浦和フットボール通信

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浦和フットボール交信 – Vol.7~クラブの「土台」。それはホームに向けて開かれた扉~豊田 充穂

豊田充穂浦和フットボール交信 Vol.7
~ クラブの「土台」。それはホームに向けて開かれた扉 ~
豊田 充穂(コピーライター)

クラブ自体の「土台」づくりにもこのコラムで言及しなくてはと思案しているさなか、ふと目にした『浦議』のメイン掲示板が久々に盛り上がっている。椛沢編集長が前回コラムでとり上げていたスレッドは、私もオンタイムで読んだ。ACL制覇当時、「勝ち続けていた頃のレッズ」を読者がどんな気持ちで観ていたかを問う内容。つまり勝利至上よりも土台づくりを唱える現在のクラブ方針を支持する人々は、常勝時代のレッズに当時から不満を抱いていたのか? 実のところは“フィンケ擁護”の背景となるスタイル確立なんかは二の次で、勝利やタイトル獲得をシンプルに喜んでいたのではないか? という設問になっていた。
うんうん、分かる。これは良く考えられたスレッドだな。いまのレッズサポーターの志向や温度の微妙な格差を、巧みにあぶり出す仕掛けになっている。果たしてこのスレは反響を呼び、掲示板には持論を戦わせる読者の反応で埋まって行った。編集長の前回コラム、「勝つことよりも内容重視」なのではなく「勝つために内容を求めている」……という結論も、このスレッドの問いに対する編集長らしい回答になっていると感じた。(*1)
 (*1 ついにアジアの舞台に登場した赤い悪魔。対抗心に火がついた敵地のオーストラリア、中国、そして韓国……。浦和レッズの歴史が塗り替えられたのは、やはりリーグに続くACLの制覇(07年)だろう。サポーターのアウエーでの闘いを現地から報じた『浦和フットボール通信』は大きな反響を呼んだ。)

 ■作る土台さえ見えなかった時代。
これはサポーターの意識にまつわる論争なのだが、同時に浦和レッズという「クラブの土台」にまで関係するテーマと私は思う。よってこのスレッドに対する私自身の回答をもって椛沢編集長への返信コラムとしたい。
掲示板のやりとりではACL制覇がレッズの歴史の分岐点とされている。だがそうであるなら、やはりその時点までの経緯を省みなければレッズとその支持者が置かれた当時の状況は掴めないのではないか。そこに至るまでの紆余曲折をリアルに再現しなければ、アジア王座を掴む「あの決戦」に臨んだレッズサポーターの心情は測ることができないのではないか。
時計をレッズのJ1復帰当時(2001年)にまで巻き戻す。いかに1年で復帰を果たそうと、私たちにとって降格は癒しきれない痛手だった。タイトル獲得歴がないまま転落を経験したレッズはリーグにおける発言権も影響力も低下し、常に下位にさまよう苦境は打開の糸口が見えなかった。オランダ人 → 日本人 → GMが兼任 → ふたりのブラジル人という不可思議な政権リレーは成果を生むはずもなく、クラブ内に確たるチーム戦術が育まれる視界はゼロのまま。辛うじて実現したのはFC東京からトゥットを、川崎からエメルソンを買い取るという「最悪の事態をくり返さないための保険」といえる応急処置ばかりだった。駒場を埋めていた当時のサポーターの気力も限界で、サッカーの街を掲げるホームタウンの威光も消えうせる寸前だったと言ってよい。そしてこの事態は、「老舗クラブの面子」とか「サポーターのストレス」といった情緒的な危機レベルを完全に超えていた。当時の取材歴をひも解けば、レッズの低迷があのまま続けば支援打ち切りを検討するスポンサーも複数存在したことが記録されている―――。ハンス・オフト招聘を起点に改革に着手し、初タイトルからアジア王者を手にするまでの数年間。これが我らのホームチームが直面していた現実である。そこには「チームの土台づくり」や「魅力的なプレースタイルの模索」を優先する余裕はない。理想のチーム像をあれこれ思い描いている場合ではなく、切迫して求められる目の前の1勝にすがりつく日々だった。J発足時から続いていたレッズの歴史上の空白。それはまずは勝利、まずはタイトルという“カンフル剤投与”に徹しない限り、埋めることができない代物だったのだ。
以上、列記したのはごく基本的な浦和レッズの近代史である。この経緯を改めて目にしてもなお、ACL制覇当時までのレッズの「1勝の重み」や「ひとつのタイトルの意味」に何の感慨も抱けないレッズ支持者がいるとは私には思えない。この近代史は私たちのかけがえのない遺産であり、クラブ史に横たわるきわめて重要な部分だ。記憶を甦らせ、あの場所から這い上がってきた我々の歴史を広く若い世代に語り継ぐことは、ベテランのサポーターの責務だろう。それが果たされれば、現在のフィンケ体制を堅持するクラブとその決定を支持するレッズサポーターへの理解も違う広がりを見せると私は思う。 

