阿部勇樹が10年の思いを込めてACL決勝を闘う【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】
J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。
再び世界と闘う日を目指した10年間
「浦和で何も成し遂げてない。浦和に関わる責任と使命がある」と力強く言って、5年前にイングランドのレスター・シティーFCから浦和へと帰って来た1人の漢がいた。阿部勇樹選手である。
2010年の南アフリカワールドカップ後に「海外でプレーする最後のチャンス」と浦和を離れて1年半の月日が流れていた。当時、阿部選手はイングランドでまだまだプレーしたい気持ちと自分の年齢やピッチでのパフォーマンスなどを考えて良い状態で浦和でプレーしたい気持ちの葛藤があった。
阿部選手は葛藤する中で最終的に浦和を選んだのだ。それは、再び浦和がアジア王者に返り咲き浦和を愛する人々と共に世界のクラブと闘うことを切望していたからだ。
そもそも、阿部選手は「アジアと闘いたい。世界と闘うために浦和に移籍しました」と胸に秘めた思いを吐露し、一大決心の下で2007年に育ってもらった千葉をあとにして浦和へと闘う場を求めてやってきた。そしてその年に浦和は、アジア王者へと輝き、FIFAクラブワールカップに初出場し、準決勝でACミランと対戦し押し込まれながら粘り強い守備を魅せてACミランを苦しめた。
しかし、ACミランの素早いリスタートからカカ選手に左サイドを突破されてマイナスのクロスをゴール前へと送られ、セードルフ選手が左足で合わせて先制されてしまったのだ。後半23分の出来事であった。それまで集中力を絶やさずに堪え抜き充分にACミランを苦しめることができただけに、悔いが残る失点であった。結局、0-1でACミランに敗戦を喫してしまった。
だが、試合後にガットゥーゾ選手が「浦和は組織力があった」と称賛し、カカ選手は「戦術が良く難しい相手だった。何があってもおかしくなかった」と苦戦を認める試合内容であったのだ。
10年も前の取材ノートを久しぶりにめくると、そこには浦和が奮闘した記録が残されていた。ACミランに主導権を握られながらも先制するチャンスもあったし、同点に追いつくチャンスもあった。堂々とACミランを相手に渡り合ったと胸を張れる一戦であった。
阿部選手は、この大会で浦和で唯一MVP候補となる8選手にノミネートされる活躍を魅せていた。
だが、阿部選手はACミラン戦後「ボールコントロールも判断の速さも違う。中盤の選手をマークをしているときに感じた」と世界との差をピッチで感じていた。サッカー選手としてクオリティーの違いに打ちのめされながら、悔しさを噛み締め奮起を誓った。
あれから10年。浦和が、再びアジア王者となって世界と闘う日がもうすぐやって来る。全ては、11月25日のアル・ヒラル戦だ。その1戦に全てを掛ける。
2007年にACL優勝を手にしてクラブワールドカップに出場しても、阿部選手は決して満足していなかった。それは、自分がACLの出場権を獲得したピッチにいなかったからだ。
「みんながお膳立てしてくれて、僕はそこに乗っただけ」と阿部選手は寂しそうに話す。でも、今回は違う。ACLの出場権を獲得し、そして決勝の舞台へと苦しみながらもみんなと闘ってきた。
浦和が再び世界と闘う日を目指し、阿部選手は責任と使命を背負い、この10年間を過ごしてきた。阿部選手のこの10年を振り返ると本当に長い年月であった。世界との差を感じた10年前、そしてサッカー発祥地であるイングランドで過ごし、その経験を浦和で活かしながら日本制覇しアジア王者を目指した日々は、まさに「男の浪漫」と言えるだろう。
Jリーグ優勝を果たせなかったこの10年。クラブワールドカップを目前して、鹿島に破られた昨シーズン。幾度となく流した悔し涙だが、多くの人々に支えられながらも貫いた「男の浪漫」だ。感謝の気持ちをピッチで阿部選手は、プレーで魅せる。
何のために、浦和へ戻ってきたのか・・・。誰のためなのか・・・。浦和を愛する人々と共にアジア王者を奪還し、世界と闘うことを誓い阿部選手は、全てをアル・ヒラル戦に捧げる。10年の思いを込めて。
Q.肉離れはどうして起きるのでしょうか?
A.肉離れは、ボコっと筋肉が切れるのではなく、鳥のささみのように腱と筋肉の境目から剥がれるのです。激しい運動で急激に筋収縮を強いられたときに、筋肉繊維が部分的に断裂します。筋肉のバランスが悪かったり、筋肉の柔軟性がない、筋肉が緊張していて疲労が溜まっていたり、オーバートレーニングなど肉離れになりやすいです。疲労骨折のように、徐々に筋肉が損傷していき、走った瞬間に肉離れになるような筋肉疲労肉離れがあります。小中学生では、腸腰筋の肉離れが多いです。走っていて急に走れなくなります。
川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/