浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「忘れられない大切な味~まんぷくや」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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高木選手が清水時代に親しんだ味

柏戦で勝利を収めたあと、連戦を癒すようにチームは久しぶりに2連休となった。この2連休を利用して選手たちは、心身ともにリフレッシュを図り、2ndステージと年間優勝に向けてそれぞれが終盤戦に闘う準備をしていた。

柏戦で移籍初ゴールを決めた高木俊幸選手は、昨シーズンまでの4年間お世話になった静岡まで足を運んでいたのだ。そこには、自分を信じてずっと支え続けてくれた大切なお店があったのだ。東京ヴェルディから清水へと移籍した2011年、当時はまだ独身だった高木選手にとって「1人でご飯を食べに行くのが苦手だ」と言うぐらい食生活は重要な問題だった。だが、トロトロした生地にデミグラスソースがかかったオムライスに出会った。

「オムライスに惚れて店に通うようになった。1人暮らしのころは、週3日も行っていた」と高木選手がその味に惚れて常連になったお店は、静岡県静岡市駿河区にある洋食屋『まんぷくや』であった。オープンキッチンのカウンターがあり、1人で食事をするのが苦手な高木選手には打って付けの店で、お店の雰囲気も温かく1人でも気兼ねなく利用出来た。その上に、味も最高!20日間以上かけて煮込んだデミグラスソースには、シェフの拘りが詰まっていた。常連になった高木選手が「たまには、和食が食べたいと言うと、サバの味噌煮とか出してくれた。メニューには無いけど、特権です」とニヤリと嬉しそうに想い出して笑う。

そして「実は、ペペロンチーノも好きで、ハンバーグも送ってもらった。ゴールを決める前に、それを食べた」とまた嬉しそうに話す。高木選手の話を聞きながら、『まんぷくや』のシェフの料理に対する拘りだけでなく、お店を訪れるお客様に対する愛情を感じられた。

どんなに美味しい料理を提供しても、お店の雰囲気や接客が悪ければ、正直なところ行きたくなくなる。独身時代の高木選手の食生活を支え続けて来てくれた大切な味は、シェフの真心が籠ったものであった。

ふっと、真心が籠った忘れられない味を思い出した。浦和の練習場から産業道路を駒場方面に向かって行くと小さな定食屋さんがあったのだ。お父さんとお母さんの2人で、営んでいる『柿沼食堂』である。8人ぐらいが座るといっぱいになるカウンターがあり、奥にはお座敷があった。お店にはメニューがあったが、お母さんが「ちゃんとご飯を食べなさい。今日は、これが良いわよ」などとお薦めしてくれる。一杯のお味噌汁が、疲れた身体を癒してくれた。「お野菜もちゃんと取ってね」と栄養のバランスにも気をつかってくれた。

ご飯を食べていると、奥のお座敷から「良く寝た~」と大きなあくびをしながら小野伸二選手たちが顔を出す。時折り、仕事の愚痴やプライベートの相談にまで乗ってくれる。選手たちもお父さんとお母さんを慕い『柿沼食堂』へと足を運んでいた。試合当日、選手バスが『柿沼食堂』の前を通りスタジアムへ向かうと、必ずお父さんとお母さんが店の前に出て来て、選手を激励して見送る。いつしかお店に訪れたお客様まで手を振って選手バスを見送っていた。

『柿沼食堂』を訪れる誰に対してもお父さんとお母さんは、愛情たっぷりに美味しい料理を提供し、心までも癒してくれた。浦和の選手たちに愛され続けた『柿沼食堂』は、お父さんもお母さんも高齢のためにお店を締めたのが、2001年10月27日のことであった。もう一度、あのお味噌汁がついた定食が食べたいと思った。

高木選手にとって『まんぷくや』は、『柿沼食堂』のような存在だったのだろう。『まんぷくや』のシェフは、高木選手が清水を離れた今でも気にかけてくれている。

誰にだって、忘れられない大切な味があるはずだ。一口、口にするだけで、心まで癒してくれる。その大切な味にどれだけ救われて来たのだろうか・・・。沢山の勇気や元気をくれたり、忘れかけていた大切なことを思い出させてくれる味。世の中には美味しい料理は沢山あるけど、忘れられない大切な味はただ単に美味しいだけではないのだ。人の温もりに包まれている。

浦和から遠く離れた静岡にある洋食屋さん『まんぷくや』にシェフの真心を求めて行ってみたくなった。

Q.タコが出来やすい人は、いるのでしょうか?

A.外反母趾の人はなりやすいです。足の親指が内側に曲がっているために圧迫されて出来たタコを「バニオン」と言います。また、逆に内反小趾で小指が内側に曲がって圧迫されて出来たタコを「バニオネット」と言います。スパイクが合わずに靴ずれが出来て痛みが出ます。スパイクの幅を広げたり、テーピングをしたり予防をしましょう。プロ選手は自分の足形でスパイクを作れますが、子供たちは自分の足形に合うスパイクを履かないとスパイク障害を起こしてしまいます。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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