浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「サッカーのない人生なんてありえない~田中マルクス闘莉王選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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どこでプレーしようが、闘莉王選手らしくいて欲しいと願う

天皇杯と共に年が明けたと思いきや、暦の上ではもう立春を過ぎた。浦和は、鹿児島キャンプの真っただ中である。つくづく、2月9日に開催されるACLのプレーオフにならずに良かったと思えてならない。この時期は、どのクラブもJリーグ2016シーズン開幕に向けて、補強して今シーズンを闘う上でのチーム作りに取り組んでいる。

そんな大事な時期に、未だ今シーズンの去就が決まらない選手がいる。Jリーグで闘えるスキルが無いのであれば致し方ないことであるが、十分に闘える能力があるのに所属クラブが決まらない。何とももったいない話である。その選手の今後の行く末が、気になって仕方がない。名古屋を退団した田中マルクス闘莉王選手だ。

闘莉王選手は、1998年にサッカーの才能を見込まれてブラジルから渋谷幕張高校に来た留学生であった。日本語も分からず、たった一つのカバンを握りしめて自分のルーツとなる日本にやって来たのは、まだあどけなさが残る16歳だった。

「何を話しているかのさっぱり分らなかった。ホームシックになり、ブラジルに帰りたくて泣いたよ。本当に辛かった。半端ないよ」と浦和に在籍していた時に、闘莉王選手は笑い話のように流暢な日本語で高校時代を振り返り話してくれたことがあった。

プロのサッカー選手として自信に満ち溢れていた闘莉王選手からは、全く掛け離れた話に驚いたことを今も覚えている。闘莉王選手が一番人生で辛かった時期を支えてくれたのは、サッカーであった。だから、闘莉王選手にとって、サッカーのない人生なんてありえないと思う。

高校卒業後は、念願のプロ選手となって2001年に広島に入団した。2003年、外国人選手枠の関係で広島から水戸にレンタルされ、J2ながら守備も攻撃も出来る選手として活躍をした。

その活躍が認められると闘莉王選手は「日本のためにサッカーをして、お世話になった人たちに恩返しをしたい」という思いで、アテネオリンピック出場を目指し日本に帰化したのだ。

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闘莉王選手が浦和にやって来たのは、その翌年の2004年のことであった。ギド・ブッフバルト監督体制の下で、期待の大型DF獲得に注目が集まった。しかし、アテネオリンピック最終予選のバーレーン戦で左太ももハムストリングの肉離れによってJリーグの開幕に間に合わず、浦和デビューは5月2日の広島戦であった。

出遅れたことを取り戻すかのように、闘莉王選手は3バックの真ん中でDFラインを統率し闘う姿勢を全面に出し、攻守に渡り存在感を見せつけていったのだ。負けず嫌いで、一途で、熱い男が闘莉王選手なのだ。

浦和時代には、敗戦後「足が痛いけど、俺だって精一杯、闘っているんだ」と闘莉王選手が思わずゴール裏に向かって叫んだことがあった。だが、浦和のゴール裏は「足が痛いとか、言い訳するな。プロなら万全なコンディションで挑め」と突き放した。

また、名古屋に移籍した闘莉王選手が、古巣の浦和と対戦した時に浦和のゴール裏から浴びせられたブーイングに「好きで浦和を出て行った訳じゃない。俺だって浦和にいたかった。なのにブーイングはないよ」と愚痴を零したことがあったが、今ではそのブーイングの深い意味を理解している。

対浦和戦のときに、必ず闘莉王選手は浦和のゴール裏に向かって深々と頭を下げる。闘莉王選手は「浦和のサポーターには感謝の気持ちしかない。自分を強くさせてくれたのは、彼らたちだ」と浦和を離れてしばらくしてから話していた。本当に人情に熱く、義理がたい男だ。

名古屋を退団することとなった詳しい経緯は、わからない。だが、浦和で過ごした6年間の闘莉王選手を知る者からしたら、契約金の問題ではないと断言できる。闘莉王選手が、妥協出来ないクラブの方向性があったのだろう。義理人情に熱い闘莉王選手であるが、名古屋と契約を更新しなかったのは、難しく辛い決断だったに違いない。

サッカーにおいて闘莉王選手は自分の考えがありしっかりと一本筋が通っていて、その筋を曲げてまで名古屋に留まることが出来なかったのではないかと思えてならない。

プロ選手として始まった広島で2年、活躍の場を求めてレンタル移籍した水戸で1年、更なる飛躍を求めた浦和で6年、経験を生かして名古屋で6年。日本に来た当時16歳だった少年は、もう34歳になっていた。

名古屋退団を知って、一番最初に声をかけたのはJ3鳥取でGMを務める元チームメイトの岡野雅行氏だった。故郷のブラジルでプレーをすることも考えられる。一端ブラジルに帰国して気持ちの整理をしてきた闘莉王選手は、2月2日に日本に戻ってきた。

Jリーグ開幕は、もうすぐだ。チーム作りの大事な時期に、闘莉王選手は何処を目指し、何を考えているのだろうか・・・。だが、間違いなく言えることは、闘莉王選手にとってサッカーのない人生なんてありえない。だから、どこでプレーしようが、闘莉王選手らしくいて欲しいと願う。浦和を愛する人々は、また闘莉王選手と対戦出来る日々を願っている。


Q.精神的な疲労について教えて下さい。

A.運動をし過ぎることにより精神的に疲れると、身体の中のホルモンのバランスが崩れて筋肉の回復を遅らせてしまいます。オーバーユース症候群中には、精神的疲労もあります。意欲が落ちれば、ホルモンの分泌が悪くなりパフォーマンスが落ちてしまいます。軽いトレーニングをしながら、リフレッシュすることが大切です。トレーナーさんたちが、メニューを作り食事管理し、乳酸値を図ったりケアーをしていきます。40℃ぐらいのお風呂にゆっくりと浸かりリラックスして疲れを取ると良いでしょう。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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