浦和フットボール通信

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いまこそ育成は 浦和・埼玉ファースト 子どもたちの夢を繋ぐ、地元ネットワークの指針【吉野弘一・吉川政雄 (北浦和サッカー少年団)インタビュー】

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「スポーツを通しての地域活性と青少年育成」は、いうまでもなく創設以来のJの理念。そして、サッカーの街である浦和・埼玉が百年を超えて伝承してきたテーマでもある。各クラブのアカデミー年代へのとり組みの再考が唱えられて久しいが、本誌既報のホーム浦和の硬直(Vol.57号)には、もはや現状に甘んじる余裕はなくなった。山田直輝、矢島慎也、前田直輝ら、多くの地元Jリーガーを輩出している北浦和サッカー少年団を率いる首脳コンビに展望を質した。(浦和フットボール通信編集部)

Text/Mitsuho Toyota
Photo/Kazuyoshi SHIMIZU、Yuichi Kabasawa

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吉川政男(きっかわ・まさお)
1944年、東京北区生まれ。白幡中学時代に旧埼玉師範OB・池田久氏とともにサッカーに出会う。40年以上に及ぶ社会保険業務のかたわらで、79年より活動を支えてきた北浦和サッカー少年団の名物団長。北浦和サッカー少年団は、今季浦和に復帰した矢島慎也を始め、山田直輝(湘南)、前田直輝(横浜)、三島康平(松本)などJリーガーも数多く輩出している。

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吉野弘一(よしの・ひろかず)
1955年、旧浦和市生まれ。スポーツプログラマー。北浦和サッカー少年団の代表を40年務めるほか、フガルサッカースクール代表、東京成徳中学男子サッカー部テクニカルアドバイザー、ボカ・ジャパン テクニカルアドバイザーと数多くの指導にあたり、全国各地の小・中・高校生を対象に、サッカースクール及び講演活動も行っている。全日本サッカー指導者協議会(AJFC)理事。

発信続けて地元指導者の連携・交流を

UF:今季開幕のレッズ戦を見とどけたサポーターたちの声がありまして。「ヤジシンのレッズが見たかった。相手の決勝点だったけど、前田のゴールならまあ許す」と……(笑)。
編集部注:矢島慎也、前田直輝(横浜F・マリノスMF)はともに北浦和SSS出身。

吉野:あはは、そうですか。ふたりとも正月恒例の北小グラウンドでの初蹴りに来てくれましてね。Jの最前線を張ってる現役だから各々の悩みもあるでしょうが、地元でのリフレッシュに帰ってきてくれるのは嬉しいことです。

吉川:(両選手が吉野コーチと並んで写っている写真を笑顔でとり出しながら)これ、その時のショットなんだけど良く撮れてるでしょう?

UF:浦和・埼玉は出身地別のJリーガー輩出数で全国トップクラスと言われますが、これは地元指導者の皆さんの尽力の成果を実感する写真ですね。吉川さんも吉野さんも、団の運営はもちろんのこと学年ごとの遠征や招致、各種大会の主催などなど日ごろの負担は大きいのでは?

吉野:ベースに浦和というホームタウンがあることはもちろんですが、吉川団長始め各団幹部の方々の教育観やキャラクターなどが今日を築いている要素であることはお話してきた通りです。この街の世代を超えたサッカー熱は、やはり特別と思う。

吉川:父兄や周囲の方々の助力がなかったら、半世紀にもわたる地元の少年団史なんてあり得ません(北浦和SSSの創立は1967年)。ただ浦和も変わるし地域社会のあり方も変貌する。今日もこの後から勉強会があるのですが、存続にかかわるピンチに直面している団やクラブがあることも事実です。

吉野:こういう苦境に際してはメディアの利用が重要です。浦和・埼玉にとってサッカーは受け継がれてきた重要コンテンツ。発信を続けていれば「何かやりたい」と応える人材はいるのですから。たとえば浦和フットボール通信さん絡みで言えば、前回取材で会った桜井直人さんと交流ができ、地元の指導者会合が始まるキッカケになりました。

UF:地元メディアとして光栄です。どのような会合でしょう?

吉野:まずは2ヶ月に1回ペースで指導者が集まる地元サッカーの情報交換会が始まっています。そこにレッズやアルディージャのアカデミー担当や、クーバーコーチングの指導者、サッカースクールのコーチ陣など、少年サッカーに携わる人が垣根を越えて来てくださる。少年団とスクール間では指導者同士が話す機会など無いので、指導内容や父兄への配慮など貴重な情報交換の場になっています。互いの指導方針を聞くだけでも刺激になると思うし面白い。今後は開催だけにとどまらず、情報発信も積極的にやろうと計画しています。

UF:そこから色々なアイディアも生まれて来そうですね。

吉野:そうそう、交流のみならず連携の活動もしなければと考え、当団のプライベート大会で浦和出身のプロとして桜井さんのスクールを始めてもらっています。現状では地元と地元OB選手の関係がなんとも薄い。そこで地元出身者のJリーガー名簿を作り、折々に集まってもらうボランティア活動が出来ないかと……。まずはそのあたりから浦和・埼玉繋がりを支え始めたところですね。

UF:頭がさがりますし、浦和らしい手づくり感も素晴らしい(笑)。重要な一歩ですね。子どもたちにも刺激になるでしょう。

吉川:去年、北浦和ロータリーの55周年行事で台湾の少年チームとの交流会が催され、当団も共催に加わっていたのです。そこで鈴木啓太さんをお呼びしたサッカースクールが盛り上りましてね。その時参加された福島の少年団から今年も浦和にお邪魔したいとの連絡があり、当団の夏大会に急遽参加することになったりしています。