■レッズとURAWAを繋ぐ、相互努力の継続を。
今回コラムに記した「浦和レッズの近代史」の苦難を無駄にしないためには、むろんクラブ自体の「土台」づくりも欠かせない。だが、私はこの課題を一方的にクラブサイドに投げかけるつもりはない。事はそれだけでは解決しないことは、我々の経験上からも明らかであるからだ。むしろ解決に向けての将来的な責務は、レッズサポーターやURAWAの住人である私たちに厳しく問われるものになって行くと予想する。
そもそも浦和レッズはサッカーの古都である浦和と、その場には何の地縁もない三菱のサッカーが手を携えて誕生したクラブだ。ジュビロのような世界に旋風を起した国際企業(YAMAHA)と城下町(磐田)という共存関係はなかったし、神様ジーコに全権を託したスポンサー(住友金属)がアントラーズのために鹿島に敷設した“完全ブラジル仕様”の拠点があった訳でもない。私たちURAWAの住民とスリーダイヤは、志を持つ双方の面々が「サッカーへの純愛」だけを頼りに手を携える道すじを模索してきた。浦和レッズ発展の影にはホームタウンとクラブが何の接点も持たない時代から、障害をとり除き、融合点を探り、協力体制を築くために奔走してきた人々の歴史があるのだ。弱小レッズの改革の発端となったのは王国復権を求めたホームタウンの発声に他ならないが、それを受けて行動を開始したレッズ内部スタッフの貢献もまた、大切なレッズ史の一部であったことを忘れてはならない。

(久々の大一番となった4月18日・対川崎フロンターレ戦のキックオフを待つ埼玉スタジアム。クラブとサポーターとホームタウンの結束、すなわち「土台」が見えた時の浦和レッズは、いまも他を圧する熱狂と勝負強さを発揮するポテンシャルを秘めている。)

ただ残念なのは、かくも「100年構想」を連呼しているJリーグ周辺のメディアが、この手のクラブ史を報道・論評する機会がいかにも少ないことだ。マスメディアのコンテンツは日ごと国際的になり、数を増し、目を通し切れないほどのサッカーネタがファンに届けられる。
その多くが世界のビッグタイトルや強豪クラブの勝敗であり、指揮官やスター選手の動向や談話であり、先端の用語を散りばめた戦術評がそれに続く。部数や視聴率に縛られるその舞台では「最新ニュース」であることが絶対の正義であり、それらの「需要が見込める」情報ばかりが幅を利かせてゆく。椛沢編集長が指摘した「90分間の試合だけを切り取ってサッカーを語る」ファンの増殖に、マスメディアも一役買う傾向が進んでいる訳だ。
だが、レッズ支持者なら忘れてはいないだろう。Jリーグは17年の歴史の中でも、多くのクラブが多くの過失を犯してきた。経営が悪化したスポンサーの身勝手な決断のもとに消滅してしまったチーム。買収に乗り込んで来た投資家の意向で、サポーターに受け継がれた大切なチームカラーを塗り替えられてしまったクラブ。そして、待ち望んだ名将を満足な釈明もないまま代表チームに譲り渡すことになった某名門の支持者たち……。これらはチームの存続やファンのアイデンティティにも関わる重大な事例であり、しかも「あの時、もう少しクラブとサポーターの意思疎通が成立していれば」という教訓も内包している。我らレッズサポーターはこれらの事例を自らの経験と照合し、クラブとの意思を通わせるパイプを粘り強く維持して行かなくてはならない。そしてクラブは……たとえ受動的であってもかまわない。レッズサポーターとホーム浦和からのアプローチに真摯に耳を傾ける姿勢を持ち続けて欲しい。その努力の積み重ねこそがいまある浦和レッズの源であり、クラブの「土台」に他ならないと私は思う。

(第7稿 了)

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