浦和フットボール通信

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浦和への伝言2010 大原ノート – vol.2 鳥瞰図

浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。

vol.2 鳥瞰図

■大原で練習試合を数回見たことがあります。スタジアムと違って、選手と同じ平面で試合をみると、素人には何が起きているのか全然分かりません。目の前を左右方向に動くのはもちろん分かるのですが、奥行きへの距離感がまったくつかめないのです。

■それなのに、選手は大きなサイドチェンジをしたり、スペースへ走りこんだり、「ピッチを上から見ているように」動くではないですか。埼玉スタジアムのアッパーに座っているときはもちろんピッチ全体が見えますから、逆サイドに大きなスペースがあると思わず「みぎ~」とか「ひだり~」とか叫んでしまい、そのとおりにボールが動かないと「ああ~」なんて言ってしまいます。でも、これって大変なことだったんだと大原で思いました。

■そういえば、いつだったか、とても白熱したいい試合の最中に、何度も何度もピッチに鳩が舞い降りて何かをついばんでいたことがありましたね。鳥の目でみれば、いくらでもスペースってあるのだと妙に感心したことがあります。

■でも、世の中にはもっと高いところから地上を見ることができた人もいます。大原の練習場の脇を川が流れていますね。あれは川ではなくて「見沼代用水西縁」、人の手で作られたものです。埼玉の小学生なら習うことですが、知らない方は「見沼台用水」などと間違って表記していたりします。正しくは「代」、見沼というため池の「代わり」に今から二百数十年前に作られたかんがい用水路です。

■あの水はなんと利根川から80kmも綾瀬川や元荒川の上を越えたり、下をくぐったりしながら引かれたものです。大原の練習場や野田のさぎ山記念公園、下って東浦和の通船掘あたりまで、今、見沼田んぼと呼ばれる広大な農地はかつて「見沼」の水底だったのでした。ゆがんだY字のような大きな見沼を干拓するために、はるか80km先の利根川から水路を引くなんて、山も丘もない埼玉の地上レベルに立ったままでどうやって考えついたのでしょうか。

■考えた人は八代将軍吉宗の家臣、井沢弥惣兵衛為永。詳しいことは他のサイトにあるので、ここでは触れませんが、一つだけ。この壮大な土木工事の実際の工期はなんと半年だったそうです。今、用水を見ればなんということもなさそうですが、水があふれず、滞らず、自然に流れる路を作るというのは簡単なことではありません。現在ではグーグルマップでこの土木工事の全体像を簡単に見ることができますが、大原の駐車場脇の土手を登って用水のほとりに立って左右を見渡してみてください。井沢弥惣兵衛がどれほどの「鳥の目」を持っていたのか、感心するほかはありません。

■「見沼代用水西縁」があるのですから、そうです。「東縁」もあります。見沼田んぼの埼玉スタジアムに近い側、東側を流れています。そこに「さいたま緑のトラスト基金」による保全第1号地として、用水と斜面林の景観が保存されている場所があります。今回、黒木カメラマンと一緒にいってみました! 見沼代用水は現在でも活用されている現役の施設ですので、ほとんどがコンクリートで補強されています。でも、このトラスト地ではかつての景色のままに野草の繁る土手と美しい竹林の間を、ゆったりと流れています。



■今年のレッズのサッカーはアッパーの住人にとって、とても見ごたえのあるサッカーです。ピッチレベルに立ったらなにも見えない凡人も、スタジアムでは「鳥の目」で見ることができます。選手に聞こえないのはわかっているけれど、「みぎ~」「ひだり!!」と楽しませてもらうことにします(今年は、「おお~、そこね!」と感心する回数がとっても多いですよ)。

<了>

ももせ・はまじ
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、
多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。
保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、
保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の
副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本
部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市
在住。

くろき・ようこ
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、
千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から
研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォト
グラファー、イラストレーターとして活躍。現在、
セツ・モードセミナー勤務。川口市在住。

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