河合貴子のレッズ魂ここにあり!「存在感を示した男~柏木陽介選手」
J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。
柏木選手がピッチで存在感を示した時こそ、浦和に勝利を呼び込む時である
試合終了間際、梅崎司選手の右CKを名古屋のDFがクリアーしたこぼれ球を那須大亮選手が拾い、豪快にシュートを放った。さらに興梠慎三選手がそのシュートのコースを変えて、ゴールが決まり、アウェーの名古屋で劇的な勝利をおさめた。
その瞬間、柏木陽介選手の姿はピッチになかった。
前半10分に名古屋に先制点を許した後、68分に原口元気選手のゴールで同点に追いつき、更に逆転を目指してミシャ監督は「ボールを散らしサイドを有効に使え」と鈴木啓太選手に伝えて、75分柏木選手に変えて鈴木選手をピッチに送り込んだのであった。
名古屋戦から中3日で迎えるナビスコカップ予選B組徳島戦は、週末のリーグ川崎戦を視野に入れ、選手のコンディションを考慮して大幅にメンバーを変更して挑んだ。
徳島戦の前日、名古屋戦のスターティングメンバーから唯一人、練習に加わった柏木選手は「名古屋戦の交代は、正直、納得はしていないが・・・。試合したい」と気持ちを切り替えていた。そして「メンバーが変わる分、今回は俺がみんなのサポートをしたい。試合出られずに、試合に出たい!勝ちたい気持ちが強いメンバーだ。普段、試合に出るチャンスがない選手達と勝つ喜びを一緒に味わいたい。阪野は、頑張って身体を張るのが持ち味。直輝(山田)はいろんなところに動くからサポートしないとね。上手く操りながら、サポートしていく」と黒子に徹して周りをサポートして行くことを話していた。
その言葉通り、ナビスコカップの徳島戦での柏木選手の動きは、周りの選手をサポートしながらピッチでチームを鼓舞し、プレー面はもちろんメンタル面においても随所で存在感が際立っていた。
今シーズンJ1に昇格し未勝利の徳島は、勝利に飢えていた。前線にドウグラス選手を残し5-4-1とブロックを形成して守備を固め、攻撃のチャンスを覗って来た。浦和は、ボールを支配するものの19分徳島の左CKからのトリックプレーで先制点を許すと、焦り出すチームメイトに対して柏木選手は、落ち着いてゲームコントロールをして行こうと声とジェスチャーで必死に伝えていた。
そればかりか、柏木選手は決して足の速い選手ではないが、必死に走り、ボールに食らい付き、球際で闘いマイボールにしてチャンスを作り続けていた。その柏木選手の踏ん張りが功を奏して、試合終了間際に濱田水輝選手のヘディングが決まり4-3で徳島に勝利した。
浦和は、まさに薄氷を踏む勝利であったが、柏木選手のパフォーマンスは、誰もが認める存在感溢れるプレーであった。試合後、柏木選手は「しんどいけど、自分達が招いたことだから・・・。その中で勝てたことは良かった。我慢しながら、良い位置で前向いてプレー出来ていてチャンスは作れていた。こういう試合でキャプテンもやらせて貰って、試合にずっと出ている中(メンバー)で、俺しか出てない状況で、試合に出ていないメンバーと組む中で、そこを引っ張って行って欲しいという意味だったと思う。全てを全部上手くしようとは、行かなかったけど・・・。点取られてからも、自分がボールを後ろで受けて『落ち着いてやって行こう』と声を掛けながらやれたのは良かった。落ち着いてやれば、点を取れると思っていた。いらない失点も多かった。こういう試合になってしまったのは、俺の責任もある」と勝利に酔いしれること無く、身を引き締めていた。
徳島戦から一夜明けた4月17日クールダウン後、柏木選手は「疲れているけど、海外でやっていたらこれが普通。疲れている中でも、良いプレーをしたい」と柏木選手の疲労を心配する声を淡々とした言葉で払拭した。そして、「後ろで(ボランチのポジションで)躍動的に動きたい。前線3人(李選手・興梠選手・原口選手)で突破出来る力がある。俺が良いパスを送ってあげれば良い」と笑った。徳島戦で存在感を示した男は、次節の川崎戦に向けてイメージを膨らませていた。
柏木選手がピッチで存在感を示した時こそ、浦和に勝利を呼び込む時である。
Q.子供のスポーツ障害のオスグット病について詳しく教えて下さい
A.オスグット病は、だいたい10歳から12歳ぐらいで起きる膝のスポーツ障害で一番多い怪我です。太腿の前にある大腿四頭筋がお皿の骨に付着し、そのお皿の骨が腱反射する膝蓋腱(しつがいけん)が脛骨に付着します。その脛骨に成長軟骨があり、走ったり、ボールを蹴る動作を続けているとことにより成長軟骨が刺激されて過成長して、痛みと共に骨が飛び出して来ます。
川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科クリニック 整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション http://www.kawakubo-clinic.jp/