浦和フットボール通信

MENU

あれから20年……。Remember 1999.11.27 角田修一(元URAWA BOYSリーダー)インタビュー「降格から20年。失った夢を取り戻すためには」全文版

Interview by 椛沢佑一(本誌編集長)Photo by 清水和良

90分での決着がつかず、浦和レッズのJ2降格が決まった。延長1分にゲームを終了させたのはMr.レッズ福田正博のVゴールだった。二度と同じ過ちは繰り返さないと誓った「Remember 1999.11.27」から20年が経つ。URAWAはあの日を覚えているか。当時からスタンドの最前線に立ち、その後もリーダーとして黄金期のレッズをサポートした角田修一さんと振り返る。


角田修一/Shuichi Kakuta
1971年埼玉県生まれ。Jリーグ開幕から浦和レッズをサポートして、1997年にサポーターグループ「URAWA BOYS」を相良純真らと立ち上げる。2003年からリーダーとして活動。03年のナビスコカップ初タイトル、04年セカンドステージ制覇、05年天皇杯初優勝。06年リーグ初制覇、07年アジアチャンピオンズリーグ初制覇と、サポーターを代表してカップを掲げてきた。2017年鈴木啓太引退試合で、リーダー引退を表明した。

11.27とは
99年J最終節が開催された11月27日を指す。
市原、福岡と残留を争っていたレッズは、この日ホーム駒場で
広島と対戦。エース福田正博のVゴールで勝利して同勝ち点で並ぶも
得失点差で1点およばず、翌年のJ2降格が決定した。

降格の裏にあったヒューマンストーリー

UF:1999.11.27は、まさにレッズがJ2降格を味わったあの日です。本誌Vol.33(2009年11月2日発行)では10年区切りでの特集を行いましたが、そこから10年。降格から20年の月日が経ちました。

角田:20年ですか……。10年前は選手もサポーターもリアリティがある中で迎えたと思いますが、それぞれが年齢を重ね、あの時の話をできる人間も少なくなってきた。降格という事実はサポーターが記憶の中で伝えるしかない時間になりましたし、20年、30年と経つと活字などで残さないと伝えられない時間が経過したのかもしれないですね。

UF:世界の様々なクラブにおいてもクラブの中で忘れない出来事というものがあると思いますが、浦和レッズにおいては、この『1999.11.27』が一つの忘れてはいけない歴史の一つであることは間違いないと思います。

角田:浦和レッズにとっても初めての経験で、もう二度と繰り返してはいけないシーズンとしたと思うので、自分がレッズを見る上での反省と、これからの将来を考えた上での目安になったシーズンだった。自分としてもサポーターのリーダーをやりながら思っていた意識の水準として一つの定義となっているシーズンが1999年と2000年でした。

UF:あの頃を思い出す出来事といえば何でしょうか。

角田:あの当時は今のクラブとの距離感が違うのかもしれないですが、レッズが浦和市民の誇りや象徴だという意識がありました。「PRIDE OF URAWA」という言葉に対しての意識はチームも選手も理解していたので、その言葉が書かれたTシャツを渡して、岡野雅行選手らがユニフォームの下に着て戦ってくれて、思いを一緒に共有してくれた。翌年にJ1昇格した時も、そのTシャツを着てくれたという泣かせる話もあって、そんなヒューマンストーリーが自然と描けていたというのが、あの時の強い印象です。個々に浦和レッズを自分のものとしてストーリーを描いていたのだと思います。

UF:試合自体も今でも忘れることがないインパクトがありました。

角田:特に降格が決まった後の延長戦というものは浦和にとっては大切な時間だった。タイトルも掛かっていない。降格も決まっている。勝つか負けるかという結果だけが決まる。そんな無機質な状態の中で、浦和レッズがあれだけの叫びができたというのは、思いがなければ出来なかったと思います。

UF:最後に当時の象徴であるMr.レッズの福田正博さんがVゴールを決めて終わるというのも何とも特別なフィナーレを迎えることになってしまいました。

角田:最後に福田さんが決めてくれずに負けていたら、もっと浦和レッズの光というのがなかったかもしれないし、あのゴールだけで当時は助けられました。

降格によって高まった浦和スピリッツ

UF:J2降格という屈辱的な結果となりましたが、あの出来事によってよりレッズの中での一体感が強まった部分もあるような気がします。J2の舞台でも多くのサポーターがホーム、アウェイに関わらずスタンドを赤く染めました。その一体感を力に、最終的には2007年のアジア王者までたどり着く黄金時代も作ることができたように思えます。

