浦和フットボール通信

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深く結ばれた赤い絆は決して切れることはない!行ってらっしゃい!彩艶!【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

浦和人の誇りをもって

「いつかこのクラブで、このピッチで浦和レッズのエンブレムを背負って、ゴールマウスを守り、そして今日までに達成できなかった目標を再び追いかけることができるように世界のピッチで浦和人としての誇りを胸に戦ってきます。約11年間本当にありがとうございました。行ってきます!」と鈴木彩艶選手は、力強く挨拶をしてベルギーリーグのシント=トロイデンVVへ旅立って行った。

浦和の下部組織で育ち、類いまれなる身体能力を武器にしてメキメキと頭角を現し、わずか16歳5か月11日でクラブ史上初となる最年少でプロ契約を結んだほど嘱望された逸材だ。浦和だけでなく未来の日本サッカーを背負う選手の一人として期待され続けている。

もちろん各世代別日本代表でも活躍し、その活躍はシント=トロイデンだけなく、世界の強豪マンチェスター・ユナイテッドの目にも留まった。

「マンチェスター・ユナイテッドからオファーがあったというのは事実としてありますけど、本当にこの決断というのは非常に悩みました」と胸の内を明かした。マンチェスター・ユナイテッドといえば、誰もが憧れる名門クラブだ。2021年にプロデビューを果たし、ACL4試合、リーグ戦8試合、YBCルヴァンカップ16試合、天皇杯1試合と、この3年間で通算29試合しか出場しなかった選手に、マンチェスターユナイテッドからオファーが届いただけも光栄ですごいことであった。

だが、鈴木選手が悩んだ末に出した結論は、シント=トロイデンであった。

「今、自分が日本で試合に出られてない中で、マンチェスター・ユナイテッドは、オナナ選手を獲得して、その中で、自分が出られるレベルにあるかって考えた時に、自分でもなかなか難しいなと評価しましたし、今、どちらも本当に素晴らしいクラブであるのは間違いないので、今いけなくても、必ず数年後にはまた戻っていきたいと思っているので、着実にステップアップするために今回の移籍を決断しました。この移籍は試合に出ること、そして高いレベルで試合に出ることをもった移籍なので、そこをまずは達成するということを意識したいですし、チームのゴールに向かって、自分の力を最大限発揮できればと思います」と話した。

『経験がものを言うポジション』と表現されるGKにとって、練習とは違い勝敗がかかる試合でしか培うことができないスキルがある。浦和には、絶対的存在感の守護神である百戦錬磨の西川周作選手がいる。その偉大な壁を乗り越えることができなかった。2021年、リカルド・ロドリゲス監督が指揮を執る中、選手の大幅の入れ替えが行われ鈴木選手も抜擢されたが、激しいポジション争いで切磋琢磨しさらにスキルアップした西川選手がポジションを奪い返した。数年待てば鈴木選手の時代がきただろうが、この数年は選手の成長速度を遅らすことになる。

「越えなければいけない存在でしたけど、今回もしっかりと越えてから試合に出場をしてから移籍と考えてましたけど、正直それが達成できなかったのは自分の力不足を痛感していますが、今は越えられなかったとしても必ずいつかを越えたいと思いますし、越えられるように頑張っていきたいと思います」と凛とした口調で話した。

鈴木選手の海外への挑戦は、試合に出場し経験を積みスキルアップして浦和へ戻ってくることが一番の狙いだ。だが、シント=トロイデンへ移籍したからといっても、試合に出場できる確約はどこにもない。

シント=トロイデンには、日本代表で活躍するシュミット・ダニエル選手という鈴木選手が乗り越えていかなければならない大きな壁が立ちはだかっている。全く違う環境に身を置きながらシュミット・ダニエル選手から学ぶことも多いはずだ。鈴木選手ならば、学びながらスキルアップして、シント=トロイデンの守護神になるだろう。

それは、団体競技のサッカーの根底に流れている思いやりの精神を、鈴木選手は持っているからだ。

「一番になれなかった時の自分自身の立ち振る舞いというものが大事になってくる。試合に出られない悔しさはある中で、チームをサポートしていかないといけない」と常日頃から有言実行してきた一面がある。

スコルジャ監督の個人面談で「チームメイトで無人島に連れて行くのは誰?」という問いの一番人気は、鈴木選手だ。また、移籍のセレモニーがあった横浜FM戦のロッカールームでも、試合後のチームメイトの汗だくになっているユニフォームを片付ける鈴木選手の姿があった。「試合に出ていようが、出ていなかろうが、いつも彼がやることだよ。なかなかいないタイプ」と西川選手が教えてくれた。鈴木選手の姿勢は、本当に頭が下がる。

サッカーと真摯に向き合い、謙虚な姿勢で取り組み、思いやりの精神を持っているからこそ、多くの人々から愛されるし、その人間性がプレーにもあらわれている。だからこそ、新天地へ行っても成長し羽ばたくことが必ずできるはずだ。鈴木選手は「浦和人として戦っていきたいと思います」と身を引き締めた。

誇り高き浦和の名を胸に刻み、再び浦和に戻ってくるために鈴木選手の世界への挑戦が始まった。一抹の寂しさはあるが、離れていても深く結ばれた赤い絆は決して切れることはない。浦和を愛する人々は、鈴木選手の活躍を楽しみにしながら、共に闘える日が来ることを信じて帰りを待ち続けているだろう。行ってらっしゃい!彩艶!

Q. 「シーバー病」になってしまった場合、どうすれば良いのでしょうか?

A. 基本は、スポーツの抑制と足の裏やふくらはぎのストレッチです。それとスポーツを終えたあとのアイシングです。スパイクや靴の中にインソールを入れて支えてあげると、クッションで衝撃を和らげることができます。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科
http://www.kawakubo-clinic.j

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