは、そこは大きいかもしれないですね。当時は空いているシーズンチケットの席を控えて、クラブスタッフが電話をして、何試合もいらしていないけども、どうなさいましたか?と聞いていた。転勤になって行けなくなったということだったら、お譲りして頂けますかと席を埋める努力をしていたんですよね。コラムでも書いたんですけど、「浦和だから出来ること」。それを忘れないで欲しい。あの時ああだった、あの時はいっぱいだったねと終わってほしくない。人が人を呼ぶ。うちの母は高齢なので、最近は埼スタに行かなくなってしまったんですけど、昔は弱くても駒場に足を運んでいた。なぜかと言ったらみんなが必死になって応援する姿が見ていて気持ちが良いし、自分も大声を出して、レッズ負けたけど、みんな一生懸命頑張ったわよねと思えるから、また行くんだと言っていた。埼スタになってからはだんだん、足が遠のいてしまって、母は押し付けがましいと言うんですよ。

椛沢:駒場で見ているのと埼スタを見ているのと、同じサッカーを見ている感覚が違いますよね。駒場ではサッカーを見ている気がするけれども、埼玉スタジアムはどうしても劇場で何かを見せられているようになってしまう。そのような舞台装置の違いを、まだサポーターが常時使いきれていないのかもしれない。反面、満員になった時の埼スタがすごい力を発揮した試合もあると思います。

河合:レッズサポーターしかできないことは、たくさんあったと思う。滝のような紙吹雪。みんなが必死になって呼びかけて、ああなった。あの日、浦和の駅から駒場スタジアムまで、コンビニのビニール袋に入れて、勝ちたい、勝たせたいという思いをもって、サポーターは歩いていたと思う。ACLの城南一和戦のPK戦でもゴール裏にみんな大旗を運んだ。それは強制でも強要でもない。

豊田:昔はオフィシャルからの呼びかけとか発声なんてなかったですからね。言われなくても行くに決まってんだろうという気骨のある人間が牽引していた印象が大きい。逆に「来てください」と揉み手が見えると遠のくわけです。それがチーム成績とともに悪循環に陥った。難局ですが、もう一回巻き直さなければなりません。

河合:消えかかった情熱ももう一回火をつけて歩かないとだめなのかと思いますね。

椛沢:すべてのタイトルを獲り尽くしたことで、ゲームのクリア感を持ったサポーターも多かったんじゃないかな。それで離れたサポーターも多かったし、逆に20年経って、若い世代も増えてきて、アジアに初めて行くということで、勝ちたいという気持ちがあるし、そういうサイクルがあるので、そういう意味ではこれからなのかなと思います。

河合:私の友達でシーズンチケットを持っている人は、株主ではないけれども、クラブに投資をしているつもりだと。その自分が払ってお金で選手のストッキングの一部になっているかもしれない。そう思うだけで幸せだったと。ところがそういう友達がシーズンチケットを初めて手放してしまうんです。今は行きたい試合があればチケットも買えてしまうし。

豊田:努力をしないとチケットが手に入らない状況もないし、やめたところで行きたい時に行けてしまう。

河合:買えなかった時にシーズンチケットで良かったと言える時があるんでしょうけどね。海外を見たら、シーズンチケットはその家の家宝であり、親から子供、子供からその子供へとつながっていくわけです。

豊田:そうずっと信じて買い続けて来た人は多かったと思います。私の周りでもシーチケを手放した人が複数いる。私もシーチケの席種を格下げしたんですが、心情的にクラブに対してはこの手でしか意思表示ができないという話だと思う。

河合:ほかの友達もシーチケを手放して、人が来なければ浦和レッズは考えるだろうと。今まで自分たちが間違っていたことを考えるだろうと。私にとっては愛のムチだと言っていたけれども、それもさみしい。もう一度呼び戻したいです。

