浦和フットボール通信

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URAWA TOWN MEETING 004 「レッズジュニア創設、地元の才能育成をどうするか。」(最終回)

「サッカーの街を名乗りながら、サッカー指導の現場で地元トッププロとホームタウンの連携がない」――― さかのぼれば、このテーマは浦和とレッズがJスタートに際して以来の懸案だった。折しもレッズのジュニア年代へのアプローチが本格化し、レッズアカデミーと地元指導者が連携して地元少年団選抜メンバーを育成するジュニアアカデミープログラムも始動から2年目を迎えている。ホーム浦和の育成は改革されるのか。そこにはどんな未来設計があるのか……。先週に引き続き、FC浦和・町田隆治監督、北浦和少年団・吉野弘一監督、矢作典史レッズアカデミーセンター長をパネリストに迎えて開催された、注目の第4回『URAWA TOWN MEETING』の模様・最終回をお届けする。浦和フットボール通信編集部

2012年10月11日(木)北浦和 ワインバール・ピノキオ

司会:椛沢佑一(浦和フットボール通信編集長)、豊田充穂
ゲスト:矢作典史(浦和レッズアカデミーセンター長) 町田隆治(FC浦和、別所少年団監督) 吉野弘一(北浦和少年団監督)

椛沢:矢作さんからジュニア年代の育成に関する海外事例のお話しが出ましたが、そこは豊田さんも集めてきた情報でもあります。ここでいくつか紹介をしてもらいましょう。

豊田:了解しました。といっても、これは私が取材をしたものばかりではありません。それぞれオランダとイタリア在住の中田徹さんと宮崎隆司さんというライターの方々からの情報です。(ビュアーを指しながら)お二人とも、本場のフットボールタウンはどのように地元クラブとサッカーに関わる生活をしているかという事実を探るべく渡欧された方たち。よってレッズのジュニア創設計画ができる旨の情報を伝えると、URAWAであればこのようなことも出来るのでは?という指標データをいただきました。くり返しますが、これは現状でレッズと浦和36団が出来るという事例ではありません。理想に近いシステムではありますが、地域ごとの経緯や情況が違いますので。ただ世界のホームタウンでは、この種の努力がクラブ主導で普遍的に行なわれている……そういう意味で解釈いただけると幸いです。

豊田:まず最初にご紹介するドイツの例は、私自身の体験情報です。ちょうどレッズのバイエルン・ミュンヘンとの提携関係が脚光を浴びていた頃のエピソード。折しも広告仕事でミュンヘンを訪れる機会があったんですが、アリアンツアレナ近くのヨハネスキルヘンという区域にホームステイしておりました。ご存知の通り当地にはバイエルンミュンヘン、ミュンヘン1860という二つの老舗クラブがあります。ちょうどステイ先のお子さんが、地元の名も無いクラブで練習するシーンに立ち会うチャンスに恵まれまして。で、練習グラウンドに行ってみると案の定いるんですね。バイエルンと1860のエンブレムをつけたジャージやステーショナリを持ったスタッフが……。(ビュアーを指しながら)その方たちに事情を聞くと、実は実際のクラブ職員ではなく地元ボランティアみたいな存在のオジサンだったのですが(笑)。しかしながらご両人ともお互いのスケジュール帳を、それは嬉々として見せてくれるわけです。「地元の子どもにどんな才能があってどんな練習をしているかというレポートを、俺は毎週クラブに報告する活動をしているんだ」という具合……。両クラブともこのように地元スタッフとの提携や共有を欠かさず、連絡網を保持していることが確認できました。『浦和フットボール通信』の欧州通信を担当しているミュンヘン在住の松尾さんにも証言をもらったのですが、少なくともバイエルンミュンヘンに関しては自治体とクラブ内の人材交流が長い歴史の中で活発に行なわれてきた事実が顕著です。こういう組織づくりは直近には無理でしょうね。しかしJを代表するホームタウンを名乗るのであれば、私たちが次世代に引き継いで行くべきクラブとの交流スタンスと考えます。

