浦和フットボール通信

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坪井慶介が引退表明 思い出される真のプロといえる姿勢【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

浦和愛した努力の漢、彼こそプロ中のプロだった

最後の笛が鳴るまで決して諦めず走り続ける闘う漢が、ピッチを去ることを決めた。坪井慶介選手が引退を表明した。プロのサッカー選手としての人生が、浦和から始まり山口で終ろうとしている。

2001年ユニバーシアード日本代表の優勝メンバーでその活躍を見込まれ、即戦力として平川忠亮選手と堀之内聖選手、三上卓哉選手、山根伸泉選手ともに浦和に加入してきた坪井選手。トレードマークになっているつぶらな瞳で愛らしいクリクリ頭は、入団当初からであった。

俊足を活かしたディフェンス力をオフト監督に見込まれ、開幕からレギュラーを獲得。めきめきと頭角を現わし、浦和にはなくてはならない存在になり日本代表にも呼ばれるようになった。

「僕の左足は、オモチャ」とおどけたように話すように、決してテクニシャンのDFではない。だが、その俊足は物すごい武器であった。2003年、コンフェデレーションズカップでフランス代表のアンリをしっかりと封じ込め世界を驚かせた。

確かに坪井選手の身体能力は、誰もが認める。だが、その身体能力を活かしてカウンターを阻止するだけではない。鋭い読みに磨きをかける努力を怠らないのが坪井選手だった。

浦和在籍中に、坪井選手にプロフェッショナルファールについて尋ねたことがあった。

「プロフェッショナルファールも必要なことだと思うけど、ファールしないで相手を止めるのがDFとして大事なことだ。ファールしないと止められない状況には、しないようにすることだ」と断言するほど、フェアープレーにこだわり続けていた。

「僕は、身体能力だけの選手」と坪井選手は口癖のように言っていた。

DFとして、相手の特長をつかみ対処できる鋭い読みと判断力の意識を高く練習から取り組んでいたのだ。だからこそ、サッカー選手として成長し続けることができ、才能を開花させることができた。鋭い読みからスピード、判断、そして食らいついたら離れない闘志を剥き出し、最後の笛が鳴るまで闘い続けた。

サッカーに対しては、神経質なぐらいまじめな坪井選手だが、ピッチを離れるとお茶目な一面があった。三都主選手の車の鍵を隠したり、仲の良い阿部勇樹選手と『アボイ』と言われるぐらいじゃれ合ったりしていた。

ある夏の日の試合後のこと。坪井選手が「僕、どれだけ動かなかったのだろう」と言い出したことがあった。話を聞くと、蝉が坪井選手に止まって離れなかったそうだ。そんなこともあるのかと不思議に思う話であったが、坪井選手が言うとDF陣が活躍するような場面がないほど浦和が圧倒していた試合だったと納得してしまう。

オンとオフの切り替えもうまいだけではない。

敗戦をしたあとのミックスゾーンでは、選手たちの口は重くなるのは当然だ。だが、坪井選手は「負けた時こそ、しっかりと話をしないといけない」と真摯に敗戦と向き合いメディア対応に応じていた。「プロ選手として、どうあるべきかを井原さんから学んだ。あれこれ井原さんは言うタイプではないけど、サッカーに取り組む姿勢とか見ていて勉強になる」と大先輩から様々なことを学んでいたのだ。そして、自分がそれを受け継ぐように態度と行動で浦和を去るまで貫き通した姿には頭が下がった。

坪井選手がみせた3度の苦悩

そんな坪井選手が苦悩の表情を浮かべていたのは、3度ほどだったと思う。

1度目は、日本代表を辞退したときだ。相当悩んだ末の結論だった。若手の台頭もあり日本代表に招集されても試合出場の機会が減っていたのは事実だ。当時の取材ノートを見ると「気持ちが切れちゃった。僕は代表にいる資格がない。浦和のために、専念する。僕の居場所はここだ」と書かれていた。2008年の2月のことであった。

2度目は、出場機会がなかなか巡ってこなかった2011年だ。愚痴をこぼすわけでも無く、ただいつ出場しても良いように、やるべきことをしっかりとやる。苦悩の表情というよりは、明るく笑顔で応じる坪井選手の心中が手に取るように分るだけに見ていて心が痛かった。

3度目は、浦和を去るときであった。浦和を愛し、浦和を愛する人々とともに闘ってきた漢だ。浦和で引退の道を選ばなかったのは、悩みに悩んだ末の決断だった。

退団セレモニーで「今日は、申し訳なかったです」と最終戦で名古屋に敗戦し優勝を逃したことを開口一番に謝罪し「ただチームは、この敗戦を乗り越えて、また、強くなってくれると信じています」と込み上げてくる思いを噛みしめながら、自分の思いを仲間に託した姿は忘れることができない。それだけ、浦和を愛してくれていた選手だ。

「体力が続く限り、走れなくなるまでサッカー選手を続けるよ」と培ってきたものへのこだわり、プロ選手としての意地があった坪井選手が、山口を最後にスパイクを脱ぐことになった。

本当にお疲れ様でした。坪井選手が、浦和でも湘南でも、山口でも残した功績は偉大だ。プロ選手として、あるべき姿を示してくれた。本当にありがとうございました。

坪井選手ならば、どんな苦境にも屈せずに、地に足をつけて輝かしい未来への扉を開けるだろう。今後の活躍が楽しみでならない。第2の人生を歩み出す坪井選手にエールを送りたい。

Q. 子供の踵の痛みについて教えてください。

A. 子供は、骨がまだ柔らかく踵に成長軟骨があります。この成長軟骨が、踵の衝撃により剥がれてしまい端っこに残ってしまい痛みがでます。スポーツをしている子供にものすごく多いです。踵骨骨端症といい、別名「シーバー病」とも言われています。

踵は、体重がかかりスパイクなどによって下から突き上げられ、アキレス腱で釣り上げられます。踵を着くときは下から突き上げられ、離すときはアキレス腱で引っ張りあげられる繰り返すことで、成長軟骨が炎症をおこします。大人なら疲労骨折をすることもあります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科
http://www.kawakubo-clinic.j

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