浦和フットボール通信

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浦和への伝言2010 大原ノート – vol.5 野田の鷺山

浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。

vol.5〜野田の鷺山

■私が埼玉県民になったのは昭和30年代ですが、そのころ野田には「鷺山」というものがありました。もちろん浦和にレッズはなくて、当時特別天然記念物だった「野田の鷺山」は旧浦和市最大の観光資源だったかもしれません。鷺山というのは、鷺がたくさん集まって巣を作り子育てするところです。野田の鷺山は特別天然記念物になるくらいですから大変規模が大きく、巣の数3000個、個体数3万羽以上も集まったそうです。

■小学校6年生ぐらいのときに一度訪れた記憶があります。最盛期を過ぎていましたがそれでも竹林や農家の屋敷林の木々を枯らすほど白鷺がいました。記録を調べると1972年を最後に鷺は来なくなってしまったそうなので、実際に鷺山を見た記憶があるのは私の年代までかもしれません。享保年間から200年以上も営巣を続けてきた鷺たちが野田からいなくなってしまったのはなぜでしょう。

■享保年間と言えばそうです。見沼が干拓されて見沼田んぼになった時代です。そして1970年代には周辺が開発され、田んぼが激減しています。「野田の鷺山」は見沼田んぼというバックボーンがあって成り立っていたのですね。

■大原のすぐ近くに「合併記念見沼公園」という公園があります。面積3.9ヘクタール。広大な見沼田んぼと比べたら豆粒ほどの面積です。でもここには葦原と沼が再現されています。見沼代用水から引いた水がさらさらと流れ、沼にそそぎ芝川へと落ちていきます。こんな小さな自然でもかつてこの地にあった環境が再現されると、あっという間に多様な生物が戻ってくることに驚かされます。冬枯れの今の時期はバードウォッチングに最適で、沼の上に渡された木道を歩いていくと、襲われないと分かっているのでしょうか。すぐそばの枯れ草のなかで鴨がまどろんでいます。葦の茂みの中に大きな蒼鷺もいます。

■私たちが自然だと思っているところが、意外にも人が関わって人にとって快適な状態に保ってきた環境である場合があります。雑木林や田んぼは人間が暮らしていくために自然を利用し整えた環境です。本当の自然はもっと力強くてダイナミックで恐ろしいものです。人間が滅んで50年もすれば浦和の街もアンコールワットの遺跡のように緑の海の中に沈んでしまうでしょう。50年、100年など地球の時間からすれば瞬きする間です。究極の自然保護は人類が滅びることともいえます。でも、人間だって地球が生み出した自然の一部で、地球に心があるなら人間が滅びることを望んでいるとは思いません。私たちの行う「自然保護」とはつまり、人と自然がよいバランスで暮らせる環境を保つ「人類保護」なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■鷺たちは与えられた環境を利用することしかできなくて、見沼田んぼという環境が変化すると同時に「鷺山」という鷺たちの街は消えてしまいました。浦和という街が存在しているのは、その街を支えている何か大きなバックボーンがあるからだと思います。それはあるときは偶然に与えられたもの、あるいは自然発生的に生まれたものだったかもしれません。でも私たちは与えられた環境を利用するだけの存在ではないはずです。人と自然と、浦和らしいバランスを保ちたいですね。

■ところで、昨年、新潟のある温泉に行く機会がありました。駅から宿へむかうタクシーの窓から、田んぼの中に白い鳥がいるのが見えて「鷺かな」といったら「白鳥です!」と運転手さんにきっぱり訂正されてしまいました。田んぼ+白い鳥=鷺が常識の埼玉県民はびっくり! 新潟県って田んぼにごろごろ白鳥がいる! おまけに水に浮かんでいるときの優雅さをかなぐり捨てて、水掻き付きの脚でばたばたと歩き、嘴どころか頭まで半分泥に突っ込んで餌をあさっています。な、なんだか見てはいけないお姿を見てしまったような…。いや、あの、野生はたくましいということです。よく分かりました。どちらもそれぞれのバックボーンを十分いかしていて、埼玉スタジアムは白鷺、あちらのスタジアムは白鳥なんですね。すばらしいです。

番外編 「野田の鷺山」って江戸時代の名所図会にも載ってたような気がしたのですが、私の勘違い。「焼米坂」、「調神社」、「三室村元簸河神社」、「氷川宮大門先」、「大宮驛氷川明神社」、「大宮驛東光寺」、「黒塚 潮田出羽守城趾同墓碑」の7ヶ所で、残念ながら鷺山は入っていません。浦和の焼米坂が入るなら鷺山も入れて欲しかったなあ。江戸名所図会は2011年1月30日までさいたま市立博物館で展示中!http://www.city.saitama.jp/www/contents/1291035912648/index.html

ももせ・はまじ
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、
多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。
保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、
保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の
副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本
部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市
在住。

くろき・ようこ
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、
千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から
研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォト
グラファー、イラストレーターとして活躍。現在、
セツ・モードセミナー勤務。川口市在住。

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