浦和フットボール通信

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ACL遠征レポート広州恒大戦

6年ぶりに帰ってきたアジアの舞台。待っていたのは中国の巨大資本を擁するクラブだった。明らかに規格外のチームに対して、我々はどう相対していくべきか。今回の遠征で、様々なことを感じさせられた。今回は、ACL広州恒大戦の遠征レポートをお送りしたい。(浦和フットボール通信編集部) 

2012シーズンの最終戦。浦和レッズは、槙野の強烈なFKなどで、名古屋に勝利。他会場の結果を待って3位に滑り込み、アジアチャンピオンズリーグの出場を決めた。2007年に初出場で初優勝を果たし、2008年はシードで出場したアジアチャンピオンズリーグ以来、実に6年ぶりの出場となった。

アジアの舞台の初戦は、敵地で迎える、広州恒大戦となった。広州恒大は、不動産会社の恒大がバックにつき巨大資本を下にチームを創り上げて急成長しているチームだ。監督にはイタリア代表でワールドカップ優勝。ユベントスなどビッククラブを率いて、チャンピオンズリーグも制覇している世界の名将マルチェロ・リッピを年俸10億円で迎え入れ、選手もドルトムントで香川のチームメイトとして活躍したCFバリオス、フルミネンセでワシントンと共にプレーをした、アルゼンチン出身のMFダリオ・コンカ、高速アタッカーのムリキなどを擁し、外国籍選手に100億円をかけているとも言われている。また国内選手もほとんど中国代表選手と、圧倒的な戦力を有しており、アジア基準を飛び越しているクラブだ。また観客動員数も46,000人を越えており、その勢いはとどまることを知らない。昨年のACLでは浦和レッズも対戦した韓国の全北現代と対戦して、全北のスタジアムに大挙して中国サポーターが詰め掛けて、現地では、浦和レッズのインパクトを越えたという話も伝わってきていた。

久しぶりの大アウェーを期待して、私は香港を経由して広州に入るツアーで遠征することを選択した。試合前日の午前中に羽田空港から飛び、約5時間程度で香港国際空港に降り立った。香港はアジアを代表する世界都市で、金融や流通の要所として栄え、超高層ビルが建ち並び、未だ発展を続ける町だ。この街を歩くだけでもアジアの活気、勢いを感じることができる。香港経由にした一つの理由には面白いお店があるからだった。

その名も「浦和」。和食を提供するジャパニーズレストランの居酒屋だ。カナダ人オーナーが、かつての浦和レッズのアジアでの活躍を見て、浦和という文字が気に入り、店名にしたという話だ。店内にも至るところに浦和の文字があり、香港にいながら、不思議な感覚になれる店だった。香港では日本文化が人気のようで、様々な日本料理を食べることができる。牛丼の吉野家はデートスポットとして有名で、日本でのイメージとは大きく異なるそうだ。この「浦和」も寿司、刺身、焼き鳥などの居酒屋メニューなどがあり、日本のお店と遜色のない美味しさだった。現在では香港に3店舗を展開する人気店だそうだ。帰りがけに日本から持ってきた浦和レッズのステッカーをスタッフにプレゼントすると「オー!ウラワレッズ!」と浦和レッズの存在をもちろん知っていたようで、喜んでもらえた。香港お立ち寄りの際はぜひ足を運んでもらいたい。

試合当日はサポーターによる香港、広州往復のバスツアーに参加させてもらい、往復することにした。広東省に位置する広州は香港の北側にあり、鉄道、道路で結ばれている。電車では2時間程度、バスでも4時間程度で着くことが出来る。現在、香港と広州を繋ぐ新幹線も建設中のようで、そんな所でもこのエリアの勢いを感じることが出来る。
バスを走らせて1時間ほど過ぎると出国と入国のイミグレーションがそれぞれあり、出国手続きで一度バスを降りて、また乗って降りて、入国審査を受けるという形だった。

香港を抜けると深釧という街が現れる。20年前に経済特区に指定されて以来、急激に成長をしている街で、現在では1,000万人近い人々が暮らす街になっているそうだ。ここを通過して3時間ほど走ると広州の街が見えてくる。こちらも人口が約1,300万人で、北京、上海に継ぐ中国第3の都市だ。高層ビルが立ち並ぶ町並みの中に、広州恒大のスタジアムはある。天河体育中心体育場は、収容人数58,500人、日本男女のサッカーが優勝したアジア大会の会場でもある。

バスは一度、レッズサポーターが拠点とするホテルに到着。ここで試合のチケットが手渡されて、全てのサポーターがスタジアムの入場ゲート近くまでバスで移動しなければならない。反日感情が強い街、Facebook、Twitterは検閲で繋がらないなど、様々な憶測が飛んだが、全てそんなことはなかった。出発時間の間、街中に出て食事を取ったが、普通に歩く分には、さしたる問題はなかった。日中から、ガスっている天候だったが、これは大気汚染が原因とのことだった。空気は確かに悪い気がした……。

17時半にスタジアム入場ゲート近くにバスで到着。バスから見える広州サポーターは至って普通のサポーターではあったが、スタジアムは厳戒態勢。公安、警備などが10,000人投入されるなど、辺りは物々しい雰囲気だった。バスを降りて、そのまますぐ入場ゲートに誘導、チケットもぎり、荷物検査は日本と同じだったが、金属探知機でのボディチェックも入り、横断幕など応援アイテムなどについても、一部、持込禁止となる物もあり、基準の分からない制限があった。これもアジアのアウェーだ。

