浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「吾亦紅の花」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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どこから移籍して来ようが、誰が移籍して来ても、浦和に来たからには共に闘う仲間であり、赤き血の1人なのだと思う。

浦和の練習場の近くにある選手寮の名前は「吾亦紅」である。

夏の終わりごろから咲き始める吾亦紅の花は、茎の先に小さい赤い花が幾つも集まり一つの楕円形を作り、マッチ棒のような可愛らしい花である。1993年11月1日に「吾亦紅」が落成した時に、「吾も(我も)亦(また)紅(あか)なり」と言う吾亦紅の花の意味から名付けたと聞かされた。一つ小さな赤い花が幾つも集まって花を咲かすのは、浦和の選手はもちろんファン・サポーター、浦和に関わる全ての人達が集まり「優勝」と言う花を咲かすのと同じ意味だと当時感じて、選手寮の名前が「吾亦紅」となってから、吾亦紅が好きな花になった。

先日、浦和の一員に新たに李忠成選手が加わった。それに伴い、広島でプレーしていたことのある選手は、柏木陽介選手・槙野智章選手・森脇良太選手・西川周作選手と計5名となった。ご存じのように、ミシャ監督も杉浦大輔コーチも浦和に就任する前は広島である。

世間では「浦和は広島の植民地だ」とか、サンフレッチェとレッズをもじり「サンフレッズ」だとか、浦和と広島をもじり「浦島」と揶揄する声も聞かされた。そんな声に少々耳が痛く、心が重くなった。だが考えてみれば新潟からエジミウソン選手、マルシオ・リシャルデス選手、永田充選手が移籍して来て揃った時も「アルビレッズ」と当時は揶揄された。しかし、月日と共に揶揄する声は小さくなっていった。それは、新潟から移籍して来た3選手が、浦和を愛し、浦和のプライドを持ち、勝利を目指して共に闘ったからである。

加入会見で西川選手は「素晴らしい声援の前で結果を残さないといけないクラブ」と神妙な面持ちで話した。李選手は「結果が第一!」と力強く話した。西川選手も李選手も浦和で赤いユニホームを纏い闘う意味をピッチに立つ前から感じとっていた。 西川選手は、移籍にあたり相当悩んだ挙句の決断であった。「この移籍が、1年終わった時に良かったと言えるようにしたい」と西川選手は話した。李選手は、自ら浦和でプレーすることを望んで移籍してきた。「やる、やらないではなく、やらなきゃいけない、凄い覚悟でやる」と李選手は話した。新たな環境でプレーをすることは、選手にとってチームに馴染むことなどを考えるとリスクが伴うのは事実である。

柏木選手も浦和に馴染むまではかなりの時間が掛かった。浦和に移籍して来た選手はみんなリスクを背負ってやって来た。リスクを冒してでも浦和でプレーしたい思いがあるのだ。それは、昨シーズン移籍した興梠慎三選手も那須大亮選手も関口訓充選手も森脇良太選手も同じである。西川選手も李選手もリスクを冒してまで浦和を選んだのだ。

李選手に「浦和のサポーターは、そう簡単には認めないよ」と少し意地悪な言葉を投げかけて見た。すると李選手は目をキラキラ輝かせながら「自分が20歳ぐらいなら、恐いと思う。選手として最後にさしかかろうとしている。プレッシャーや不安よりも浦和でサッカーが出来る喜びの方が大きい。悪ければ叩かれる。良ければ称賛される。凄く楽しみ」と話した。「サンフレッズ」「浦島」と揶揄されようが、浦和の地に足を踏み入れた時から、「我もまた赤なり」と言う自覚があることを加入会見で感じた。

吾亦紅の花は『神様が赤い花を呼び集めた時に、花が自ら我もまた赤なりと申し出て吾亦紅と名付けられた』と言う由来があるそうだ。どこから移籍して来ようが、誰が移籍して来ても、浦和に来たからには共に闘う仲間であり、赤き血の1人なのだと思う。夏の終わりに咲き始める吾亦紅の花は、秋には見ごろを迎える。今年の秋には優勝という大輪の花を咲かす浦和の吾亦紅が見たいと思った。


Q.半月板について教えて下さい

A.半月板は膝の関節の間にあり、体重を支えるには相当衝撃がくるのでその衝撃を吸収するクッションの役目と、膝の動きを助ける軟骨です。イカリングが半分になったようなCの字の形をしています。英語ではセミルナールとも言います。内側と外側に二つあります。軟骨で出来ているため、オーバートレーニングや年齢とともに軟骨がすり減ってしまいます。また、体重が加わった状態で、捻りや衝撃により半月板が損傷したり、半月板と一緒に靱帯も損傷してしまいます。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科クリニック 整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション http://www.kawakubo-clinic.jp/

 

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