角田:降格をしてサポーターにも突きつけられた宿題があったと思います。浦和は多くのサポーターが来るスタジアムなだけに、一つになるということが一番難しい。みんなが反骨心を持って、隣の人間よりも強い意識を持ってチームを支えるという意識を持ってきていたので、逆に最初はサポーター内の一体感があったわけでもなかった。このままではダメじゃないかと目覚められたのは、あのシーズンだったと思いますね。もっとスタジアムに行こうとコアな同士が作れたのもあの頃だった。このホームの熱量をアウェイに見せつけようという意識もあったし、ジュビロやベルマーレがカップウィナーズカップで韓国やレバノンで戦っている姿を見て、我々浦和レッズが出るべきだろうという意識でやってきている中で、あの降格を迎えたので、反骨精神で負けず嫌いで集まった人間がどうするかとなった時に自然と動いたというのは成り行きだったかもしれないですね。

UF:クラブ、チーム、サポーターとの関係も25年以上が経って変化してきた部分もあるのだと思います。あの頃は良かったという思い出話だけにするつもりはないですが、あの頃の浦和のスピリッツを語り継ぐべきことも必要な部分もあるのではないかと思いますね。

角田:何事においても発展途上の時は人が集まって、創り上げる喜びとか苦しみが出てくるもの。そこから環境が整備された所で、やらなければいけないことが一番難しい部分であって、それがこれからの時期なのかと思います。昔は駒場スタジアムというある種、歪で未完成なスタジアムを自分たちが作るということの喜びも苦しみがあり、それはそれで充実した環境だったという実感もあります。埼玉スタジアム移行後は、我々の意識も駒場に甘んじてはいけないし、それでも大事な物を残しながら埼玉スタジアムを自分たちのホームとしてどう作るのかという戦いがありました。駒場の方が良かったということが、ある部分で今でも言われますが、2002年のワールドカップで与えられた器を、どうアレンジするのかということがサポーターとしての最大のテーマとして2001年シーズンを迎えた時にあったと思います。 J2を戦った2000年シーズンを含めて、あの頃は色々なことが求められるテーマが今よりもあった。

満員のスタジアムでなければ浦和ではない

UF:10年前の企画でも、レッズの熱狂は勝ちを見に来るサポーターやビジネスだけを考えたスポンサーの力だけではなし得ないものがあった。それを再認識した出来事だったと記しました。

角田:降格によって何か変わるだろうという期待もありましたが、逆に変えてはいけないものをどう守るかということも 2000年シーズンに突きつけられた問題でした。それは浦和らしさ、揺るぎない幹をどう守れるかということ。落ちれば変われるという、たやすいことだけではなかったと思います。

UF:あれから20年経って、残念ながら埼スタは黄金期の熱狂から遠く及ばない状況であることは隠せない事実でもあります。

角田:結束と言ったら簡単ですが、同士が増えた背景には浦和レッズには、人が人を呼ぶという所があって、魅力ある場所、楽しい場所に人が集まるというのがスタジアムであり、街であり、もっと言うと酒蔵力さんのような場所ですが、その人が人を呼ぶという所を、もう一度再認識できたら取り戻せる部分もあるのかなと思います。潜在能力というものは間違いなく眠っているので、それを目覚めさせるのはフロントでもなくサポーターでもなく選手でもなく、僕は“人”全員だと思っているので、人が人を呼べば自ずとムーブメントができると思っています。それにはジェネレーションギャップがあったり、時代に合う、合わないというものはもちろんあると思いますが、根底に流れるものは守って変わらずにやらなければいけない。それが浦和レッズの今後にとっても大事なものだと思うのでそこを分かった人間が人を呼ぶ考えを生み出してスタジアム作りをやらないといけないんじゃないかなと。

UF:99年の降格から2007年にかけてはまさにそういう意識が多くのサポーターにおいても強かったと思います。

角田:満員のスタジアムで選手をプレーさせたい。そういう意識を持って、この後は自分も取り組んでいました。それは最低限の浦和の街を背負っている使命だと思っていたので、空席があるスタジアムでプレーをさせるわけにいかないし、相手サポーターには圧力を与えたいと思っていました。空席があるスタジアムは自分の中では浦和ではないという極端な考えでしたので、そのためにはどうしたら良いかというのは感じる部分では、色々な人と話すしかなかったですし、意志表示をしなければいけないということを思っていました。人が人を呼ぶ意識を持った人間が多くいれば、幅ができてスタジアムの人が増えて盛り上がる。選手は多くの人間の目で見られることで、成長ができる。その緊張感の中で戦えることはチームの向上にも繋がる。そのためには浦和の街が腰をあげないとできない。埼玉県以外の人間も多く来ていると思いますが、彼らも浦和の人間と負けじと来ているので、それはスタジアムの中で隣にいる人間にも言えることで、誰よりも負けない人間が集まってほしいというのがスタジアムの根本的な浦和レッズの在り方だと思う。そこはもう一度見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。