豊田:次はオランダなのですが、小野伸二君のレポートなどでおなじみのフットボールジャーナリスト・中田徹さんからの情報です。ご存知の通りオランダは九州と同じくらいの国土しかありません。しかしサッカーに関してはおなじみの“育成大国”。巨額スポンサーを抱えているビッグクラブはアイントホーフェンのみで、ここはフィリップスという国際企業がほぼ丸抱えしている経営状況です。かつてブラジルのスターであるロマーリオやロナウドなどの外国人助っ人を獲得してタイトル争いを演じてきた存在なのですが、そこに対抗して自前で育成戦力を伸ばそうという意欲がリーグに溢れているそうです。ここに示したAZはその代表格クラブで、「国土が小さいからこそ、地元才能をスペインなどに安易に渡してはいけない」という意識を徹底させている。ホームタウンとクラブの共同事業としてのスカウティングが継続されていて、40人体制で組織することが中位クラブの合意となっています。担当は地元人材とクラブ人材の混合で編成され、情報交換の機会を堅持しているとのこと。このあたりの機構は先にご紹介したドイツの例と同じです。

豊田:続いてはイタリア。フィレンツェ在住の宮崎さんというライターの方のレポートです。ご自身のご子息もフィオレンティーナのジュニア所属という欧州派。カルチョレポートを書く傍らにイタリアの育成術に関する書籍等も出版している方です。
(ビュアーを指しながら)イタリアは教会教区という教会を中心とした社会区画が整備されており、そこを中心に大人も子どもも集まって、その場でサッカーが始まるという土壌があります。宮崎さんは文化継承としてのカルチョ研究をテーマにされていて、教会は日本のお寺の関係と全く同じであると……。最終目標はサッカー選手を育てることではなく、「サッカーを通じて子どもに社会を知らしめ、街としての成長を目指すこと」に価値を見出している。よって地方などのエレベーターチームはインテルやミランなどの“ミラノの世界選抜軍”を打倒することに主眼を置いているそうです。
(ビュアーのエンブレムを指しながら)例えばここに挙げたアタランタはベルガモットフレーバーでおなじみのベルガモ地方にあるのですが、地元の新生児には自治体の協力のもとにもれなくネーム入りのアタランタ・ユニフォームが贈呈されるとのこと。指導陣の責任者がファビアーノさんという方で、幾多の代表選手を育てた実績はもちろん「指導者を作る指導者」としてイタリアカルチョの大御所と認知される存在。宮崎さんの結論としては「浦和はセリエ人材供給No.1のアタランタに習い、教会教区のように構成される“日本のサッカー教区”になれるのでは?」という提案です。ホーム浦和の36団はイタリアでいう教区の教会に代わる「学校」を軸とした拠点であり、そこに大人も子どもも集まって、学習もしつけもサッカーも伝承される流れが出来うる……という考え方ですね。URAWAのようなホームタウン土壌は日本では希であり、大人がサッカーで子供を育てられる土壌を大切にしてください、とのご指摘でした。

豊田:お話してきたように、海外のライターたちが異口同音に提唱するのは、ホームタウンとプロクラブに必要なことは「人材と価値の交換」というポイントです。クラブと地元がサッカー観と人材を共有し、交流も維持する。自治体、行政等がその重要性を認識し、サポートする。育成に関し、選手の将来選択肢が地元で確保されている……等々の懸案に対する回答が、このテーマの中に含まれてくるわけです。町田監督にも再三伺って来た例なのですが、ジュニア年代の子どもたちは小学生時代のプレーを終える頃に中学受験があります。サッカーを続けるか、どこで続けるか、学業優先か、等々の選択をご父兄ともども迫られながらプレーする時期を迎える。そうしたケースにそなえ、ホーム浦和と浦和レッズは行政・自治体とも歩調を合わせ、サッカー少年のセーフティネットを作って行ければと考えるわけです。

