浦和フットボール通信

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「フットボールクラブが進むべき道」トリノ、浦和、大宮が参加。公開シンポジウム「サッカーと地域社会」

公開シンポジウム「サッカーと地域社会」

日時:3月22日18時~20時
場所:With You さいたま(セミナー室)

パネリスト:
Alberto BARILE(Torino Football Club S.p.A.マーケティング・広報責任者)
白戸秀和(浦和レッドダイヤモンズ社長補佐)
久保田剛(大宮アルディージャ事業本部長)
山本 充(埼玉大学教養学部教授)
司会:
梶島邦江(埼玉大学教養学部教授)
菊原伸郎(埼玉大学教育学部准教授)

主催:埼玉大学教養学部
共催:浦和レッドダイヤモンズ・大宮アルディージャ
協力:さいたま市サッカーのまちづくり推進協議会
後援:さいたま市

イタリア・セリエAのトリノFCスタッフを迎えて「サッカーと地域社会」を考える。

3月22日、さいたま市内で、埼玉大学が主催するシンポジウム「サッカーと地域社会」が行われた。ホームタウンから浦和レッズの白戸秀和氏、大宮アルディージャの久保田剛氏、そしてイタリア・セリエAからトリノFCのアルベルト・バリッレ氏が招かれ、埼玉大学の山本充氏も登壇した。このシンポジウムは、伝統のイタリア・セリエA、かたや年若いJリーグ。両者におけるサッカーと地域社会の関わりを、トリノFC、浦和レッズ、大宮アルディージャのスタッフと共に探っていくというテーマの下に行われた。

イタリアにおいてカルチョ(サッカー)は、特別な存在。

アルベルト・バリッレ氏は、イタリアにおけるカルチョは、国民のほとんどの関心事であり、そのため経済、政治を動かすくらい重要な位置を占めるものであると語り、歴史から来る、イタリアにおけるサッカーの位置付け、トリノFCの位置付けや、地域における活動などを紹介した。
「イタリアのサッカー産業の商業取引高はシーズン2010-11で、25億ユーロ(25兆円)前年比マイナス1.2%。しかしサッカーの生産コストは、29億ユーロで、1.5%増加している。しかし、イタリアのプロサッカーは顕著な赤字で、4億2800万ユーロ。ヨーロッパ全体の赤字の35%を占めている状況にある」。

カルチョの歴史は1555年、ルネッサンスの時代にも遡る。

「イタリアにおけるカルチョの誕生は、最初の記録は、ルネッサンスの頃に遡り、アントニオ・スカイーノディサーノが書いた『ボールゲーム』が1555年。ロレンツォビーニの書いた『サッカー』は1688年に書かれたものがある。イタリア初のフットボールクラブは、1881年のトリノのインターナショナルフットボールクラブ。1894年創設のフットボールクラブ・トリネーゼは最初の頃からサッカーのみを専門としたクラブだった。1893年に出来たジェノヴァ・クリケット&アスレティッククラブは、ジェノヴァ在住の英国人だけが参加できるクラブで、1897年になってサッカーも始めました。2チームの初めての試合は、1898年1月6日、ポンテカレーラというところで行われて、同年3月にイタリアフットボール連盟(FIP)がトリノに創設されてジェノヴァ、FCトリネーゼ、インターナショナル・トリノ、トリノ運動クラブの4チームが参加した。初めてのリーグ戦は1898年5月8日、ワンデーで行われてジェノヴァが優勝しました。その後、年月とともにイタリアで国技となりました」。

トリノFCはイタリアで最も歴史のあるクラブで栄光と悲劇を体験してきた。

「トリノは、1906年に生まれました。イタリアで最も歴史のあるクラブとみなされています。1927-28に初のスクデットを獲得。15年後の1942-43に再び優勝。そこから5年連続のスクデット獲得。しかし1949年に悲劇に遭います。ベンフィカとの親善試合の後、チームが乗った飛行機が悪天候の中、丘の上にある、スペルカ大聖堂に激突して、ほとんどの選手が亡くなりました。時代のシンボルでもあったチームに対して、お葬式には長い列ができ、50万人の人々が参列。トリノの町全体が寄り添いました。トリノは、サッカーチームだけではなく、世界大戦後から苦しみながらも前進していこうという国の誇りも表していました」。

トリノFCは、地域においても特別な存在

「クラブが、ピエモンテ州の州都所在地の名前を名乗っていることがあり、州全体として重要かつ特別な存在であり、クラブもサッカーにおける貢献だけではなく、行政と共に社会的な貢献も行っています。市の通り、公園にもクラブの100年の歴史が反映されるよう働きかけて、スタジアムの前の広場も「グランデ・トリノ」という名前がつけられています。それは州やイタリア全土からの暖かい気持ちの証拠です。現在では、過去の影響の場所であったフィラデルフィアスタジアムの再建について何年も実現について討論をされてきて、実現について動き始めました。これはサポーターの念願でもあり、数年後には再建されることになりそうです」。

登録クラブにより、ファン、地域とクラブは結びついている。

「ウルトラスは、基本的にクラブからは認められていない存在であるのに対して、登録クラブはクラブから認められたサポーターのアソシエーションで、クラブは全情報を把握しています。その登録クラブは236存在していて、それが、それぞれの街、村にあり、そこを通してファンがオーガナイズされていて、地域のコミュニティーを積極的に作り出すものになっていく存在でもある。近年ではマルチメディアを使っての関係も維持されて、促進されています。マルチメディアには、全情報や歴史、最新ニュースが掲載されており、ソーシャルサイト、YOUTUBEも始まり、公式ページのファンゾーンでは、クラブが毎々催す企画に参加ができます。ゴール時に流れる音楽をファンが選ぶという企画や、チャリティーダービーで、ユニフォームを着る選手を選んだりもしています。サポーターはクラブからの一方的な情報を受けるだけではなくて、アクティブにコメントをすることで反応ができるようになりました」。

サッカークラブは地域社会においてコミュニティーを活性化させる存在になり得る。

この後、浦和レッズ白戸氏、大宮アルディージャ久保田氏が、それぞれクラブについての紹介。クラブが目指す方向性について語り、Jリーグ100年構想による「スポーツでもっと幸せな国へ」のスローガンを下に地域への貢献、活動を行っていき、地域の存在としてどうあるべきかを模索しながら進んでいるという話を行った。また、埼玉大学の山本氏は、浦和、大宮の観客アンケート調査から、それぞれのファン・サポーターとも地域のクラブとして”おらが街のクラブ”として応援している人が多いという結果を紹介した。

このシンポジウムのテーマの通り、サッカーと地域社会がどう結びついていくかが重要な点で、イタリアでは既に100年以上のクラブとサッカーの歴史があり、文化、地域の存在として、サッカークラブが既に存在していることを改めて知ることができた。クラブは、単なるサッカーという興行を提供するものではなく、地域を代表する存在として、地域コミュニティーを活性化させる存在としての役割がこれからも多くあるのだと感じた。Jリーグは今年で20周年。クラブが地域にどう根付いてかというフェーズに入ってきているのではないかと思う。

 

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