河合貴子のレッズ魂ここにあり!「山椒が効いた九州男児~梅崎司選手」
J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。
絶好調・梅崎が怪我で離脱。しかし更にパワーアップして帰ってくるはずだ!
愛想笑いが出来ない正直な男、それが私の梅崎司選手の印象である。人見知りするタイプでは無いが、決して社交的とは言い難い。浮ついた所も無く、地にしっかりと足が着いている。いかにも『九州男児』そのものである。それは、梅崎選手のプレースタイルにも表れている。左サイドでも、シャドウのポジションでも任された役割を的確にこなす。左サイドから軽やかなドリブルで相手DFをかわして中に切れ込み、研ぎ澄まされた感性でゴールを狙いチャンスを見逃すことは無い。かと思えば、オーバーラップして来た槙野智章選手と絶妙なコンビネーションを魅せる。選手としては体格に恵まれている訳では無いが、『山椒は小粒でもぴりりと辛い』と言われるように、まさに梅崎選手は『浦和の山椒が効いた九州男児』だと思っている。
梅崎選手が、浦和の山椒が効いた男になるまで、浦和に加入して4シーズンの年月を費やした。09年、シーズンの当初から腰痛を患い手術し長期離脱、復帰したかと思いきや右膝前十字靱帯損傷で約9カ月のリハビリ生活を送り、更に右半月板損傷と不運が続いた。苦しいリハビリ生活を終え漸くコンディションも戻って来たが、焦りからか本来の梅崎選手の輝きは無く、メンバーに入ることも出来ない状況に陥ってしまった。怪我で思いどおりのプレーが出来ない状況とは、また違う苦しみが梅崎選手を襲ったのだ。だが、苦しい逆境から逃げずに自ら出した答えは、ゼロからのスタートであった。(2011 5・26 4年目 梅崎司の気持ちの変化)
ゼロからスタートをした梅崎選手は、暗黒の苦しい逆境から多くのことを学んでいった。怪我をしない身体作りをベースに、コンディションには人一倍気を使っているように思えた。練習が終わり、梅崎選手に話を聞こうと声をかけると、必ず「ランニングが終わってからで良いですか?」と話し、スパイクからランニングシューズに履き換えて一人で黙々と走りだすのだ。それは、どんなに寒い日でも、暑い日でも、疲れていてもその姿勢は変わることは無い。「もう二度とあんな思いは、したくないですから・・・」と梅崎選手は苦笑いする。ミシャ体制になり、充実した日々を過ごして来た梅崎選手は、昨年の暮れに入籍をし、今シーズンは益々心身共に充実し、それがプレーの面でも現れていた。
しかし、7月31日エコパで行なわれたジュビロ磐田戦の前半38分、相手DFと接触してペナルティーエリア内で梅崎選手は、顔を両手で押さえ込むように倒れ込んだ。なかなか立ち上がることも出来ず、脳震盪でも起こしたのか?双眼鏡で覗いても記者席にいる私には、状況が掴めない。関チームドクターが、駆け寄りピッチの外に出て様子を確認し、梅崎選手は再びピッチに戻るも、両手で瞬きをするようなしぐさをして、ピッチに座り込んだのだ。後日、右目眼窩底骨折と診断され整復手術を受けた。どんなに日頃から気を使って、怪我をしない身体作りをしてきた梅崎選手であったが、今回の怪我は避けようのないものであった。巡り合わせと言うのか、梅崎選手を不運が襲ったのだ。
梅崎選手の気持ちを思うと、不運では決して済まされない。絶好調だっただけに、悔しくていたたまれなくなるが、あの暗黒の逆境を乗り越えて来た梅崎選手なら、必ず今回の出来事もプラスに変える力がある。浦和の山椒が効いた九州男児が、このままで終わる訳がない。コツコツと地に足をつけ、更にぴりぴりと山椒を効かせてパワーアップして復帰してくるはずだ。
待ってるぜ!梅崎司!
Q.単に骨折と言っても、折れ方もいろいろとあると思うのですが・・・。
A.骨折には、骨が皮膚を突き破ってしまっていたり、皮膚から骨が見えて居る開放骨折と皮膚の中で起きた非開放骨折があります。開放骨折は、ばい菌が入る可能性があるので、6時間以内に綺麗にして処置をするのが鉄則です。よく複雑骨折と聞いたことが在ると思いますが、医学的には開放骨折のことです。骨折の応急処置としては、添え木をあてて冷やすことです。
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科クリニック
整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/