浦和フットボール通信

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未来の背番号4を目指して、橋岡大樹がプロデビューで感じたこととは【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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橋岡は向上心の塊のような選手

Jリーグデビューが、突然やってきた。背番号44番のユニホームをしっかりとショーツに入れ込み、緊張しつつも引き締まった表情をしてピッチへと橋岡大樹選手が走って行った。

YBCルヴァンカップ準々決勝・第1戦のアウェイC大阪。58分に接触から左足を負傷したマウリシオ選手に代わりピッチに送り込まれたのだ。ポジションは、右のストッパー。対人の強さを見せつけるように果敢にプレスを掛ける橋岡選手が、ピッチで眩しく輝いていた。

橋岡選手は「準備はしていた。もし誰かが怪我をしたら、僕か平さん(平川忠亮選手)かな?って思っていた。マウリシオさんが怪我した時も出る気持ちでいた。しっかりゲームに入れて良かった。(ピッチに)入ってからは、緊張というか必死すぎて、取り敢えず頑張ろうと思った。浦和のサポーターの中でやったのが初めてだったので、声援がある中でやれたのは鳥肌が立ったし、気持ちが入った」と浦和のサポーターに勇気づけられて、無我夢中だった。

「アップの時はサポーターの声援があったから、アップの時よりは、試合を観ている時の方が緊張した。自分が出たら、ここでやるのかって見ている時の方が緊張した」と試合の流れを見ながら、いつ訪れるか分からない出番をドキドキしながら待っていたのだ。

そして、橋岡選手はピッチに立つと「途中から楽しくなってきた」と試合を振り返り笑顔を見せていた。高校3年生ながら、何と肝が据わった大物DFだ。

C大阪の得点源であるリカルド・サントス選手と対峙する場面もあった。一瞬、ボールを見失いクルクルと回りながらボールの行方を探しながらも必死に食らいついていた。「回り過ぎだよって言われた」と橋岡選手は、はにかんだ。

そして「正直、ユースでは負けない。プロは強いって分かっていたが、絶対に勝てるだろうって思っていた。でも、外国人のデカい選手とやれたのは良い経験になった」と話し「でも、負けたままで嫌なので、もしあのような機会があったら、誰にでも負けないような工夫して、デカい選手にどう対処するのかしっかり見つけて勝てるようにしたい」と話した。

更に、柿谷選手とマッチアップした場面で「1回、ファールになってしまった。ボールを獲って行こうって思ったら、笛が吹かれた。ファールになったのは、相手ボールからなので・・・。ファールなしで獲れたら、チャンスになった。ファールなしで獲れたら良いと思う」と悔しそうに話した。橋岡選手は、どんな相手でも負けたくない強い気持ちを持った大型のDFだ。

「後ろをゼロで抑えることは、僕が入っても変わらずにできたのは良かった。やっぱり、コミュニケーションのところで、1本だけ駒井さん(駒井善成選手)に声を掛けられず、回られてクロスを上げられてしまった。プロの世界は、そういう1本でやられると思う。課題が見えた試合だった。通用したのは、対人のところは通用したか分からないが、そこまでやられなかったと思う」と守備面で手応えを感じ「まだまだですが、もっとストロングポイントして、誰にも負けないようにしたい」と目を輝かせた。

そして、後ろからの攻撃の組み立てに関して「コミュニケーションとビルドアップのところでどんどん前に付けられるようにしたい」と話した。

コミュニケーションの部分は、トップで練習を重ねていけば全く問題はない。後方からの攻撃の組み立ては、これからの課題になっていくだろう。

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橋岡選手は、典型的なDFの選手である。ペトロヴィッチ監督が指揮を執っていた当時にも練習参加していた。その時は、サイドチェンジや縦を意識したロングボール、クロスを入れる居残り練習に励んでいた。必死に正確なフィードを心掛けてきたのだ。その意識下で、足技にも磨きが掛かって来ている。努力を惜しまない選手だからこそ、ドンドン勇気を持ってチャレンジしていって欲しいと思った。

今回、夏休みを利用して橋岡選手は、8月16日からトップチームの練習に参加していた。「高2、高3で参加して、昨年は陽君(現在、筑波大学所属渡辺陽選手)がいたが、今年は同い年の拓也(荻原選手)がいて、同い年には絶対負けたく無い。あっちも良い刺激になったと思うが、僕的にも負けられない思いでやっていた。

もちろん、プロの選手たちはレベルが高く、付いていけないところはあった。自分のいろんなライバルを見つけていって、その人に勝てるようにしたいと思った夏休みだった」と話した。まるで、向上心の塊のような選手だ。

負けず嫌いで、向上心を持ち、本当に生真面目な橋岡選手。でも、恥ずかしそうに「みんなから、シャツをインしていると散々言われた。ユースでは、シャツをインするので・・・。ジュニアユースのころからそうだったので、やっちゃった。スポンサーがあるのを忘れていた」と照れ笑い。

以前は、ユニホームをショーツに入れ込むことがルールで決められていた。相手との激しい競り合いで、ユニホームを引っ張られたときにレフリーが分かりやすいのだ。そういう教えの下で育ってきたから、橋岡選手はきっちとユニフォームを入れ込んだのだ。

だが、身体にフィットする細身のユニフォームのデザインやスポンサーのロゴなどで、2012シーズンからJリーグでもインしなく良いようにルール変更がされたのだ。橋岡選手は、いつも癖がでてうっかりミスしてしまったが、それが非常に初々しくも感じられた。

これから、紆余曲折しながら様々な経験を積んで大きく羽ばたく選手だ。U-20日本代表候補にも選出され、U-19日本代表としてトゥーロン国際ユース大会にも出場し、来る東京オリンピックでは中心の選手になっていくだろう。そして、いつの日か浦和の闘将の証しである背番号4番を背負い、浦和を愛する人々と共に闘う日がやってくるはずだ。その日を目指し、大きな一歩を踏み出した。

Q. 肉離れが完治しているか、確認方法を教えてください。

A. 一般的には、1つ目はストレッチをして痛みがないかを診ます。2つ目は、関節の可動性です。可動域を診ます。3つ目は、左右の筋力を測ります。全体的に8割戻っていれば、スポーツに復帰できます。腿前を手で力を加えた時に痛みがあるか、踵とお尻がくっ付けることができるか、ふくらはぎの場合は左右のつま先立ちの高さが同じかなどいろいろな動作で確認します。もちろん、筋力を測定する器械もあります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

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