浦和フットボール通信

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羽中田昌(東京23FC監督)「愛される理由」は育成と地域との融合。 ホームタウンの最高峰、バルセロナに学ぶ。<育成型強豪クラブへの夢。Vol.1>

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 サッカー好きたちがバルサの魅力を語りあう場面なら、もはや見飽きた感もある。だが、カンプノウの熱狂、敵陣を崩すパス連携やスタープレーヤーのポゼッション戦術に感嘆するあたりの知識で、はたして我々は彼の地のビッグクラブを読み解いたと言えるのか……。かつて高校選手権のスター選手として国立を沸かせ、指導者への道を志してバルセロナに渡った羽中田昌氏は、この最高峰のプロ組織の底力は「ソシオの意義」を正確に投影したホームタウンのあり方にあると指摘する。(浦和フットボール通信編集部)Text:Mitsuho Toyota  Photo:東京23FOOTBALL CLUB /Yuichi Kabasawa

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羽中田昌Masashi Hachuda
1964年、山梨県甲府市出身。韮崎高校では高校選手権で活躍。1982年に全国優勝を果たした武南と決勝で対戦した。将来を嘱望されていたが、バイク事故で脊髄を損傷して車椅子の生活を余儀なくされる。山梨県庁勤務を経てスペイン・バルセロナに5年間の指導者留学。その後、カマタマーレ讃岐、奈良クラブで監督を歴任。現在は関東サッカーリーグ1部の東京23FCの監督を務め、サッカー解説者など幅広く活動している。

クライフから始まったバルサ崇拝の思い。

UF:羽中田昌の名は、いまだに武南高校のライバルとして浦和・埼玉のサッカーファンに語り継がれています。

羽中田:僕の高校時代のあたりは「サッカーといえば浦和南」の時代でしたから……。実は小学校卒業の頃に、当時の浦和市内の中学校から入学を打診されたこともありまして(苦笑)。

UF:それは驚き。でも、そういうこともあったかも?の時代ですよね(笑)。さらに羽中田さんの選手生命が不幸な事故で絶たれてしまったことも、古くからのファンは当たり前に知っています。ただ、指導者を志して山梨県庁を退職され、バルセロナに渡ったという経緯までは知らない読者も多いと思う。今日はそのあたりのお話から。

羽中田:紹介やツテがあったわけでもないんです。ひたすらヨハン・クライフにあこがれ、一念発起でヨーロッパに渡ってしまったという感じの指導者修行でした。

UF:大変なスタートだったと思いますが、たとえば会話はどうされていたんですか?

羽中田:独学で身に着けていくしかない状態。現地でもまつたくの一人で、スペイン語は分からず会話も出来ませんでした。でも、クライフのサッカーを間近で感じたかったし、自分でプレーは出来なくなっても仲間と結束して臨むピッチ上の醍醐味からは離れたくない気持が強かった。目ざす指導者像を考えても、真っ先に浮かび上がったイメージが攻撃型サッカーを象徴するクライフの存在だったのです。

UF:となると、当初の羽中田さんの気持ちの中ではバルセロナよりもクライフという存在の方が大きかった?

羽中田:そうです。自分的にもプレーヤーとしてのサッカー経験しかない段階だったから、まずは彼が作ったチームを体感したかった。どんな練習メニューや強化で成り立っているのかを確かめたい欲求がありました。

UF:そんな情熱にかられて単身スペインに乗り込んだ羽中田さんの前に、クライフというカリスマが頂点に輝くクラブ、FCバルセロナが姿を現します。

羽中田:クライフの母国であるオランダが当時から育成大国であることは知っていました。また、彼が思い描いたスタイルがチーム戦術の軸になっている、つまり「バルサのサッカー=クライフ」という認識もあったんです。でも実際にバルセロナの内部に入って、トップチームのラインナップや戦術からカンテラ(下部組織)のトレーニングまでを見わたしてみると、育成の意識統一が強烈で、本当に一色に染め上げられている……ああ、バルサ・サッカーの魅力というのはクライフという先駆者の偉大さだけじゃないんだ。その存在を基礎にして、ここまでの結束とか意識共有とかを徹底させて、自分たちのクラブのスタイルを築いているんだなと。