UF:レッズが他のスタジアムにはない熱狂を作り出していた背景は、まさに話して頂いた部分にあったと思います。

角田:11月27日のことで言えば最後に「WE ARE REDS」のコールが起きた。それぞれが浦和レッズへの思いを口にした瞬間だったと思います。あの時の叫び、心からの叫びというものを忘れちゃいけない。どんな思いで応援をしていたか、あの時の2万人が2万人の声を出していたと思うので、そこがある限り自分は大丈夫だと思っていたので、今の叫びをサポーターができるかそこに掛かっていると思います。浦和レッズは反骨心の塊であってほしいし、それが魅力で負けず嫌いが集まってくるスタジアムだったと思うので、それを忘れなければ大丈夫だと思います。

これからの浦和レッズに求められるもの

UF:奇しくも今季のレッズは降格争いを演じる形になっていますが、経験者として歴史を繰り返さないために伝えたいことは?

角田:2011年の残留争いで、自分の中では99年降格の経験が生きたので J 2降格をしても平然と受け入れるクラブチームがある中で、我々は落とすわけにはいかないというのは、レッズで背負っているものが違うという自覚もありましたし、99年の降格の時に二度とこの経験はしてはいけないということを約束したはずなので。2011年は今よりもっとヒリヒリしたシーズンでした。あの時、残留を決める試合となった、アビスパ福岡戦が行われた博多の森に集まったサポーターとは落とすわけにはいかないという気持ちが完全に一致していました。そこを引き出すのが当事の自分の立場でしたし、そうなった時の浦和レッズというものは強い。みんな必死に戦ったと思うし、あの時のスタンドほどかっこいいものはなかったと思います。それに呼応してピッチ上の選手も気持ちを見せてくれた。そこに浦和レッズが目覚めた時の魅力の一つが表現されていたと思います。

UF:これが浦和レッズだと思える瞬間というのは過去にも何度もありましたね。まさにあの福岡の夜はその雰囲気を感じた1試合でした。

角田:過去は時代遅れではなくて今を生き抜くためのヒントだと思うので、良い見本、悪い見本ありますが、浦和レッズのルーツを見ていけば、自ずと答えは出ると思う。25年以上経って浦和レッズは99年降格の時にはなかった経験値という観点からは今の方が間違いなく積み重ねがあるので、ヒントはいっぱいあると思います。それには経験をしている人間が伝えていかなければいけないかなと思います。Jリーグクラブでも経験したことのない過去ルーツを持っているので、そこを振り返ればもっと良くなるはず。コールに関しても歴史があって、ずっと続いているものもある。浦和レッズはそのような積み重ねが存在していることが良さであり強みであると思うのでそこをもっと捉えていけば、迷うことはないと。

UF:降格から20年で、埼玉スタジアムというアジア最大級のサッカー専用スタジアムができて、リーグ王者にもなり、アジア王者に2回になって、カップタイトルも手に入れた。ある意味一度完成に近いような環境ができた中で、その先に対するモチベーションを維持する難しさというものがあったのかもしれません。

角田:当時はノンタイトルのチームだったので、降格の時から比べれば今は多くのタイトルを獲ることができて、こういう状況になっているということは何かしらの問題によって逆に失っているものがあると思う。それは来なくなった人が一番理解していると思いますが、クラブもサポーターも含めて、逆に今も来ている人がそのキーワードを理解しなければ、その人達は戻ってこないと思います。勝てば良いという時代はもう終わりを告げるんじゃないかと思いますね。降格までのレッズ、その後タイトルを獲っているレッズと良い部分と悪い部分があって、併せ持ってこれから30年目の歴史を刻むことができれば、より過去未来をしっかり作れたチームになれるはずです。

UF:単純に勝てば良いというだけでは夢を持てなくなってきているのは確か。いまだACL 制覇を果たしたその先の価値観というものを見出せていない。アジアに出て、アジア制覇をすることが一つの夢でしたが、その先のクラブワールドカップにも出場を果たした今、改めて夢を持つために必要なことはなんでしょうね。

角田:クラブワールドカップで3位になった時にも、自分たちはこの3位以上のものを目指して行くという目標が残されたという思いもありましたが、改めて俺たちは世界一になるというテーマを掲げても良いのではないでしょうか。来年は ACL出場ができないシーズンを迎えて、その現実とどう戦っていくのかということが増してくると思います。リーグ戦奪還が最優先事項だと思いますが、90年代にリーグ優勝もしていないチームがアジアのタイトルを獲るという夢を描けていた。それが過去のヒントでもあると思います。今はもっと水準をあげて浦和レッズは世界一を目指すという夢を掲げられるかが問われるんじゃないでしょうか。ヨーロッパや南米のチームではなくてアジアの浦和レッズが世界一を獲るというのを掲げることができれば、サポーターの中でも良いねと賛同してくれる人も多くいると思いますね。

(2019年11月、さいたま市内にて)

ページ先頭へ