町田:そのような事例は多々ありますね。解決して行かなくてはならない案件と思う。

豊田:ただ現状を見れば、すでに浦和レッズの努力によって「人材と価値の交換」を行なう受け皿は既に存在しています。レッズ・橋本代表の「浦和への原点回帰」のメッセージにもありましたが、レッズランドとレッズレディースとハートフルクラブという3要素は、このテーマを将来的に考える上でのキーポイントとなると考えます。

椛沢:なるほど。では、皆さんからのご意見もお聞きしましょう。

町田:例えばいまの豊田さんの解説に挙がったレッズレディースについてなのですが……実は昨年にジュニアユースと浦和のトレセンチームが一度試合を行ないまして、有意義な共通体験を持つことができました。今年は調整がつかず実現しなかったのですが、今後もやっていきたいと思います。

吉野:(自分が研修などの経験を積んできた)南米においても指導人材、それも少年世代のコーチなどは存在価値がとても大きいのです。いまのお話に出たイタリアの例と同じように、たとえばボカジュニオールズにはマラドニというおじいちゃんの名物指導者がおられます。その方の就任何十周年という記念には、それこそ世界中から指導者が集まって記念行事を行なわれる。育成年代の指導者を重用しており、クラブもそこに力を入れているわけです。このような流れの中でレッズとの交流が築いて行ければと思う。また、いまは女子サッカーが旬。浦和の少年団で女子だけでチームができるところがありません。男子の付属的な扱いでは女子がかわいそうなので、レッズという括りの中で女子を募集し、レディースの練習会をやっていただくのも一案かと思います。

矢作:色々なお話がでましたが、36団以下ホームタウンの皆さんから一緒にジュニアを育てていこうという意向をお聞きするだけでホッとします。12歳のところまでは“グラスルーツ”で広く普及させ、中学生くらいからプロを意識しての選抜が行なわれるというイメージでしょうか。「交換」という言葉が出ましたけれど、機会とか交流を開いておく。みんなの憧れになるようなユニフォームを着るチャンスに繋がる門戸を常に開いておく。そういう努力の必要性を強く感じました。

椛沢:レッズジュニアが出来る中で、この地域のトップカテゴリーになる。その下にFC浦和があったり、少年団があったりという三角形が描かれる。サッカーを純粋に楽しむだけの子がいても良いし、トップレベルに行きたい子にはチャンスもある……。そんな自由な雰囲気のホームタウン環境ができれば、育成活動も活性化されるのでは?という期待を感じます。

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椛沢:最後に質問タイムをご用意していますので、来場の皆さんから質問をいただきます。

参加者:先ほど豊田さんのお話の中でレイソルジュニアに浦和の少年団出身の子が混じっているとのエピソードがありました。そういうお話をもっと聞ければ、ホーム浦和の凄さが実感できると思うんですね。浦和出身、埼玉県南部出身のプレーヤーがどういう所でプレーをしてきたのか。たとえば(今日出席している)町田さんについて言えば息子さんがJリーガー(編集部注:町田也真人選手 埼玉栄高-専修大学-ジェフ千葉MF)。残念ながら浦和レッズには入ることはなかったわけですが、そんな選手たちの話を聞かせて頂けると浦和のサッカーの歴史や奥行や深さがもっと伝わるのかな、と思ったのですが……。

椛沢:なるほど。では、皆さんからご紹介をいただきましょうか。

吉野:浦和出身のプレーヤーから指導者に転進した方は多いです。コンサドーレ札幌のU12監督はコンサドーレ所属のJリーガーだった浅沼達也さん。FC浦和出身です。社会人では佐川急便東京の監督がFC浦和の出身で、田中信孝さんというレイソルのプレーヤーだった監督ですね。ご存知のとおり、FC東京ユース監督の倉又さんやジュニアユースの北さんも浦和出身。浦和は選手ばかりでなく指導者人材も数多く輩出しているということでしょう。他にスクールマスターでも浦和の少年団出身の方は多く、グラマードの堤さんが別所で、フォッズの保坂君はレッズ出身。枚挙に暇がありません。

