浦和フットボール通信

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浦和フットボール交信 – Vol.1~その「土台」とは何か?~豊田 充穂

豊田充穂浦和フットボール交信 Vol.1
その「土台」とは何か?

豊田 充穂(コピーライター)

2009年12月24日。クリスマスイブというのにスタジオ出入りの作業のさなか、浦議管理人のかなめ君からコラム依頼のメールを受ける。お題は「昨季のレッズを観ての総括を」とのリクエスト。
実のところ私は、この最大のレッズ系応援サイトの管理人氏から『浦和フットボール通信』の執筆とクリエイティブワークも依頼いただいており、仕事の合間を縫っては地元のフットボール事情を取材する日々を過ごしてきた。前もっての言い訳ではないが、そんな理由から私はここ数年、みずからのパスでレッズに肉薄した取材歴を持っていない。(※1)

我らが街に凱歌は響き(※1筆者のレッズ関連書籍の刊行は『我らが街に凱歌は響き』(2004年2月 流星社)が最後。2003年ナビスコカップで初戴冠までのレッズとホームURAWAの苦難がサポーター視点から綴られている。)

だが、しかし……。URAWAは特別というか、不思議な街だ。
市街のど真ん中に暮らし、その空気を吸い続けていれば、フットボールの話題という土地風に乗って「レッズの現在」は夜に昼に伝わってくる。これはあらゆる角度からクラブに関わり、情報に精通する近隣住人が多々いるという理由による。
加えて仕事先が、スポーツジャーナリズム(最近は悪評高いようだが)の中心地である都内新宿区や千代田区の界隈となれば、確度も鮮度も高いクラブ情報にも触れることもできるので、”状況証拠”は出そろう。つまるところこの連載は、そんな私の立場で聞くことができるURAWAならではの市井の声を源に発信していこうと考えている。

■土台づくりの1年
さて、昨季のレッズ総括となれば、キーワードは「土台づくり」。
この一言以外あるまい。メディアでも、サポーターの間でも様々な議論が交わされてきた。
だがそれでは、そもそもレッズが作ろうとしている「土台」とは何か? 
あれほど会見でくり返され、並み居るジャーナリストたちと対話を重ねてきた言葉だ。
サッカー自体の範疇、つまりプレースタイルや戦術面における「土台」なら、現場の指揮官
フィンケ監督以下、コーチ、選手まで、かなり鮮明なイメージ共有ができていると思われる。
(現状では、あくまでもイメージだけではあるが)
では、社長以下フロントを含めた他のクラブスタッフの間では、その「土台」はどのように理解され、どこまでイメージを共有する作業が行われているのか?
前述通り最近の私はレッズの取材をしていないので、”状況証拠”を見ての推測でしかないが、もしも「それは監督や新任の柱谷さんが、選手やコーチと現場で作っていくものでしょ?」などという空気がいまのクラブ内にあるとしたら、問題は根深い。
心ある支持者やサポーターは、この「土台づくり」とは「クラブ内すべてにおよぶ意識からの抜本的な改革」と理解していることを、まずはここに確認しておく。
でもま、これは当連載の中でじっくりと検証して行くつもりの問題だ。ひとまずワキに置く。

■サポーターにとっての「土台」とは?
連載冒頭の俎上に乗せたいのは、サポーターにとっての「土台」である。
「問題とされているのは、クラブの土台づくりのことなのでは?」
「フィンケやTDといったプロに任せるのだから、その土台づくりにサポーターが関われるはずがない」
「応援で勝たせるというレッズサポーターの概念は、限界に来ていると思う」
「レッズに見せて欲しいのはプロとしての仕事の土台づくり。私たちはあくまでそれを見守り、お金を払って観る立場だということを双方が認識すべき時」
極端な例なのかも知れないが、最近出会ったサポーターのコメントにはかつてのレッズ支持者からは聞かれるはずがなかったニュアンスが漂う。
そして、このサポーターやホームURAWAにまで介在しはじめた一種の違和感はなおさら昨季のキーワード、「土台づくり」に重く苦いイメージを加える。
では、読者諸兄とともに結論を考えよう。
レッズサポーターが作るべき「土台」とは何か? 私はそれは、「経験の再検証」であると思う。そして、その経験を「行動に活かすこと」であると思う。
タイトルの数では他の強豪に及ばなくても、私たちにはホームタウンもサポーターも一体となって、低迷、降格、復帰、栄光、そして停滞という、およそ考えうるかぎりのフットボールの修羅場を経験してきたキャリアがある。(※2)

(※2  J創成期においては「万年最下位」だった浦和レッズは、オジェック監督の起用によって上位争いを演じる成長を示すものの、根本的なクラブ改革は果たせないまま99シーズンには降格を経験。苦闘の連続だったJ2からは1年で復帰を果たすが、その後も2年以上にわたる低迷期を過ごす。サポーターのタイトルへの希求が限界にまで達した02年にはハンス・オフトを監督に招聘し、03年秋のナビスコカップ優勝でついに「無冠」の汚名を返上した。06年のリーグ初制覇、07年のアジア制覇、その後の低迷など、以降の経緯はご存知の通り。)

しかもそれは、Jリーグの誕生と共にレッズが本拠を据えるまでの、百年におよぶホームURAWAのサッカー史にも連結している。
これはこの地だけに流れた「サッカー時間」であり、時計を巻き戻すことができないのと同じく、他クラブが倣うことができない宝物である。(*3)

浦和フットボール通信Vol.11(*3 埼玉サッカー100年の歩みとJとの関連は、『浦和フットボール通信』Vol.11号の轡田隆史氏と星野和央氏の対談にその概要が紹介されている。)

これを活かさない手はないだろう。
例えば低迷の時代、当時のクラブに欠けていたものを我々は知っている。
逆に、苦しいさなかにやってくれたことも鮮明に憶えている。
降格の頃のフロントの様相も記憶しているし、それに対してサポーターがどんな行動を起こしたかも忘れてはいない。栄冠をつかんだ頃のスタンドとイレブンの一体感は「赤い悪魔」が財産としてきたキャリアであるし、URAWAの市街地にまでおよんだあの時の熱狂はいまだに語り草である。
何のことはない。こうして並べてみれば歴然だ。
レッズサポーターはレッズの盛衰に深く関わってきたし、忌憚なく言い切れば、常にクラブの改革の発端に点火し続けてきたと言ってよい。
幸いこの連載は、ゴール裏の動向を熟知している『浦和フットボール通信』の椛沢佑一編集長とのリレー方式となっている。(*4)

(*4 当コラムはリレー方式で、10日間隔で更新して行く予定です。)

私たちが自らの経験を、それが持つ意味ともども浦和レッズとその周辺に投げかけるにはどのような方策があるのか? 
埼玉スタジアムの応援の震源地を担う面々にも、その見解を問いたいと思う。
(第1校 了)

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