浦和フットボール通信

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浦和レッズ MF山田直輝 インタビュー完全版[2]

ヘタで小さくて、失うものはない。だから先頭を切るしかない

豊田:直輝君の成長に、北浦和と北浦和少年団という存在がどのように影響したかが良くわかりました。さらに現在にも繋がるサッカーの要素についてお聞きしたい。話をアジアユースの話題に戻します。トーナメントラウンド初戦のイラン戦……このゲーム、忘れられないでしょう?

直輝:はい、あれがいちばん苦しい試合でした。

豊田:準決勝進出を決めるゲームは、あなたのアシストから宏太君が先制点を決めるも追いつかれ、1-1のまま延長にもつれこむ大接戦になりました。で、PK戦の勝負になる。

直輝:……あ……はい(苦笑)。

豊田:観戦記録を取ってあるのですが、PK戦もキッカー12人目まで続く凄い勝負になります。で、直輝君は9人目で蹴っている。あの順番は城福さん(浩 当時U16日本代表監督)が決められていたのですか?

直輝:僕は決まってない。決まっていたのは5人目まで。後は自分たちで決めろと言われていました。(盛んに苦笑いしながら)PK得意じゃなかったんで、後ろの方に並んでました。まさか自分まで来ないだろうって思ってた。

豊田:なるほどね。で、ごめん……このPKをあなたは失敗してしまう。

直輝:決めてやるって、思い切り蹴ったんだけど……はい。

豊田:日本は先攻のキックで厳しい情況だったのだが、直輝君の前の6人目と7人目も失敗。次のイランのPKが成功すれば試合が終るという情況が2度続いていました。その度にGKの廣永遼太郎君(FC東京)がビッグセーブで……。

直輝:本当にビッグセーブで……みんな必死でした。

豊田:直輝君のキックのリプレーを見ると、GKに防がれて跳ね返ったハイボールにジャンプして手で飛びついている(笑)

直輝:やっちゃたな、という感じ。みんなに申し訳なくて……。

豊田:ところがその後のイランのPKをまたもや廣永選手がビッグセーブ。日本は12人目までを成功させ、結局イランに競り勝つことになります。

直輝:本当に史上最高のPK戦だったと思いますね、あれは。

豊田:さらに、あのゲームで韓国のキャスターと解説者を驚かせたあなたのプレーがもうひとつあります。

直輝:え? どのプレーだろ……。

豊田:後半の半ば過ぎからエネルギーが底をついて日本のパスワークについて行けない相手が、PK戦狙いの時間稼ぎに出て来ました。挑発的なプレーでわざと接触しては芝に転がって立とうとしない。そんなイランの大型DFを、たまりかねた直輝君が形相を変えて引きずり起した(笑)。

直輝:そんなことしたかな?(笑)。でもPK戦に持ち込まれたらヤバイと思ってたんで、その気持ちが出たのかも、ですね。

豊田:あなたと髭面の相手DF……とても同年代には見えない親子のような選手ふたりがにらみ合うシーンで、KBSのニュース音声も興奮していました(笑)。あの気迫は若い代表イレブンに喝を入れたよね。

直輝:暑かったし、ヨーロッパ圏や中東の選手とかとは体格差も出てくる時間帯になっていたので……。

豊田:吉野監督には「直輝らウチの少年団の子たちには、キックオフ前の円陣でスペイン語で気合いを入れさせて”オレたちはちょっと違うんだぞ”という気分のコントロールを体得させている」と聞きました。そんな証言をふと思い出したりするシーンでした。

直輝:(笑顔で)ああ、あれですね……はい。

豊田:キックオフ前の「行こうぜ!」は、スペイン語で「ダボ・サ・ベール・シィー」って言うんですってね。

直輝:ジュニアユースに上がった後に聞いたんですが、峻希や水輝、永田、岡本も同じ世代の連中は、あの(北浦和少年団の)円陣が気になっていたみたいで覚えていました。いまでも練習のときに僕らの当時の円陣の真似をしたりしているんです。

豊田:このあたりのあなたの統率ぶりは、水沼キャプテンに負けていないでしょう。そういえば先ほど練習も見せてもらったが、直輝君はレッズでもランニングにしろ練習メニューにしろ先輩たちの先頭に立ってこなしていますね。

直輝:はい。なぜかいつも先頭にいます(笑)。

豊田:良く知られている通りあなたの父上・隆さんは元日本リーグの名選手。またJリーガーには多いのですが、あなたにもサッカーをしていたお兄さんがいる。ご家族の影響は大きかったですか?

