浦和フットボール通信

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赤き血のイレブン 再び、あの頂きへ。 野崎正治(浦和南高校監督)インタビュー

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高校サッカー界のみならず、日本のフットボール史にもその名を刻んだ「赤き血のイレブン」。全盛を誇った浦和南高校の最後の生き残りであったミッドフィールダー・野崎正治は、後に指導者として郷里の浦和東高校を率い、ワールドカップの日本代表ゴールの守りに川島永嗣を送り込む。「URAWAのサッカーの基本は人間育成」―― いまもその理想を希求する指揮官は、地元ファンの思いを双肩に感じつつ、母校・浦和南高校のグラウンドに帰って来た。

Interview / Yuichi Kabasawa
Text / Mitsuho Toyota

UF:24年間指導した東高を離れ、南高校に赴任されました。久しぶりの母校の雰囲気はいかがでしょうか。

野崎:自分の選手時代はもう30年以上も前ですが、当時に比べると女子生徒が格段に多くなり、ソフトな校風になった印象。でも生徒はすぐに打ち解けてくれたし、学校サイドにも就任に際して前向きな努力をいただきました。感謝と責任を感じています。

UF:先生が率いた東高校は、昨秋の選手権県予選で南高と壮絶な試合を演じていますが……。(延長戦の末、東高が勝利)

野崎:自分が指揮した東高には「南高の血」が流れていると考えていますので。好ゲームは望むところというか予想どおりでした。東高は今年の新人戦も優勝し、非常に楽しみなメンバーぞろい。志願して私のもとに来た子も多かったので東高の生徒たちに申し訳ない気分もあります。しかし公立の教員として異動はやむを得ません。ようやく気持ちの整理がついた感じ。恩師の松本(暁司)先生にも南高に戻ることを報告し、喜んでいただきました。「これで俺もいつでも戻れる」とおっしゃってね(笑)。

UF:松本さんが育て、野崎さんが継承した南高サッカーとは?

野崎:浦和四校の系譜でも名門として存在していた伝統的なスタイルのサッカー。それをOBである自分の手で復活させたいという思いがあります。ただ、私も定年まで残り7年。限られた時間の中での戦いになる。昨季の南高はタレントぞろいで、当初は東高も歯が立たないパフォーマンスを誇っていました。彼らが卒業した新チームは、経験も戦う姿勢もまだまだ。この夏以降が正念場でしょう。

A32C8790(C) 浦和南高校

UF:県下の強豪となった守屋保・西武台高校監督は、本誌インタビューなどで「URAWA復活の条件は、野崎先生の南高復帰」と断言されていましたが(笑)。

野崎:守屋監督レベルの指導者がいれば、埼玉の私学には道が拓ける可能性は高いです。しかしそこだけに埼玉の復活を頼ってはいけない。「公立もベスト4」あたりは必ず達成する気概を持たなくてはならないのが浦和の高校ではないでしょうか。現状では市立、東、南の順で可能性を維持していると思います。

UF:私学の強豪の中に、伝統の公立校が食い込む……かつて野崎さんが口にされていた「地元で切磋琢磨」するライバルの構図ですよね。価値ある提言と考え、本誌創刊50号記念の名言集にも加えさせていただきました。

野崎:それはどうも。(本誌50号を手に取りながら)これもかねてからの持論なのですが、やはり浦和の高校チームにあっては、サッカーだけに特化し邁進させる育成の構図を作ることには抵抗があります。プレーヤーである以前に、人間性を学び体得する時間も大切にして欲しい。プロへの道を選べない、選ばない境遇の選手たちの育成も視野に置く準備は常に視野に入れています。逆にそれがないと、いまの南高には有望選手が来てもくれない現実がある。

UF:その名言セレクションの中でも振り返ったのですが、野崎さんら南高全盛の同時期に選手権全国制覇を果たされた磯貝純一さん(元市立浦和高校監督)も「浦和のサッカーの本質は人間形成。プレーや戦術が変わろうとこのテーマは変わらない」との言葉を残されています。そんな浦和の公立校でのサッカーを志望する子どもたちは、やはり減少しているのでしょうか。

