浦和フットボール通信

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天皇杯制覇から浦和の新たな歴史を刻む足音が聞こえてきた【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】


J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

勝利をつかむ喜びを思い出させてくれた大きな1歩となった

今でも目に焼き付いて、脳裏から離れない光景がある。25年間にもわたり浦和を取材し続けてきて、私が初めて目にした光景であった。

天皇杯準決勝・鹿島戦の前日と、決勝・仙台戦の前日に大原練習場に埋め尽くされた魂のこもった横断幕の数々と力強く振られる大旗の数々だ。

今までも大一番の試合前日に、選手たちを鼓舞する横断幕が掲出されたことがあった。また、浦和が成績不振に陥ったときに、浦和を愛する人々の心の叫びと思えるような胸が締めつけられる内容の横断幕が掲出されたこともあった。

だが、今回の横断幕の数々は違っていた。見渡す限り浦和の魂が込められた横断幕は、目にした者を圧倒するほど雄大で、「天皇杯を優勝するんだ!」「来シーズン、アジアの舞台で闘うんだ!」と思える浦和を愛する人々の強い意志を感じとることができたのだ。

キッカケを作ったのは浦和を愛する人々をしっかりとリスペクトしているオリヴェイラ監督の「浦和のサポーターの情熱を選手たちに感じさせたい。横断幕や旗で選手たちに力を与えてほしい」と、試合前日の非公開練習を公開練習へと変更して呼びかけたことであった。

その呼びかけに、浦和を愛する人々は見事に応えた。更に天皇杯決勝では、ピッチに向かい浦和のゴール裏にどっしりと浦和のエンブレムが仁王立ちになり選手たちを鼓舞したのだ。

エンブレムは、浦和を愛する人々の有志が人力で引き上げたものであった。引き上げるときに左右のタイミングが合わないとバランスを崩して落ちてしまうだけでなく、重さに耐えることができるロープ選びにも慎重であった。限られた時間の中で何度もリハーサルをして、安全を第一に考えて準備をしていた。浦和の誇りにかけて大切なエンブレムを落とすわけにはいかない。英知を結集して一丸となって臨んだ。

天皇杯は、試合前日はもちろん当時も「これこそが、浦和なんだ!」と思える瞬間であった。思わず「プレッシャーを感じて臆病になったり、尻込みをしてしまう奴、これで闘わない奴は、浦和から出て行け!」と言葉は悪いが叫びたくなってしまうほどであった。しかし、選手たちはしっかりと浦和を愛する人々の思いに応え、ピッチで躍動していたのだ。天皇杯の決勝となった仙台戦は、決して楽な試合ではなかった。球際に厳しく身体を張って宇賀神友弥選手が決めたスーパーミドルシュートの虎の子の1点を守り切り、総力戦で天皇杯優勝という栄光をしっかりとつかみ獲ったのだ。

「こういう舞台で最高の雰囲気を作ってくれた。勝つことが前提だった。優勝できて良かった」と安堵の表情を浮かべながら、「まるで海外みたいだった」「あれで闘わないと男じゃないでしょ?!」「まじで、奮い立った」「大原の練習のときからもそうだけど、この雰囲気を作り出せるのは確実に日本で浦和だけだ。海外を見ているようだった。こういう雰囲気で心を揺さぶられない選手はいない。こんなにも強い味方がいるんだと心に刻みながらピッチに立てたのは、苦しいゲームを勝てた要因だ」と選手たちは、口々に興奮気味に話していた。

選手たちの持てる力の限界を超えるものを引き出すための、オリヴェイラ監督の狙いが見事に的中したともいえる。だが、本来の浦和を愛する人々の情熱はJリーグ開幕前から浦和の根底に流れていたものだ。

その情熱は、浦和レッズが本拠地を浦和に構えてからも惜しみなく注がれてきた。

Jリーグ開幕当初、結果が出ず成績不振の中で「Jリーグのお荷物」と揶揄される中で、「三菱が弱いと言われても我慢できる。でも、浦和が弱いと言われるのは我慢できない」と浦和を愛する人々の心の叫びを聞いた。彼らたちは、浦和が勝つために力を尽くして選手たちを鼓舞しながら共に闘った。どんなに苦しいときでもクラブを支え、浦和を勝たせるために、スタジアムに足を運んだのだ。

浦和を愛する人々の力で、スタジアムを真っ赤に染めて力強く声が枯れるまで歌った。そして、相手を圧倒させるビジュアルサポートは、浦和を愛する人々の象徴するものになっていった。浦和の初タイトルとなった2003年のナビスコカップ決勝の舞台でも埋め尽くされた浦和カラーの赤・黒・白のビジュアルを目にした時に「勝てる!」と選手たちが勝利を確信できるものであった。

さらに、2004年のセカンドステージ優勝が掛かった聖地駒場スタジアムで開催された名古屋戦で、ナイアガラの滝のような壮大な紙吹雪に胸が熱くなった。名古屋に1-2で敗戦をしたが、セカンドステージ優勝を飾った。ACLを初めて手にしたときも、浦和の街は試合前から真っ赤に染まっていた。いずれも浦和を愛する人々が、自主的にチームをサポートしていたのだ。

紆余曲折しながらも浦和を支えてきた人々がいる。老若男女が集結し、一丸となって浦和が勝つために誠心誠意尽くすことができる。これが浦和の誇りであり、強さなのだ。しかし、ここ数年は情熱があったとしても、どこかしら溝があるように感じてしまうことがあったのは事実だ。

だが、その溝を「浦和はサッカーで呼吸する街で、100年以上の歴史がある。ピッチ上の選手の頑張りと、サポーターが一体となれば必ず大きな力になる」と就任会見で断言したオリヴェイラ監督が見事に埋めたのが天皇杯であった。

浦和を愛する人々が以前のように自主的に行動したわけじゃないのが少しばかり残念なところはあるが、一丸となって闘い勝利をつかむ喜びを思い出させてくれた大きな1歩であった。

ここから、浦和の新たな歴史を刻む足音が聞こえてきた。「THIS IS URAWA」と誇れるシーズンにするために、浦和を愛する人々とともに闘っていく。

Q. 接触で頭をぶつけた時に、コブが出来た方が良いのでしょうか?それとも出血した方が良いのでしょうか?

A. 俗に、コブが出来た方が良いと言いますが、それはどちらとも言えないと思います。ガンとぶつけると脳は衝撃で反対側へ移動するので、ぶつけた反対側にコブが出来ることがあります。どうしても接触した方を気にしますが、反対側も確認する必要があります。状態によっては、脳神経外科へ緊急搬送した方が良いでしょう。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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