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育成テーマをレッズと共有させるJの動き

UF:活動のためのマンパワーも将来を見すえて考えなくてはなりませんね。

吉川:スポーツ少年団は五輪発祥の理念で礼儀、共同生活、人とのつながり等が育成のテーマですが、近年は競技スポーツすなわち民間のスポーツクラブに移行する流れがあり、団員数は減少傾向。運営上のやりくりも難しく、近い将来に小学校での活動は厳しくなる可能性が高い。団とクラブを越えた1つの組織をつくり、たとえばそこにレッズジュニアを迎えるという構図が理想と思うのですが。

UF:地元育成にレッズが関わる部分、もっと増やしたいですよね。情報によればJリーグは各クラブの育成における評価基準に、ベルギーで考案されブンデスリーガでも成果を上げている格付システム「フットパス」を導入。今後はクラブの育成ビジョンや指導者に求める資質などを明文化させて採点する等々、地元との連携についても取り組みを透明化させるとか……。現状では多くのJクラブも、組織事情や担当者の方針によって育成の考え方が変わってしまう悩みを抱えているようです。

吉野:もっと話や交流ができる機会があっても良い、とはつねづね感じています。申し上げてきたように「レッズがどんなプレーのチームを目ざすのか」あたりはぜひ聞きたい。そこを起点に色々な関係者と話し合うこともできるし、現状打開の案も生まれると思うので。

UF:レッズと地元育成とを協調させるには「継続的なシステム」が欠かせないと思います。レッズとの地元育成の関わりを見わたしても、たとえば吉野さんや町田隆治さんの個人的なコネクションに頼るしか実現も維持もできない現状がある。

吉川:そうですね。子どもたちの進路を考えるにしても、レッズからのアプローチ、情報提供などが他クラブと比較しても不足している現状は残念に思います。

吉野:たとえば教え子ゆえに矢島には注目しています。去年のリオ五輪で本当に成長した。目標が高くなり世界への視界も持てるようになりました。経験ってすごいなと実感しましたよ。11月に山田直輝とも会いましたが、湘南でプレー継続に悩んでいる時期だったらしい。曺貴裁さん(湘南監督、元浦和レッズ)の「自由にやれば良い。直輝らしいプレーをすれば良い」の言葉がきっかけになって最終戦に繋がったようです(名古屋戦 2得点の活躍)。メンタル面を含めたケアにおいても、少年時代から選手たちを見ている我々にも出来ることはあると思う。

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浦和・埼玉の「サッカーの日」を作ろう

UF:台湾のチームとの交流も始まっているそうですが、横山謙三さん(元浦和レッズGM、埼玉県サッカー協会長)は本誌インタビューに答えた子どもたちの経験値向上や育成の策として「各学校の施設活用」「リーグ戦などによるアウェー体験」などをポイントとして上げられていました。

吉野:特に経験値を上げる策としては、ロクフットボールクラブの浅井重夫代表が中学先輩ということもあり連携をさせてもらっています。ロクではヨット教室、沖縄遠征、台湾とのホーム&アウェー戦計画など企画行事が盛りだくさん。いまの台湾のフル代表監督が滝川第二高校元監督の黒田和生さんという繋がりもあるので、身近な国際試合も組めると思います。

UF:ただ吉川団長や吉野監督のスケジュールを考えれば、選手たちも含めて超多忙のはず(笑)。ここは以前、吉野さんが提案されていた通り「シンボルとなる大会」などを用意して、志ある地元の指導者の面々と会場のスケジュールを調整していただくとか……当面の目標として実現できないでしょうか。

吉野:たとえば「浦和・埼玉のサッカーの日」とかを決めて、ひとつのスタジアム会場で各年代の記念マッチやイベントを組み合わせる、そんなプランですよね。そこに海外のジュニア年代のチームとかを呼んで国際マッチも入れれば楽しい大会になると思う。子どものころの交流や遠征の経験は特別ですし、後々までの人脈づくりに繋がる可能性も大きいです。

UF:その企画、ぜひとも実現させたい。当日のイベントやゲーム後にOB選手の基調講演や懇親会なども用意すれば、それこそ立場の違う指導者の交流機会にもなるでしょう。

吉野:そうなんです。選手ばかりでなく、そこで指導者も見解や情報の交換ができる。大切な契機になると思います。

UF:むろんそういう舞台でも、浦和レッズも存在感を発揮して欲しいですよね?

吉川:そうそう、私の世代は「赤き血のイレブン」の誇りを体感した元祖だから(笑)。郷土の子たちを、あの赤のユニフォームのイレブンに送り込むことは、地元少年団の指導者たちが抱き続けている夢と思いますよ。もう半世紀も前の埼玉国体のころ(1967年)に我々含めた5、6チームで旗揚げをしたのが浦和・埼玉の少年団のそもそもの源流。上尾競技場で開催された国体セレモニーでは「埼玉だからサッカーだろ」ということで、浦和選抜と駒場が少年サッカー試合を行いました。

吉野:その時に選手で出場していたのが私です(笑)。子どものころから「サッカーの楽しみ」や「サッカーの仲間」に、いつの時代にどう出会ったかという実体験が何層にも積み重ねられているのが私たちの浦和・埼玉のはず。その土壌を、もっともっと活かして行きたいです。

(2017年4月 北浦和にて)

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