野崎:いまや選手の親御さんの年代も、市立や南高などURAWAの高校全盛時代を知らない時代。寂しいことですが、当時の隆盛を知るのは実質的には私くらいの年代までなのでは? 公立高校としてURAWAの名を残すための時間は限られていると感じます。トップレベルの才能の進路には「実績」が不可欠です。プロになりたい子はまずはクラブチームを選び次が私学、公立高校はその後、という流れになっていますので。公立の入試は2月末。そこまで受験を引っ張ってもらうには、学校とチーム、我々指導者によほどの魅力やインパクトがないと無理でしょう。

UF:有力な私学は、その時点までに選手の入学内定やセレクションを終えています。

野崎:「プレーヤーの将来はそういう道だけではない」と練習会に来る子たちには伝えています。小中時代の総ざらいとして高校受験という節目がある。サッカー漬けになるのはそこを通った後でも遅くはないよ、と。そういうプロセスを踏まずに高校年代でプロになっても30代、40代で選手生活は終ります。後の40年をどう生きるのか、サッカーの体験を自分の中でどう高めていくのか。やはり公立高教師としては、そういうテーマを生徒自身に考えて欲しい気分がありますね。

UF:サッカーの街を支えた浦和の公立高校群に流れるそういう思想が、後の指導者育成の土壌になった経緯があります。

野崎:プロに入っても、入った人数だけ消えて行きます。残ったメンバーの中でも、試合に出れるのは一握り。熾烈すぎる競争の現実がある。プロ野球のように入団時に退職金みたいに契約金をもらえる風習もサッカーには無く、何千人に一人がプロ選手として独り立ちするわけです。こういう現実も踏まえ、親御さんも含めて生徒たちの方向付けができる機能がこの地に醸成されることを望みます。

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UF:埼玉の高校サッカーの現状戦績に目を移すと、やはり私学の台頭が顕著です。昨年の武南高校のインターハイ準優勝に続き、今年は正智深谷が準決勝に進出。3位を占める実績を残しています。

野崎:昨年の選手権代表校でもある正智深谷は、県北をベースに見事な成果を示されていると思います。準決勝で市船(市立船橋)を完封したあげくPK戦負け……全国レベルを埼玉が保持していることを証明してくれたわけですから、我々にも励みになる。大山先生の武南はもとより、彼らを目標に選手とともに精進して行けば、南高にも可能性は拓けるということ。

UF:西武台高校なども含めて、危惧されていた才能流出も一定の歯止めがかけられたのでは?

野崎:昨年選手権は宮崎の鵬翔高校が優勝したし、地域ごとの格差はかなり前の時間帯から消えているといって良いです。プリンスやプレミアとは違って全国大会はトーナメントの一発勝負で、どこにもチャンスがある情況。U-18リーグなどで正智深谷ともある程度は勝負できているので、コンディションさえ整えて挑めればチャンスはあると思っています。

UF:本誌も以前から指摘しているテーマなのですが、県内の高校サッカー強化のために行なうレッズやアルディージャなど地元トッププロとの連携。これはもう新次元での強化が求められる段階と考えますが。

野崎:コーチ派遣や指導者交流などによって育成部分の連携を図る方策はぜひとも必要と思います。それぞれに長所も短所も持っているので、手間ひまをかけて融合させれば力になるはず。各種大会の節目となる暮れなどに指導者同士が集まったりはしていますが、まだまだ機会が少ないと思います。挨拶する、礼儀を身につけるなどの生活習慣はクラブチームにおいてもきっちりと教育がされるようになりましたが、この傾向は高校サッカーの教育がJの育成環境の中に吸い上げられてきている背景があると認識しています。

UF:武南高校の大山先生も指摘されていますが、レッズのミシャ監督も携わったサンフレッチェのアカデミーは、施設・人材交流含めて広島の高校サッカー界と詳細な連携システムを作り上げているようですね。

UF:Jのインパクト、とりわけ浦和におけるレッズの発信力は別格なのですから、そのあたりの推進はぜひともクラブにお願いしたいですね。一例として考えるのですが、レッズ独自の「浦和は育成として何をしたいのか」を提示した指針のハンドブックがあるだけでもキッカケは生まれると思う。考える育成の柱は何か、トップチームに繋げるための理念は何か等々、ぜひとも知りたいですよ。あれだけのサポーターを持つクラブは他にはないし、地元の熱さは言うまでもない。現状の繋がりだけではなんとも勿体ない気がする。

