浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「野心を抱く男~榎本哲也選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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横浜の正GKが浦和に来た理由

一人の男が浦和にやって来た。なぜ彼が浦和という地を選んだのか理解が出来なかった。榎本哲也選手は、横浜FMの下部組織で育ちで2002年にトップチームに昇格してから14年間も在籍したクラブを去った。

正直、横浜FMで選手生命の最後を迎える選手だと思っていた。榎本選手は、浦和の入団会見前の1月7日、今まで支えて来てくれた人々に感謝の気持ちと共に「小学校1年生でF・マリノスのスクールに入り、今年で27年目。F・マリノスでユニフォームを脱ぐことが、自分の夢であり、家族の願いでしたが、プロのサッカー選手として最後の最後のまで選手としてやり切り、やり尽くしてから引退したいという思いからマリノスを離れる決断をしました。これほど悩んだことは今までの人生でありませんでしたが、4歳から始めたサッカーで、絶対に後悔はしたくなかったので、今回の決断に到りました。あと何年できるか分かりませんが、プロとして完全燃焼するために、最後まで全力を尽くします」と横浜FMでの最後の言葉をクラブを通して残していた。

悩み抜いた末の決断であったのは、間違いない。

若手へと切り替えを図る横浜FMから榎本選手に突きつけられた現実は、単年契約の選手兼コーチであった。選手としてピッチに立つ拘りからは、到底受け入れられない現実に相当悩んでいた。だが、そこに手を差し伸べたが浦和であった。

山道強化本部長は「彼のプレーは11分の1フィールドプレーヤーだ。誠意を持ってオファーさせて頂いた。実力は折り紙付きだ」と自信を持ってオファーしていた。それに応えるように「マリノスで終わるつもりでいた。だが、レッズが背中を押してくれた。僕的にも勇気がいることだった。背中を押してくれたことでチャレンジが出来る。本当に幸せだ」と笑顔を浮かべて榎本選手は嬉しそうに話していた。

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浦和には、日本代表でもあり浦和の守護神である西川周作選手という絶対的な存在の選手がいる。昨シーズン、西川選手は代表戦や代表合宿で抜けた以外は全試合出場を果たしている。ACLとリーグを狙う浦和にして見れば、試合出場の機会を求めて新潟へ完全移籍した大谷幸輝選手や右膝前十字靱帯断裂と半月板損傷で長期離脱してしまった福島春樹選手の抜けた穴は痛い。成長してきた岩舘直選手はいるものの、やはり西川選手の不在の時に経験ある選手が欲しいのは当然のことであった。プロ選手としてやり尽くしたい榎本選手の思いと浦和の思いが合致して成立した完全移籍であった。

しかし、守護神として横浜FMで活躍してきた榎本選手の実力であれば、絶対的存在の浦和の守護神西川選手がいる浦和でなく他のクラブだったら、守護神として活躍することが出来るはずである。なのに、榎本選手は敢えて厳しい状況下に置かれる浦和を選んだ。

「もちろん試合に出るのは、サッカー選手として当たり前のことだ。それ以上に、本当に欲しいと言ってくれた気持ちが、どんな立場であれ、自分が置かれている状況を理解した上でここに来た。そして「周作というレベルの高いGKと一緒に出来るチャンスは、もうこれを逃したら出来ない。今年34歳ですけど、上手くなりたいと思う。単なるそれだけの思い。周作から盗めればなと思ってやって来た。周作は、総合的な能力はもちろん高いが、大事な試合の時に結果が出せるGK。それは、運なのかも知れないけど、ちゃんとそれを引き寄せる。そういうことが出来るGKは限られている。周作の凄いところは、引き寄せる力を持っているとマリノス時代から俺はずっと思っていた。盗めるものではないが、技術とかビルドアップとか色々と見ていかないといけないと思う」と目を輝かせて話していた。

榎本選手の表情は、まるで向上心を抱いた新人選手のようであったが、プロ選手としてもっと高い目標を持った野心を抱いているように見えた。そこで、榎本選手に「ここは負けない」ところを尋ねてみると笑いながら「年齢じゃないんですか」と話し「俺は、結構いろいろ浮き沈みがあった経験があるので、そこの辺が違うのかなぁ」とまた笑ったのだ。

横浜FM時代の榎本選手の経歴を覗いてみると、決して順風満帆で守護神の座を手にしてきたわけでないことが良く分かる。下川健一選手や榎本達也選手、六反田勇治選手、飯倉大樹選手などと、その時代ごと常に誰かとポジション争いをし続けて来た選手である。2010シーズンはナビスコカップ1試合のみ、2011シーズンは天皇杯1試合のみでリーグ戦出場の機会は無かったほどだ。それでも、榎本選手は不撓不屈の精神で這い上がって来た。昨シーズンだって、飯倉選手の負傷により巡って来た出場機会を確実に掴み、リーグ戦23試合、ルヴァンカップ10試合、天皇杯3試合も出場している。榎本選手には、甘えや妥協が無い。切磋琢磨する厳しい環境に置き、成長していく。だから、守護神が保証されているクラブよりも浦和を選んだのだ。

向上心という言葉の響きは、非常に綺麗で心地の良いものだ。だが、向上心の言葉と違いドロドロした響きがあるのは野心だ。敢えて榎本選手には、野心を抱く男と言う言葉を使わせてもらう。それは、榎本選手から努力して絶対に試合に出場しようという強い決意が感じられるからだ。

浦和の守護神西川選手からポジションを奪う野心を抱く男が、浦和にやって来た。西川選手にとっても良い刺激となるだろうし、岩舘選手だってこのまま引き下がるわけにはいかない。

選手生命の最後を横浜FMで終える夢を諦めて浦和へ来たからには、野心を剥き出しに今シーズンを過ごして欲しい。それが、お世話になった横浜FMとオファーした浦和に対しての礼儀であることを榎本選手は知っているはずだ。野心を抱いた男の挑戦が始まった。

Q. 疲労を溜めないためのストレッチを教えてください。

A. ストレッチには、静的と動的があります。例えば、運動前に行うストレッチは筋肉を起こしてあげて怪我の予防になります。しかし、運動前に静的なストレッチを行うと筋肉がダランとしてパフォーマンスが上がらなくなります。運動直前のストレッチは動的ストレッチ、運動直後のストレッチは筋肉をほぐして緩める静的なストレッチで疲労を溜めないようにしましょう。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

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