UF:我らがクラブのサッカーを支える一体感の舞台裏をのぞいた気分、といったところでしょうか。

羽中田:もちろん戦術自体は育成からトップへとレベルアップするのですが、すべての年代で基礎となるインサイドキックの反復練習、これが重要な位置を占めています。クライフは「ワンタッチこそ最高の技術」が持論でしたが、このテーマに沿って子どもたちに一番教え込まれるのがパス&コントロール。インサイドキックを正確に強く蹴り、そしてそれを正確に止める、ワンタッチで繋ぐ、という技術の精度とスピードが各年代のトレーニングで徹底して求められます。

UF:クラブ内で一貫されているその反復が、やがてはヨーロッパの舞台で強豪を翻弄するパスワークに繋がり、やがてシャビやイニエスタというバンディエラを生み出す土壌となっていく……。

羽中田:そういう流れです。バルサらしいパスワークで組み立てる基本戦術はアカデミーからトップチームまで変わりがない。そしてホームタウンもサポーターたちもそれを理解しているわけです。カンテラのミニゲームなどに立ち会うと、コーチのみならず練習を見に来たファンまでが「あの子の動きは次のグアルディオラ」「イニエスタの後釜はあいつだ」なんて声を上げているシーンに出くわすことになる。

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鉄則のスタイルで継承される、ソシオの意義。

UF:羨ましいというか……そういうシーンは監督交代とか補強選手のキャラひとつでチーム戦術が変わってしまうようなJクラブには望めない部分でしょう。事実、クライフのバルセロナはレアル流にスターを買いそろえて銀河系軍団とか祭り上げられる野暮はやらなかった(笑)。ビッグネームを獲得するにしても「美しく勝つ」というテーマありきで、自らのアイデンティティやプレースタイルを損なわない補強に徹して来ました。これはビッグクラブでありながら本拠地バルセロナに由来する姿勢を崩さない“バルサの真髄”を示すエピソードなのでは?

羽中田:バルセロナで私自身のサッカー概念が変わったのも、その部分が大きいんです。サッカーそのものの魅力に加えて「ここで見ているものこそがフットボール」と思わせるインパクトがありました。たとえばピボーテに位置するペップ・グアルディオラのサイドキック。あの見事さは芸術ですよ。で、彼の配下で選手から選手へと繋がれていくパスの展開も……。皆で力をあわせてゴールを目指す。一人ではサッカーはできない。だから人と人をパスで繋げる。力を結集してゴール、そして勝利に向かう。それこそがフットボールなんだと。

UF:プレー自体が、彼らのクラブ観やフットボール観を体言している?

羽中田:そう思えました。その繋がりはピッチだけではなく、サポーターや地域の人たちとの繋がりにまで映し出されており、そういう力をひとつにしてゲームに臨む。ああ、これこそが本場なんだという感覚です。

UF:そのあたり、俗に海外オタクを兼ねたバルセロニスタからは聞けない醍醐味と思うのですが(笑)。つまり「ソシオの意義」というのは、語られてきたようなクラブ運営にサポーターやホームタウンの意向を反映させることばかりではない。広く資本参加を募る目的でもない。あくまでクラブと地域、ファン・サポーターとの結束の象徴で、それがピッチ上のプレーにまで投影されているように思います。

羽中田:そういう存在のクラブなんです。だから市民はバルサが生活の一部になりきるほどのめり込んでしまう。観戦やサポートの経験が深くて長いから、クラブ史とファンたちの人生が重なってる。自分はクライフがいた頃の生まれだとか、リーグ優勝した年に子どもができたとか、結婚した時にチャンピオンズリーグを戦ったとか。

