浦和フットボール通信

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長澤和輝が、不屈の精神を持ち、ゲルマン魂を宿した強さとは【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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ドイツ仕込みの強いメンタリティー

「ドイツの経験が今、活かされている知れない」と長澤和輝選手は、ACL準決勝・アウェイ上海上港戦後に嬉しそうに話していた。インサイドハーフのポジションで長澤選手は、豊富な運動量で攻守に渡り輝き、上海の攻撃の中心であるオスカル選手やフッキ選手に対しても恐れることなく果敢にプレスをかけ自信溢れるプレーをしていたのだ。

ブンデスリーガ・1FCケルンで培ってきたものが長澤選手の中にあったからだ。それは大和魂と言いたいところだが、ゲルマン魂であった。長澤選手のドイツでの生活は、たった2年間だったかも知れないが、ただ時に身を任せて過ごしてきた訳ではない。長澤選手にとってこの2年間は、サッカー人生を左右する貴重な時間であり、その時間を有意義な時間にするために身を粉にしてきた。

選手生命が短いため大学を卒業してJリーグへと進む選手は、わずかである。Jリーグ全体をみても、クラブの下部組織で育っている選手が多い。

浦和では、平川忠亮選手(筑波大学)、那須大亮選手(駒澤大学)、宇賀神友弥選手(流通経済大学)、武藤雄樹選手(流通経済大学)、福島春樹選手(専修大学)、田村友選手(福岡大学)たちだ。だが、長澤選手にように大学(専修大学)を卒業して直ぐにドイツへと渡った選手は本当に希である。大抵は、Jリーグで経験を積み、その実績を買われて海外へと移籍する。

長澤選手は、大学時代にその実力を買われて横浜FMに特別指定選手として加入していたのだ。横浜FMの特別指定選手ならばある意味、大学卒業後は横浜FMに加入してプロ選手として道が確約されている。

「大学の2年生ぐらいからプロになれる環境だった。一番最初は、練習参加のオファーを頂いてジェフに行った。地元なのでね」と笑顔を見せながら長澤選手は話した。

年代別カテゴリーの日本代表歴は無いが、全国高校サッカー選手権で大会優秀選手に選出されていた長澤選手は、当時からJリーグのクラブから注目をされていたのだ。そして、大学に進学しても長澤選手のゴールへと直結する展開力やシュートなど若き逸材は注目され続けていた。

しかし長澤選手は「海外の方が、単純にレベルが高いし、より上のリーグでプレーした方が自分のためになると思った」と大学卒業する前の2014年1月にドイツへと向かった。

そして「最初は、練習生として行って、そこからオファーを頂いてプロ契約をした。海外のチームでオファーがあったのはケルンだけだった。ケルンは、日本人にゆかりのあるクラブ。奥寺さんから始まり、田嶋さんも行っている。ケルンって、日本人がサッカー勉強するのには良い環境だった。サッカーを本気で愛する指導者だったり、プレーヤーとか日本とは違う経験しているサッカー関係者がいる」と当時ブンデスリーガ2部ではあったが、名門の1・FCケルンに加入した。

長澤選手は「サッカー面もそうだけど、言葉も文化も違う。いろんな意味で人間として成長できると思う」と話し「環境が全く変わった。最初は大学生だから、お金ももらえない。通訳もいない。家も無い状態だった。何にも無い状態で勝負した。貴重な経験だった。大学の4年生で1月にドイツに行ったので、テストとか早めに12月に終わらせてもらって卒業する前にもうあっちでやっていた。卒業式も出なかった」とドイツに行った当時を思い出しながら話した。

最初に住んだところは大学生の寮で、70人ぐらいのドイツ人と共同生活からスタートしたそうだ。まさに武者修行だ。志を高く持ち、自分が信じる道を歩んで行ったのだ。

それだけ1・FCケルンは長澤選手にとって魅力があったのだ。

「全然違う環境で、育成カリキュラムだった。ドイツサッカーを1週間、2週間の単位でなくて、何年もかけて勉強する。ドイツは、長い年月をかけてサッカーが育まれている。僕は、2年間だったけど全然サッカーが違うと思った。プレッシャーの掛け方ひとつもそうだし、選手の能力などの違いも凄く感じた。勝負に対するメンタリティーは凄い。練習から絶対に負けないというところはある」と話した。

この勝負に対するメンタリティーこそが、ゲルマン魂なのだ。例え遊びでも勝負に拘るギド・ブッフバルト氏やウーベ・バイン氏を思わず思い出してしまった。

長澤選手を見ていると、間違いなく勝負に対する強いメンタリティーを感じる。スパイクひとつで飛び込んだドイツでの2年間は、言葉で表せないぐらい想像を絶するものであったと思う。

そこから、長澤選手は這い上がってきたのだ。並大抵のことでは決してない。だが長澤選手は、そんなことをおくびにも出さない。それが、自分が歩むサッカー人生にとって大切なことであり、当たり前のことだからだ。

この中断期間に長澤選手は「ポジションも代わり、フォーメーションも変わり仲間との連携を試合でしか確認できなかった。時間があるときに、しっかりと確認したい。インサイドハーフでもボランチでもどっちらでも良い。ただ、インサイドハーフでプレーするときはよりゴールが近いし、ボランチでプレーするときは守備とかコントロールしないといけない部分がある。使い分けてやりたい」とインサイドハーフでもワンボランチでもできるように高い意識をもって練習に取り組んでいた。

この2つのポジションを熟すことができれば、浦和にしてみれば選手を固定するよりも試合相手や日程、選手のコンディションなど考慮していくことができる強みになる。

その強みは、不屈の精神を持ちゲルマン魂を宿した長澤選手だからこそ生まれる。

長澤選手の絶対に負けない!誰よりも強く勝利への拘る思いは、浦和が浮上する鍵になっていくだろう。

Q.肉離れはどうして起きるのでしょうか?

A.肉離れは、ボコっと筋肉が切れるのではなく、鳥のささみのように腱と筋肉の境目から剥がれるのです。激しい運動で急激に筋収縮を強いられたときに、筋肉繊維が部分的に断裂します。筋肉のバランスが悪かったり、筋肉の柔軟性がない、筋肉が緊張していて疲労が溜まっていたり、オーバートレーニングなど肉離れになりやすいです。疲労骨折のように、徐々に筋肉が損傷していき、走った瞬間に肉離れになるような筋肉疲労肉離れがあります。小中学生では、腸腰筋の肉離れが多いです。走っていて急に走れなくなります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

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