浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「兄弟の絆~野崎雅也選手」(2/2)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

野崎兄がJリーガーに。

フットボールを始めたきっかけは、人それぞれであるが、兄弟の影響で始める場合も多い。浦和の選手では、阿部勇樹選手や小島秀人選手、池田伸康ユースコーチ達は兄がフットボールを始めた事で、兄の背中を追いかけるようにボールを蹴りだしたそうだ。兄弟でフットボールを楽しむ子供達は現在も多い。しかし、兄弟Jリーガーとなると極限られて来る。双子では、佐藤兄弟(勇人選手・千葉 寿人選手・広島)や森崎兄弟(和幸選手 浩司選手・広島)は有名である。古くは、柱谷兄弟や三浦兄弟、浦和では三上兄弟も名を馳せた。いくら兄弟とは言え、同じ環境で育ってもそれぞれの個性があり、考え方や身体能力の違いがある。それぞれが個性を伸ばして、兄弟揃ってプロになると言う事は、本当に難しい事だと思う。

そして今シーズン、新たに兄弟Jリーガーとして野崎兄弟が加わった。浦和の野崎雅也選手と草津の野崎桂太選手である。

「今度、僕の兄がザスパ草津に入るんです!」と野崎選手は本当に嬉しそうに満面の笑みを湛えて話した。「小さい頃、兄貴はアルディージャのJrユースにいて、僕にとっては憧れの存在でした。いつも兄貴の背中を追っていました。兄貴は足が速く、フィジカルも強く、空中戦も強い。僕とは全くプレースタイルが違うんです。自分に無い物を持っているのが兄貴だが、プレーの中で色んな方面で伸ばせる事を示してくれる道しるべでした」と誇らしげに兄の話をしてくれた。その野崎選手の自慢の兄である野崎桂太選手は、東洋大から今シーズン草津へ加入した。「兄貴はね、パスもドリブルも上手く無いが、何だかんだ言っても点は取るんですよ!」と野崎選手が言うように、得点感覚が優れ、ポストプレーも出来る181㎝の長身FWとして草津では期待されている選手だ。実は、野崎桂太選手は大学時代にフットボールを辞めるところまでいきかけたが、厳しいプロの道に入って頑張っている弟の野崎選手の姿を見て奮起したそうだ。

今までは、兄の背中を追っていた野崎選手であったが、今度は野崎選手が道しるべとなって兄の背中を押す事になったのだ。

「お互い厳しい環境の中で、チームは違うけど立場は一緒。兄貴がプロになって凄く刺激を受けました」と野崎選手は目を輝かせた。その輝く瞳の先には、Jリーグのピッチがある。試合に出場するチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。だが、試合に出られない不安はもちろんある。それを払拭する様に野崎選手は「兄貴とね・・・。俺たちは雑草で努力しないといけないんだ!って確認しあったんです。お父さんは、やるんだったら、やり切れ!って応援してくれる。野崎家の伝統は成長が遅くて、努力型ですよ」と力強く話す。野崎兄弟は、努力に勝るものは無い事を知っているし、努力は必ず報われる事も知っている。

兄弟対決の話を聞くと、楽しみにしているのかと思いきや野崎選手は「ピッチでの対戦は絶対に嫌だ!小さい頃から、兄貴にプレーを見られているし・・・。僕の癖を一番知っているのは兄貴だから、練習試合でも勘弁して欲しいです」と話し、理想の兄弟像を聞くと、しばらく考え込んでから「兄弟って言えば、マリオ兄弟しか思いつかないです」と恥ずかしそうに答えた。お互いの長所も短所も知りつくしている野崎兄弟は、マリオ兄弟のように仲が良く、所属チームもポジションも違うがお互いを刺激し合いながら成長をしていくのだと、野崎選手と話をしながら微笑ましく感じていた。

弟は兄を越え、また兄も弟を越えて行く。固い絆で結ばれた野崎兄弟が、大歓声に包まれて輝くピッチの中でいつの日か対決する姿を見てみたいと思った。それが、2人の成長の証となる。

スポーツには怪我は付き物!河合もボールを蹴りながら、様々な怪我を実体験してきました。そんな河合が、スポーツを楽しむために、身体のしくみ、怪我の予防、怪我した時の対処方法などを川久保整形外科クリニックの川久保先生に質問していきます。

Q.川久保先生ご自身もフットサルなどを楽しんでいらっしゃいますが、先生とサッカー、各スポーツとの繋がりは?

A.私は浦和生まれの浦和育ですから、もともとサッカーは好きでした。部活などで本格的にサッカーをしたことはありませんが、小学校の頃からボールを蹴って遊んでいました。また三菱ダイヤモンドサッカーやワールドカップ(中学生の時、夜中にドイツとオランダの決勝戦を見た)などの海外のサッカーをテレビで見て、ますますサッカーが好きになりました。浦和にレッズがやって来て、駒場スタジアム足を運びレッズにどんどん引き込まれていきました。

私が整形外科医になったひとつの理由は、スポーツ医学に興味があったからです。大学の整形外科教室に入局して膝関節の研究班に入りました。当時、膝の専門医がスポーツ外傷を担当するようになり、そこからスポーツ整形外科が広まっていきました。いまでは膝の前十字靱帯損傷の手術は標準術式となっていますが、当時はまだその診断、手術方法も確立しておらず、その病態、手術法を一生懸命に研究していました。これが私のスポーツ整形外科の原点です。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科クリニック
整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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