UF:ご存知の通り、本誌もレッズジュニアと少年団の取材等にからめて提言させていただいています。これだけサッカーの血脈がありノウハウも人材も備えたホームタウンなら、クラブとの交流や経験の共有は改善の余地がまだまだあるはず。地元メディアとしてこのテーマ追究は使命と思います。

野崎:クラブは「地域に根ざし、サッカーを頂点として色々なスポーツ施設を擁し、子どもからお年寄りまでが集える場所」という定型の理想がありますよね。横山謙三さん(元浦和レッズGM、埼玉県サッカー協会専務理事)がたびたび口にされていますが、日本には全国各地に体育館やプールを配備した学校にある。これほど恵まれた環境を管理や地域都合を理由に活用していない手はないと……。たとえば南高も人工芝グランドなど備えて地域に開放し、サッカー拠点にしてもらったりすれば成果をもたらすと考えるのですが。

UF:本誌インタビューでも横山さんはコメントされていたのですが、そういうハードの拡張に向けて適正な指導人材を育てて送り込むことがホーム浦和とレッズの使命。サッカーエリアとして並び称された静岡とは、その部分において決定的に差をつけられている……とのご指摘でした。

野崎:なるほど。

UF:静岡は藤枝市や旧清水市の区域で学校ナイター施設等の一般開放が伝統的に励行されているそうです。ちなみに現地取材した折の静岡新聞の談話では、その動きが活性化したのは他ならぬ野崎先生がプレーした南高に静学勢が選手権決勝で二連敗した当時(75年 2-0 静岡工業、76年 5-4 静岡学園)であったとか……。

野崎:(苦笑しながら)そうですか。環境も成り立ちも違う指導者同士ですが、レッズのアカデミーとは壁を越えたディスカッションが必要と感じます。浦和エリアはあんなに少年団が多いのに、埼玉に魅力ある学校が少ないと思われている現状があるとすれば、そこは何とかしなければ。

UF:その意味においても、私たちは野崎・南高のこれからに注目せざるを得ない(笑)。

野崎:時間が掛かっても、ベスト4あたりには残らなければなりません。浦和東にも置き土産は残したつもりですが、東には東のやり方がある。浦和南は浦和南のやり方を、改めて構築して行こうと思います。

UF:監督の去就を知って、川島永嗣選手もこちらに見えたそうですね。

野崎:欧州のシーズンオフが明ける直前(7月末)だったでしょうか、いきなりメールをくれまして「いま、南高の近くです」と。短い時間でしたが、会うことができました。私が不在だったら、どうするつもりだったのか(笑)。しかし、教え子の来訪はいつも嬉しいものです。

UF:野崎さんが松本監督の教え子だった南高校舎も、当時のままですか?

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野崎:はい。ここは松本先生とサッカーに没頭していた当時のままの古い校舎なんですよ。改めて校内に足を踏み入れて、やはり何ともいえない感慨が込み上げました。帰って来た、というか、何やら実はずっとここに居たような気分も……。

UF:「赤き血」が騒いでいる、と?

野崎:(笑いながら手を振って)いやいや。OBの方々からも地元ファンの方からも、声はかけてもらっています。でも浦和の人は、期待を気やすく言葉にしたりしませんから。ただ、自分がこうして母校・南高に監督として帰ることの意味。それだけは心に深く受け容れているつもりです。

(2013年8月 浦和南高校にて)

【南高サッカー部OB会会長 永井良和さんメッセージ】

野崎正治先生の南高就任につき、南高サッカー部OB会一同は
喜びと歓迎の声に沸いている。選手権連覇を果たした選手時代は
もちろん、日本の守護神・川島永嗣君を育てた指導者としても
素晴らしい成果を残されていることは周知の通り。
南高OB監督として、大いに羽ばたいて欲しい。
「全国制覇、再び」皆、期待しています。
南高サッカー部OB会会長 永井良和

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