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12年前の埼玉県民の日にアジアで一番になった。浦和・埼玉サッカー名勝負10番 浦和レッズ編【浦和・埼玉サッカーの記憶】

クラウドファンディングで実現した浦和埼玉のサッカーの歴史を残す書籍「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」が 浦和フットボール通信SHOP、(須原屋書店浦和本店、コルソ店、武蔵浦和店、フットボールパーク浦和美園店、松田青果、WAベーグル)にて1500円(税別)にて好評発売中です。このコーナーでは書籍で掲載している内容をご紹介します。

浦和・埼玉サッカー名勝負

地元サッカーの黎明期から、浦和レッズのアジア制覇まで……サッカーの街を熱狂させ、その過去と未来を繋いだ全30戦を振りかえる。今回は、埼玉浦和サッカーから見る、浦和レッズ名勝負10番から。埼玉県民の日に、Jクラブ史上初のアジア王者に輝いたACL2007年の激闘のファイナルをご紹介する。

浦和レッズ 名勝負10番

1993年、Jリーグ開幕のころ。浦和・埼玉の高校サッカー群の栄光はすでに過去のものとなっていた。
しかしサッカーを愛しささえ続ける人々が暮らす街は、日本初のプロリーグ創生においても後世に語られる足跡を刻む。オリジナル10に名を連ねながら惨敗を重ねる地元クラブを鼓舞し、リーグ制覇からアジア王座、そしてクラブワールドカップへの参戦へ……。ホームスタジアム・駒場サッカー場の客席には、この国のスポーツに初めて登場した“サポーター”が陣取った。そして忘れかけていたこの地の合言葉を、大音響のメッセージでなぞらえて見せた。「浦和を制するものは、世界を制す」―――

【収録試合】
1 ■1993年5月29日 浦和レッズ vs ヴェルディ川崎
2 ■1999年11月27日 浦和レッズ vs サンフレッチェ広島
3 ■2000年11月19日 浦和レッズ vs サガン鳥栖
4 ■2003年11月3日 浦和レッズ vs 鹿島アントラーズ
5 ■2004年11月20日 浦和レッズ vs 名古屋グランパス
6 ■2004年12月11日 浦和レッズ vs 横浜Fマリノス
7 ■2006年1月1日 浦和レッズ vs 清水エスパルス
8 ■2006年12月2日 浦和レッズ vs ガンバ大阪
9 ■2007年11月14日 浦和レッズ vs セパハンFC(イラン)
10■2007年12月13日 浦和レッズ vs ACミラン(イタリア)

GAME9 2007年11月14日 AFCチャンピオンズリーグ2007 決勝・第2戦

浦和レッズ、初のアジア王者。バックスタンドに輝いたビックスターを背にセパハンを圧倒。

総力戦でつかんだJクラブ初のアジア王者。永井雄一郎が先制ゴールを決める。

2006年元旦に天皇杯優勝。リーグ優勝も果たしてクラブ史上初のアジアチャンピオンズリーグ出場を果たした。グループリーグは1位で突破。決勝トーナメントでは全北現代、城南一和の韓国勢との激戦を勝ち上がり、セパハン(イラン)との決戦となった。決勝戦はホーム&アウェイ方式。第1戦は敵地・イランのエスファハーンでロブソン・ポンテがゴールを決めて1-1。超満員となった第2戦のホーム埼玉スタジアムで試合が決することとなった。選手入場とともにバックスタンドにはビックスターが描かれて、サポーターのアジア王者獲得の思いが込められた。試合は、前半22分にロブソン・ポンテのパスに抜け出した永井雄一郎が決めて先制。後半にも71分に永井のシュートをGKが弾いた所を阿部勇樹が押し込んで追加点。守っても田中マルクス闘莉王を中心とした守備陣がセパハンをシャットアウトして、2戦合計3-1で日本のクラブ史上初となるアジア王者に輝いた。

浦和レッズ 先発メンバー
監督:ホルガー・オジェック
GK:都築龍太
DF:坪井慶介、田中マルクス闘莉王、堀之内聖
MF:ロブソン・ポンテ、鈴木啓太、平川忠亮、長谷部誠、阿部勇樹
FW:永井雄一郎、ワシントン

Mr.REDS福田正博氏が浦和レッズ名勝負10番を解説

――2007年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)に初出場を果たして、Jリーグ勢では初めてとなるACL初優勝を果たしました。

福田:あの頃は選手たちも自信をもっていたと思います。特にワシントン、ポンテ、闘莉王がチームを強烈に引っ張っていた印象があります。それだけACLを優勝するための強烈な選手たちが存在していました。

――ACLを本気で取ろうというクラブがない中で、サポーターも含めて本気で取るぞという空気がありました。全北現代戦では4000人以上のレッズサポーターが韓国まで駆けつけて現地で応援をしたことが、韓国中でも話題になるなどアジアに浦和レッズありのインパクトを与えるには十分のアジア制覇だったと思います。

福田:前年に初めてリーグ優勝を果たして、その勢いのままアジアも獲るという熱があったと思います。クラブ内にもその一体感があったと思います。

福田正博 (ふくだ・まさひろ) 1966年生まれ。神奈川県出身。95年に50試合で32 ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王になる。ミス ターレッズと呼ばれ、浦和レッズの絶対的な存在として 活躍。サポーターから愛された。Jリーグ通算228試合 93ゴール。日本代表45試合9得点。 2002年現役引退 後、テレビ解説者などを経て2008年より3年間、浦和 レッズトップチームコーチを務めた。現在はテレビ解説 者などを中心に活躍中。

なぜ浦和はサッカーで盛り上がるのか?「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」好評発売中

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