豊田:宇都宮徹壱さんや海江田哲郎さんといったJ2にまで精通したライターにレッズの将来を考察する取材をすると、かならず「豊田さんと話していると、つくづくレッズとレッズサポーターは天国と思います。絶対に来シーズンがあるという前提でサポーターが話の出来るクラブ、日本中にいくつあると思いますか?」という話が出てきます。今季のレッズは3位でしたが、上の2チームは関東圏のクラブではありません。“ローカルハングリー”を抱える仙台にしろ、鳥栖にしろ、浦和よりもはるかに厳しい情況の中から這い上がってきました。10年前ならウチとは天と地の差があって、浦和なんて天国だと思っていたチームが上に来ているわけです。優勝した広島はレッズに移籍選手を提供しながら勝ちきり、アカデミーにおいてもプリンスリーグEASTでダントツ優勝を果たしている。表層上は1位と3位でも、才能輩出の内部ピラミッド構造の完成度に関しては差をつけられていると認めざるを得ません。スポンサー企業の件も含めて、こういう現実はホームタウンもクラブも、重く受け止めなくては彼らに追いつけないと思う。

河合:そういう面の遅れは認めざるを得ないな(笑)。だってうちが来シーズン、DHLは鳥栖さんにどうぞと言いたくなるくらい。それは現実的になかったわけだけどもね。サッカーにおけるハングリーさがないと言われれば、そうかも知れないよね。

椛沢:あのJ2プレーオフの試合でも大分は、ハングリーの違いを見せつけられた。鳥栖戦もそうでしたけど、その違いを最後感じさせられた。鳥栖はスタジアムがいっぱいになり、このクラブがあることが幸せなんだという雰囲気が充満していましたから。

豊田:そういうピュアで一途な道を辿って来たクラブに遅れを取っているという現実は、レッズ系のメディアはもっとスポットを当てて認知させるべきと思いますよ。相良君が言っていた「下位のチームに意地を貼られるチームではなかったはず」という言葉。そういうスピリットを呼び戻す努力は、皆で励行しなくてはなりません。

河合:私が思うに、ガンバもフロントがしっかりとしないがために、あのような悲しい結果になった。うちもフロントがしっかりしないために、去年は厳しい結果になった。オジェック解任劇があって、フィンケさんの時代もグラグラし続けて、いつ差し歯が抜けてしまうのかというくらいグラグラしていた。フロントがしっかりしないと、いくら選手が良くても、いくらサポーターが支えてもチームは崩壊してしまうという経験をレッズはした。なんとか踏みとどまったけども、ガンバは浦和レッズの失敗を見ていなかったんだなと思います。

豊田:それは傍らから見ていても分からなかったかも?ですね。そうとは分からずにあのようなマネジメントをやったかもしれない。

河合:本当にチームを愛して、クラブを愛していたら、あのようにクラブは動かないでしょう?

豊田:リーグ戦終盤にガンバ番記者さんのサイトや担当の新聞記事も読んでいたのですが、遠藤、二川のような代表級の選手がいるのだから大丈夫だろうという雰囲気があったとの証言が複数あった。タイトル獲得の目標設定もなく、単に「大丈夫だろう」という雰囲気だけがあることは危険信号なんです。考えたくはないが、これに似た空気感からレッズが抜け出せないとなると、仙台、鳥栖にはこれからもやられ続ける危険性が大と思いますね。

河合:ですね。レッズ対ガンバ戦を見ました?あの時のガンバはすごく強かった。うちに対してあれだけできるガンバが落ちないだろうと思った。

椛沢:あの後の日本平での試合もすごい試合をして、これはガンバは落ないだろうと誰もが話をしていた。あれで選手もクラブもあれで大丈夫だろうという空気が出たのではないでしょうか。

河合:フロントがしっかりしていないと、クラブはすごい年月をかけて作り上げたものを一瞬にして失うんですよ。

豊田:うちは2回やってはいけない(笑)。ガンバがレッズの教訓をいかせなかったと言っているんだから、当のレッズがもう一回やってはいけないです。

<2012年浦和区にて>

<了>

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