浦和フットボール通信

MENU

河合貴子のレッズ魂ここにあり!「遠かった夢の舞台だからこそ~関根貴大選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

KAZ_7278_R

掴みきれなかった夢の舞台、関根選手本人にしか分からない悔しさがあった

リオデジャネイロオリンピックサッカー日本代表選手に、浦和レッズからU-23日本代表のキャプテンを務めてきた遠藤航選手と手倉森監督が自ら口説き落とした興梠慎三選手がオーバーエイジ枠で選出された。

また、昨シーズンから試合出場機会を求めて浦和から岡山へ期限付き移籍し、オリンピック最終予選韓国戦で1ゴール1アシストと活躍を魅せた矢島慎也選手も選出された。

しかし、浦和の若武者である関根貴大選手の名前は無かった。関根選手は「別に、もう・・・。親善試合から呼ばれなかったし、35人にも入らなかったから、そこまでかなと思っていた」と悔しさを心の奥に隠して淡々とした口調で話した。

リオデジャネイロオリンピックサッカー日本代表は、たったの18選手。オーバーエイジ枠が3選手、GKが2選手となるとフィールドプレーヤーは13選手と本当に狭き門だ。

手倉森監督は、何度も合宿を繰り返して選手を慎重に見極め、オリンピックを勝ち抜くためのメンバーを選出した。そして、選出されたメンバーを見ると1つのキーワードが見えた。

それは、守備力であった。世界と闘うにはまず守備に重点をおき、あとは興梠選手のように前線で身体を張ったキープ力で攻撃を展開する狙いであった。

手倉森監督が何度も選手を見極める中で、正直なところもっと関根選手を試して欲しかった。オリンピックで関根選手が世界を相手に闘う姿が見たかった。身贔屓(身びいき)だと思われるだろうが、浦和で活躍する関根選手の姿を見るとオリンピックの舞台に立たせてあげたかった。

今シーズン、浦和を訪れたウーベ・バイン氏(元西ドイツ代表選手・イタリアワールドカップ優勝 1994~96年まで浦和でプレー)は、浦和の試合を観戦したあとに「24番の選手は、良いね」と関根選手の才能を評価していたのだ。

メンバーを試すのも、選ぶのも監督である。手倉森監督が世界と闘うサッカーのビジョンの下で決めたのだ。もしも、手倉森監督がリオデジャネイロオリンピックサッカー日本代表を率いてなかったら、当然メンバー構成もサッカーのビジョンも違ってくるだろう。

TAK_3942

淡々と話していた関根選手ではあったが「どんなに監督が違っていても、選ばれる選手は選ばれる。ここまでの評価だったり、実力だと思う」と初めて悔しそうな表情を浮かべ突きつけられて現実に、自分の力の無さを噛み締めていた。

そして「ポジションが、U-23では違っていたのが大きかった。あとは、結果が出せなかったことだ。オリンピックは、人生に一度だけオーバーエイジを除けば、たった1回世界と闘える唯一の大会だった」ポツリとこぼした関根選手の言葉が、同じ世代で闘える掴みきれなかった夢の舞台を物語っていた。

関根選手と話していて、アテネオリンピック最終予選でキャプテンまで務めた鈴木啓太氏がオリンピックのメンバーに選出されなかったことを思い出してしまった。当時の鈴木氏は、アテネオリンピックに行けなかった悔しさをバネに「選ばなかったことを後悔させる」ぐらいの鬼気迫る豊富な運動量を見せ付けるプレーを浦和で見せていったのだ。

浦和での活躍が認められた鈴木氏は、イビチャ・オシム監督が率いた日本代表戦の全ての試合に先発出場を果たすほどの選手になっていった。もちろん、海外移籍の話しも持ち上がった。だが、チーム事情や過密日程で疲労が溜まり扁桃炎を患い、海外移籍もワールドカップの舞台も夢と消えたのだ。

そんな鈴木氏を間近で見てきた関根選手だからこそ、海外移籍を視野に入れ、ロシアワールドカップへと夢の舞台を切り替えて日本代表に選出されるほどの活躍を浦和のピッチで魅せてくれるだろうと思う。

リオデジャネイロオリンピック日本代表に選出された遠藤選手は「U-23世代で良い結果を残して、その先のロシアワールドカップだったり、日本サッカーがより強くなるために僕らの世代がA代表に絡んでいく可能性があることを示していく大会だ。良い結果を残して、自分のプロキャリアとしても良い通過点にしたい」と語っていた。

だが、同じ世代の関根選手は、その舞台に立てなくても浦和で一戦一戦闘うことでA代表に絡んでいく可能性を示していく。

関根選手に「ロシアを目指せ」というと関根選手は、はぐらかすように「涼太郎君が行ってくれるんじゃないですか?!」と他人事のように言って、「お前、リオ行けたよな」と伊藤涼太郎選手を見つめてロッカールームへと入っていった。その後ろ姿は、寂しげで悔しさに満ち溢れていた。

遠かったリオデジャネイロ、掴みきれなかった夢の舞台、関根選手本人にしか分からない悔しさがあった。サッカー選手として、オリンピックが全てではない。だからこそ、ピッチで実力を見せ付けて輝いて欲しいと願う。本当の夢の舞台に立つために・・・。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

川久保整形外科

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。http://www.kawakubo-clinic.jp/

パートナーサイト

ページ先頭へ