椛沢:現役のプレーヤーでいうと、ロアッソ熊本の武富君も浦和出身ですよね。

町田:はい。彼は三室出身です。ご紹介の通り、うちのせがれはジェフ千葉所属ですが、そこで同僚の坂本將貴選手は大門出身。FC岐阜に所属している西川雄大選手は大谷場出身と記憶しています。

吉野:いま話題のフットサル日本代表では、小曽戸君が木崎出身ですね。

矢作:ヴェルディ所属の高校生年代には前田直輝君もいます。小さい頃から越境で通っているプロ志向の選手ですね。ホームタウン浦和からの才能流出を危惧する要望もいただいているので、こういう現状はしっかり把握していきたいと考えています。

椛沢:了解しました。さて今回ミーティングの客席には、北浦和少年団の吉川団長にもお出で頂いております。

吉川:北浦和少年団団長の吉川です。浦和エリアの少年団は歴史が古く、私自身の経験で申し上げても35年くらいの関わりになります。今日は北浦和出身者のなつかしい名前をたくさん聞くことができました(笑)。お話に出たヴェルディの前田君は3年生くらいまで北浦和にいましたね。私自身の経歴を申し上げると別所小学校、白幡中学で「神様」と言われた池田久さん(埼玉師範全国制覇メンバー)に教授いただいたことがサッカーとの出会いです。サッカーのさまざまな舞台でURAWAの歴史を積み上げられてきたことは、ずいぶんと聞かされて来ました。矢作さんのお話にあった浦和36団体とレッズの初期の話合いの席には、実は私も同席しておりました。何回かで流れてしまった経緯があって「なぜだめだったのか?」と思いあぐねていたのですが、こういう再構築の機会に臨席でき、やっとたどり着いたなという感慨がある。URAWAとレッズのために、どんどんやっていただきたいです。町田さん、吉野さんもお忙しいことは当然ですが、是非ともレッズさんサイドから接触してあげてください。他のJタウンでは、クラブ発の接触がすでに慣例化しておりますので。そうは言っても、いままでは私たち団長世代あたりが“敷居”を高くしてしまっていたかも?という反省もあります。是非これからは遠慮なくお願いしたいと思います。

矢作:心強いメッセージに感謝します。私自身も実のところは「流出組」なんです(笑)。中学時代から読売ランドまで2時間かけて通っていました。グラウンドが3面あって自分たちでライトを付け「朝から晩までボールを蹴っていい」という時代でした。(、)怪我をしてリハビリ中の、当時20歳そこそこのラモス(に言われてリハビリがてらの彼)と一緒にボールを蹴ったり、他の選手たちとも遊んでもらったり……そうやって(自分自身は)育ったことを(のかと)記憶しています。思えば(当時は、)あれが(先端を行く)フットボールクラブの姿だったのでしょうね。このURAWAにおいても、トップチームから(にできるだけ)地元の子たちまでつながる(が採用される)システムを作りたいと思っております。海外にはセカンドチームがあり、日本には大学があったりはするのですが、そういう(世代ごとの)段階のギャップをどう埋めるかが今後の課題になるでしょう。橋本代表以下、クラブ全体で地元としっかりと向かい合い、取組んで行きたいと思います。読売、京都と自分なりのキャリアを経てきましたが、このURAWAほど「自分たちのサッカー」を語れる環境をよそで感じたことがありません。大人たちの結束があれば、子どもたちも心強いと思いますし、レッズの人間は(そういう地元のサッカー土壌を)背負って頑張らないといけません。土橋、内舘ともども、改めて頑張ってやっていきたいと感じています。皆さんには応援と評価と関心を持って頂ければと思います。みなさんと一緒に戦うという意志は、レッズというクラブの全員が持っているはずですので。本日はありがとうございました。

<この項、了>

取材協力:ワインバール・ピノキオ
さいたま市浦和区常盤9-13-5 (北浦和駅 西口 徒歩5分)

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