浦和フットボール通信

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浦和への伝言2011 大原ノート – vol.8 浦和博物館

浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。

レジャーのついでに、その地にある歴史資料館とか博物館的なところにちょこっと行くのが好きです。伊豆の下田開国博物館は2回も行ってますし、中華街に行くついでに寄った横浜税関資料展示室もおもしろかったです。下田の博物館は幕末がありありと感じられるところがよくて、横浜は偽ブランド品の展示とか密輸用コンテナの展示とかがあって、税関と密輸人のバトルがすごいというか懲りないというか。

でも、普通はそういう小さな博物館へわざわざは行かないと思うのですが、今回はわざわざ行ってきました。さいたま市立浦和博物館。ナビをたよりに黒木カメラマンと三室のあたりをうろうろ。着いてみれば黒木カメラマンいわく「市民病院には何度も来たけれど気が付かなかった…」。市民病院のごったがえす駐車場前、夏木立の中に少々古びた小さな博物館はひっそりと建っていました。

この古びた建物こそ、「浦和のサッカー史において最も重要な意味をもつ」埼玉県師範学校旧校舎「鳳翔閣」を一部復元したものです。とはいえ、なんだか相当地味です。レッズのエンブレムの上にデザインされているあの「鳳翔閣」のイメージで来ると、はっきりいってがっかりします。だって両翼もなにもなく、いわば玄関だけって感じなんですから。これじゃ鳳が翔ぶところじゃなくて枝にとまったコバトンです。

などと、不届きな感想を抱きながら扉を押しました。意外に人がいます。夏休み中ということもあって自由研究でしょうか、小中学生がグループで熱心に展示資料を見ています。ちょっと涼みにきたらしいおとうさんと子どももいます。外ではセミが降るように鳴いていて、ゆったり、なつかしい雰囲気です。展示品はサクラソウ、野田の鷺山、浦和宿、お社の一部や仏像、氷川女体神社に納められた大般若波羅蜜多経、見沼と見沼代用水の歴史、そして浦和のサッカー発祥に関する資料、もちろん浦和レッズも。ここには「浦和」がいっぱいです。

全国から観光客を呼ぶという意味では、浦和は財産があまりない街です。中仙道の一宿場町を歴史が通り過ぎていくことはあっても、歴史が立ち止まって大転換するようなできごとはありませんでした。全国区の景勝地があるわけでもありません。その分この街は大きな災害にあうこともなく、戦場になることもなく、平和な庶民の暮らしが営々と営まれてきた、そのことを誇りとすべきなのでしょう。ローマのコロッセオは2000年に近い時に耐えて、今でもその壮麗さをしのぶことができますが人々の熱狂はもうありません。けれども浦和はスタジアムの熱狂を今、自分たちで作り上げて楽しむことができるのです。

浦和のフットボールの歩みを見るのに、「鳳翔閣」はよい場所です。現在の展示はいたってささやかなものですが、ささやかだからこそ自分たちの歴史なのだと感じることができます。時のかなたに消えた歴史ではなく、まさに今私たちが紡ぎ続けている歴史だと。そしてその歴史はようやく100年ほど。この小さな博物館の展示がさらに価値あるものになるかどうかは、今この街に生きる私たちの営みにかかっているのです。

そんな風に感じながら2階にあがって「お米ができるまで」のコーナーまで来て絶句! 「これって博物館に展示されるようなものなの?」、ガラスケースのなかに仰々しく展示されている五徳(昔のガスレンジ!!)とUFOのような形のお釜。「ああ、これ、うちで使ってたのそのまま! この五徳、マッチで火をつけるのがこわかったよね~」「まだ物置のどこかにあるかも」。人生の一部が歴史になってしまった瞬間でした。

ももせ・はまじ
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市在住。

くろき・ようこ
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォトグラファー、イラストレーターとして活躍。セツ・モードセミナー勤務を経て、現在フリーランス。川口市在。

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