横断幕についても事前審査が浦和レッズを通して行われていたが、結果的に掲出は2枚までと制限が入ったため、レッズサポーターは、敢えて「THE PRIDE OF URAWA」の幕1枚にだけ思いをのせて掲出することを決めた。

日本から集まったサポーターは約800名。アウェー側の一部スタンドを『TRUE RED』で埋めた。アウェイスタンドは、広州サポーターに囲まれているため、四方八方に公安がバリケードのように張り付いた。そんな厳戒態勢ではあったが、スタジアムの雰囲気には殺伐としたものはなかった。約40,000人が集まり、4箇所のエリアに分かれているサポーターが応援を繰り返していたが、Jリーグが始まった時のサポーターのような雰囲気があり、まだまだ発展途上の文化なのだと思う。応援もアレ浦和、ハバネラの手拍子などレッズサポーターを模倣したものがあり、少なからず影響も受けているようにも感じられた。

試合開始直前、リーダーが柵に登り、集まったサポータに呼びかける。「そろそろ行こうか!」その瞬間、公安が集団で止めにかかるが、仲間のサポーターがそれを制止させて、呼びかけが続く「日本で待っているサポーターにも声を響かせよう。でっかい声で行くぞ!」そこから赤き血のイレブンの大合唱が始まった。「赤き血のイレブン、ラララ、浦和レッズ!世界で見せつけろ、俺たちの誇り」。レッズの初のアジアの戦いのために認められたチャントが、久しぶりに帰ってきたアジアの舞台で響き渡る。

そして試合もキックオフ。序盤はレッズのサイド攻撃に広州ディフェンスがついてこれずに、宇賀神、槙野などがチャンスを作り出すも決めきれなかった。レッズがリズムを掴んでゲームを進めていたが、阿部のパスミスから広州の外国人トライアングルがここぞとギアを切り替えてゴールに向かっていく。コンカのスルーパスを受けた、ムリキが左サイドに飛び出し、対応した槙野を深い切り返しで交わして、えぐると、中にいるバリオスに合わせてゴール。強烈な個人技からレッズは先制点を与えてしまった。アジアにおいては規格外の外国人トリオの破壊力をまざまざと見せ付けられてしまった。その後も広州ペースで試合が展開されるが、なんとか広州の攻撃を凌ぎ、0-1で前半を折り返した。

20度を越え、汗ばむ天候の中、ペットボトルの持ち込みも禁止。売店でこそ水分が売られているものの、水分が足りなかったが、湿気も高かったために、幸いに喉が渇くようなことはなかった。「相手は確かに上手いが、どこかでチャンスが生まれる。その隙をついて俺らもゴールを狙おう」圧倒的なアウェーの中で、どうリズムを自分たちで掴むかレッズサポーターも考えて後半戦に挑みサポーティングを行った。しかし、後半に入ると、前半のようなスペースを与えてもらえず、サイド攻撃も封鎖されて、ボールを終始持たされるような展開が続いた。マルシオに代わり、阪野がワントップに入ると、ここでボールが収まり、さらに2列目に下がった原口が、前を向いてプレーが出来るようになり、原口のプレーが怖さを増していく。その原口の突破からチャンスを作るも決定的なシーンを作り出すまでには至らなかった。どちらが次の点を奪うかという時間帯の中で、レッズは自ら断ち切ってしまうようにバックラインのパス回しを掻っ攫われると、そのまま右サイドを崩されて、中央に飛び込んできたムリキにゴールを奪われて、2点目を与えてしまった。こうなると広州はさらに圧力をかけてくる。耐えに耐えて、チャンスを窺うが、終了間際に鈴木啓太がシュートのはね返りをクリアしきれずにオウンゴール。0-3の敗戦となった。

うな垂れる選手たちが挨拶に来るとレッズのスタンドからは「浦和レッズ」コールが起きる。シーズンはここから始まったばかり。今週末にはリーグ開幕の広島戦もある。我々はこんな所で下を向いているわけにはいかない。これからもっと強くなっていかなければならない。

「この悔しさを晴らすためにも4月に広州を迎え入れる時はスタジアムに人を呼んで、もっとすごいアウェーを見せて4-0で勝利してやろう」コールリーダーが中国に集まったまたサポーターに、こう伝えて、最後に締めた。広州のサポーターは試合終了後10分もすると、ほとんどの人が退出し、レッズサポーターもそれを待って、ゲートに横付けされたバスに乗り込み、スタジアムを後にした。

6年ぶりに帰ってきたアジアの舞台は、さらに高い壁となっていたという印象が強い。急成長を遂げる国、街の中で、クラブも巨大資本を得て、日本には存在しない強烈なタレントが存在している。この試合を受けて感じたのは、浦和レッズはJリーグの中で収まらず、アジア、世界に誇れるクラブになっていかなければ、このようなアジアのクラブに対抗が出来なくなっていくという危機感だ。Jリーグは20年の歴史を積み重ね、その経験、実績は大きな武器になる。しかし、それに胡坐をかいていれば、勢いのあるアジアのクラブに一気に追い越されてしまうだろう。浦和レッズがアジア、世界で勝ち抜くために、如何に魅力あるクラブに育てていくか、これは我々にも課せられた使命だ。10年後、20年後のレッズは、どんなクラブでありたいか。これは継続して問うていきたいと思う。

 

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