直輝:もちろん父の影響は大きかったですし、兄はサッカーが上手くて目標というかライバルでした。負けたくないという意識は小さい時から強かった。

豊田:同じく少年団の吉川団長から聞いているお話があります。あなたが4年の時に飛び級で入った6年生チームのアウェイ戦。あなたはオーバーヘッドのシュートまでやって先陣を切るプレー振りだったとか。でもその試合は負けてしまい、それでも笑顔で帰ってきた年長選手の中で直輝くんだけが涙を浮かべていた、と聞きました。

(c)Kazuyoshi Shimizu

直輝:サッカー以外のことで泣いたことはほとんどないんです。でもサッカーだけは負けたくない。負けると悔しい。ここだけは”負けず嫌い”かも知れません。

豊田:その気持ちが年上の人とかキャリアのある人、プロの先輩たちの中でも先頭を切ってやっていけるというエネルギーに繋がっているのだろうか。

直輝:というか、僕はいちばんヘタなんです。だからいちばん練習もしなければいけない。体も小さく年下で、失うものは何もないと思うから。自分は先頭に立ってやるしかない。そういう気持ちでやっています。

豊田:なるほど。あなたらしさの源がどこにあるかがよく分かります。

受け手のタイプや、欲しいパスのタイミングは即座に分かる。

豊田:さて、イラン撃破のトーナメントラウンドを勝ち上がった決勝戦の相手は、これまた同年代とは思えない大型選手がパワーとスピードでぶつかってくる北朝鮮。前半に先行された2点差をひっくり返す見事な勝利でした。日本の1点目を生んだのが、柿谷君に通した直輝君のパス。ハーフボレーを確実に捉えたキックのタイミングが見事でしたね。

直輝:あのタイプの相手とはフィジカルの差がありますから、そういう所(の技術とか速さ)で上回らないと厳しい。そこに磨きをかける練習をやって来ていましたから。

豊田:阿吽(あうん)の呼吸で複数の選手が連動しながらワンタッチで繋げていくああいうパスは、若いプレーヤー同士なら短い練習機会でも交換できてしまうものなのでしょうか。

直輝:1ヶ月に1回、1週間ずつの合宿が出来ていたので。それだけあればじゅうぶんだった。コミュニケーションも問題なく取れていましたし。
<*編集部注:日本4-2北朝鮮。またもや延長戦に突入する激戦だったが、技術と連携プレーに勝る日本が逆転で12年ぶりの優勝を飾った>

豊田:それにしてもあの大会以来、あなたは錚々たる面々にラストパスを通していますね。代表デビューのチリ戦で本田圭佑選手に、U17代表で柿谷曜一朗選手(徳島)に、U22代表で永井謙佑選手(名古屋)に、そしてレッズに戻っては元気君……。見ていて思うのですが、受け手のタイプ、効き足やスピード、どんなタイミングでどんな球速のボールを欲しがっているか等を、直輝君は即座に見抜いているように思えるのですが?

直輝:(ニッコリして)あ、それはすぐに分かります。

豊田:まあ、分かった上でキックフェイントも入れながらポイントに通す精度も凄いわけですが(笑)。少ない練習の中でもこの選手はどんな走りか、どんな位置でもらいたがっているかを掴んでいるわけですね。吉野監督も「直輝は小さい時から守備の弱点や敵を崩す要素を見極めるのが異常に速かった」と証言しておられる。

直輝:自分では他の人より速いかは分かりません。受ける人も僕を分かってくれているのだと思うし……。

豊田:なるほど。ところで私はこのクラブハウスでの取材は久しぶりなのです。10年以上前、あなたと同じように若くして浦和レッズの未来を担っていた名選手にインタビューしたことがありました。それが小野伸二君だった。

直輝:(笑顔で深く頷いている)

豊田:彼もゲーム中に「次に起こること」や「敵の弱点」をいち早く見抜く能力を持ち、そこに高精度のボールを供給できるプレーヤーでした。いまの直輝君と同年代だったけど、やはりケガに苦しみながらも主将としてレッズをJ2からJ1に復帰させる挑戦をしていた。まあ、当時のレッズのクラブハウスはこんなに立派な応接スペースはなかったですが……。彼はそんな設備もほとんどそろっていないホーム浦和の拠点で、黙々とリハビリに取り組んでいたのです。

直輝:(変わらず黙って聞いている)

豊田:それでも浦和レッズに来てくれた理由を私が聞くと、彼はこう答えた。「クラブやサッカーの内容、監督や選手がどうこうと言うよりも、僕は浦和というホームタウンの中で、あの駒場のピッチ上でプレーすることが夢だった。そこに行くことが自分の将来の栄養になると思っています」と……。直輝君はまだ子どもだったと思うけど、小野君も虜にした当時の駒場スタジアムは、凄い雰囲気だったんですよ。

直輝:(きっぱりと)いや、知っています……というか、僕もその”駒場”を作っていた一人だから。ものごころついた時には、もうメインスタンドの左端あたりにいたんです(笑)。

豊田:あ、やっぱりそうなんだ……。

直輝:友だちにシーズンチケットを持っている人がいた。その友だちのお父さんが行けなかったりしたら、連れていってもらったり。その後も父親に連れていってもらったり……。

豊田:それは嬉しい証言ですね。

直輝:福田さんや岡野さんが走るグラウンドはいつか自分が立ちたい場所でした。だからいまもピッチに出てスタンドの「PRIDE OF URAWA」の弾幕が目に入ると、涙が出そうになるんです。

<山田直輝 インタビュー完全版(3)>に続く

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