浦和フットボール通信

MENU

河合貴子のレッズ魂ここにあり!「Future11」(5/23)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

Future11

東日本大震災で被災した子供たちを埼玉県内に迎い入れ、埼玉のサッカー少年団の子供達と交流し、思いっきりサッカーを楽しんでもらう事を目的とした「Future11」。内舘秀樹さんが発起人となり、その第1回目が5月13日から15日まで行われた。第1回目は、土橋正樹さんの縁のある宮城県若林地区の子供たちを迎い入れた。

私も内舘さんの話を聞き「何か自分に出来る事は・・・」と思い、微力ながら被災した子供達のサポートをさせてもらう事にした。

震災から約2カ月、復興もだいぶ進んで来ている現状の中、宮城県若林地区の子供達を迎えに現地に行って見ると、そこには想像を絶する現実があった。若林地区は高速道路が防波堤となり、道路を挟んで右と左では全く違う世界が広がっていた。道路の海側には、遮蔽物が何も無い、壊れたコンクリートの建物が、ポッツン、ポッツンと点在し、そこがかつて町であった事を唯一示す証の様に寂しげに残されていた。行方不明者を捜索する自衛隊の姿、瓦礫を取り除く重機、津波に流され押しつぶされた車、木造住宅は跡かたも無い。言葉を失い正直、頭の中が真っ白になり「これが現実なんだ」と何度も自分に言い聞かせ、込み上げて来る思いを噛みしめた。

津波の被害が少なかった道路の反対側では、県道が波を打っていて、ブルーシートに覆われた家が多く、30㎝傾いてしまった立ち入り禁止の小学校など地震の大きさを物語っていた。無事だった学校は避難所になり、校庭や公園、空き地は仮設住宅の用地として利用され、とても子供達がサッカーを楽しめる環境ではなかった。震災で傷ついた子供達との接し方の注意点などレクチャーを受け、とにかく何もかも忘れてサッカーを楽しんで貰う事だけを心掛けた。

若林地区代表という事で選抜された子供は小学校5、6年生19名。全員がJリーガーを夢見る子供達。「好きな選手は?」と尋ねると、地元ベガルタ仙台の関口選手や梁選手はもちろんだが、カカ選手やガットゥーゾ選手の名前があがった。サッカーの話をすると、子供達は目を輝かせ真剣に話を聞いてくれた。私と一緒に同行してくれたレッズサポーターの提案で、宿舎に向かう前に埼玉スタジアムをバスで1周すると子供達は、「いつかここのピッチに立つんだ」と思ったのか、食い入るようにバスの窓に顔寄せて埼玉スタジアムを見入った。中には「日本代表選手になって来る」と言った子供もいた。

初日はバス移動で終わり、2日目は駒場サブグランドにて埼玉のサッカー少年団のチームと試合を行い、思いっきりボールを追いかけた。3日目は西浦和小学校で合同練習を行い、帰路に着いた。たった3日間だったかも知れないが、子供達にとっては、貴重な3日間になったと思う。子供達と別れる時、ハイタッチしながら合言葉は「またね!!」だった。参加した子供達が、いつの日かまた浦和に来てくれる事を願っている。それは、プロサッカー選手としてなのかも知れないし、社会人としてなのかも知れない、何かの切っ掛けで浦和に立ち寄ってくれれば良い。子達の笑顔は明日の未来への輝きに思え、自己満足かも知れないが「この企画に参加出来て良かった」と思った。

この「Future11」は、本当に多くの支援の下で成り立った企画である。フリーマーケットで集めたお金を寄付してくれたレッズサポーター、バスを協力しサポートしてくれたレッズサポーター、宿舎を提供してくれた浦和工業高校、ご飯や飲み物、ユニホーム等、縁の下の力持ちとなって支えて下さった多くの方々に感謝しきれない。この場を借りて御礼を言わせて下さい。「この企画に関わった全ての皆様に感謝致します。有難うございました」

「Future11」はこの先も震災で被災した子供達、外で遊べなくなってしまった原発被害の子供達のために活動を続けて行く。子供達の未来は輝いている。輝く未来のために自分が出来る事でサポートして行きたい。

パートナーサイト

ページ先頭へ