UF:歴史が重なっているといえば、ザグラダファミリアやピカソ美術館など街の文化材やランドマークの中にカンプノウ・スタジアムが埋め込まれている景観なども、クラブが地元の宝であることをアピールしているシーンに見えてしまいます。

羽中田:そうそう。そういう要素も含めて地元に密着するにしても濃すぎるだろ?と思うほどの見え方になるわけです。

UF:バルセロナの代名詞になっているソシオについて伺います。羽中田さんも会員ですよね?

羽中田:ほとんど行けないのは仕方ないけど、年間シートも持ってます。会員数はすでに15万人を超え、20万に近づいてるとか……。(編集部注:ソシオ会員数は2017年現在で18万名超)

UF:会員特典としての「会長選挙の投票権」が知られています。

羽中田:滞在していた95~2000年にも会長選挙が実施され、僕も由緒ある投票箱にしっかり投票しましたよ。国政選挙を上回るような盛り上がりがあり、さすがだなと感じました。

UF:この投票権は「FCバルセロナが会員のものである」ことを内外に示す役割を負っていると言われています。

羽中田:ソシオが認めなければバルサのトップにはなれないのですから、当然そういう構図になります。選挙活動では、幹部のメンバーや現状の強化運営に対する評価を戦わせる場面もある。バルサのエンブレムをつけたバスケットチームやバレボールチーム。車椅子バスケットのチームもあります。総合スポーツクラブとしての役割も多岐にわたるので、バルサは常に地域への貢献が問われ、組織の緊張も維持されるわけです。

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Jクラブは、子どもたちの「身近な目標」であるべき。

UF:韮崎に育ち、バルサの現場を体験した羽中田さんが今は「TOKYO PRIDE」を掲げる東京23FCの監督。これは浦和・埼玉のサッカーファンにとっても嬉しい結末と思います。

羽中田:ありがとうございます。大山先生の武南高校との対戦(1982年1月)も忘れられないな。国立のピッチに最初に入った時はしびれましたが、次第にここが俺たちのホームなんだと思えるようになっていきました。

UF:国立には韮崎の地元ファンも大勢駆けつけていましたが、むろん私たち浦和・埼玉のサッカー好きも羽中田さんらの超高校級のプレーは楽しませてもらいました。入場者数は5万人超との記録が残っています。

羽中田:お互いにサッカーの街でしたからね。横森巧先生(当時監督)を中心に全国制覇を目指していましたが、山梨は山に囲まれた場所だから、空を見上げて飛行機を見ていた記憶が強いんです。いつかここから羽ばたくぞ、みたいな人材が多い。中田英寿君(韮崎高OB)もそうだったかは分かりませんけど(笑)。

UF:東京23FCは「首都・東京の中心にJを」の願いから生まれたクラブだそうですね。いつの日にか“江戸っ子”の主将に率いられたイレブンを指揮する羽中田監督が見たいです。

羽中田:そうそう。つまるところプロクラブの魅力の原点って「子どもたちにとっての身近な目標」であることだと思うんです。バルサはあれだけの大スケールで100年以上もそのテーマを継承している。スターの育成に成果を残しつつ繁栄も続けている。ウチのチームも、他ならぬ浦和レッズも、Jの各クラブはいまこそFCバルセロナの偉大さを見直すべきではないでしょうか。

(2017年6月 都内にて)

<育成型強豪クラブへの夢。Vol.2 >ギド・ブッフバルト (元浦和レッズ監督)育成の“ドイツ基準”を語る。9/25発行 フリーマガジン「浦和フットボール通信」にて掲載。

羽中田さんの半生を振り返る著書

『必ず、愛は勝つ!車イスサッカー監督羽中田昌の挑戦』
著者:戸塚啓 発行:講談社定価:1,600円(税抜)

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