浦和フットボール通信

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ARCHIVE:2010.8.9 森孝慈 ラストインタビュー[2] (10/31)

懐かしいあの語りの録音再生を進めるたびに、私たちが喪失した「森孝慈という存在」の大きさを実感せざるを得ない。そのコメントは今季2011シーズンの浦和に起こった迷走を見事に予言し、レッズフロントが抱える問題の本質を克明に言い当てているからだ。
クラブ史の分岐点となった「塚本・森・オフト」の体制を確立し、初タイトルとなった2003年ナビスコ杯制覇を皮切りに、”弱小時代”を脱するステージへ進み始めたかに見えた浦和レッズ。しかし、予期せぬ波動に見舞われたクラブは、スタッフ一丸で獲得したはずのその成果を維持できない迷路に迷い込む……。
浦和レッズが長きにわたって内包してきた問題の核心部分に迫る、インタビュー第2話をお届けする。

コピーライター 豊田充穂

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森 孝慈(もり・たかじ)プロフィール

1943年、広島県生まれ。修道高校から早稲田大学に進み、主将として「世界の釜本」らとともに天皇杯制覇など同校の黄金時代を築く。卒業後、67年に三菱重工入社。同社サッカー部および日本代表の主力MFとしてメキシコ五輪で銅メダルを獲得した現役時代を経て指導者に転じ、81年より日本代表監督に就任。独自の観点と戦術から革新的なチーム作りを果たし、W杯メキシコ大会予選(85年)ではすでにプロ化していた韓国代表と本大会出場を賭けた伝説の名勝負を演じる。Jリーグ創成期には浦和レッズ創設のため尽力し、初代監督も務めた。横浜マリノス、アビスパ福岡でフロント経験を積んだ後、02年に塚本高

志代表(当時)の要請を受けてGMとして浦和レッズに復帰。ハンス・オフト監督を擁立し、プロクラブとしてのレッズの改革に多大な貢献を果たした。常に日本サッカー界のエリートコースを歩み、浦和レッズの成長にも貴重な役どころを演じたURAWA史上の重要人物である。

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■継続と成長を途切れさせる”荒波”。

豊田:日本サッカーの中心を歩いた森さんと、日本サッカーの重要改革を遂げたハンス・オフト。このコンビの経験と手腕で築いた基礎が維持できず、語り継がれもしないとは……。言葉が見つかりませんね。理由はどこにあるのでしょう。何とももったいない話です。

森:ちょうど若手の中心として期待が大きかった啓太(鈴木啓太)がいて、さらに大学から入団直後の若手数人(山岸範宏、堀之内聖、坪井慶介ら)が台頭するタイミングでね。オフトの練習が始まると、とにかく彼らみたいな若い連中が「やりやすい」「理解しやすい」「なるほどと思う」と口々にいうんだな。伸び盛りの年代を軸に、うまくチームの成長が蓄積して行った印象があるんです。それも技術レベルの指導ばかりではなく、チーム戦術として若手からイレブン全体にゆき渡らせて行く。それをくり返すうちに、ゆっくりではあるけれど現場に成果が見え始める。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

豊田:当時私はレッズと並行してJ王座に君臨していたジュビロ磐田を取材していたのですが、森さんの三菱重工時代のチームメイトでもある杉山隆一さん(メキシコ五輪代表、当時ジュビロ磐田スーパーバイザー)が詳細にオフトの功績を話され、一緒にクラブづくりに携わった彼の語録を披露してくれました。「本気で変えたいのなら基礎からつくり直せ」「必要とあれば組織自体もつくり直せ」、そして「日本的なシガラミにはとらわれるな」と……。まあ、当時の磐田なら荒田社長のバックアップは強力だったでしょうし、杉山さんもオフトも若くてパワフルだったのでしょうけど。

森:うんうん。基礎もないチームを一から始めるケースでは問題に突き当たっても「こうやれ」という手法には実績あるし、自信も持っていたんでしょうね、オフトは。

豊田:杉山さんも「俺も三菱出身で愛着あるから」とカミングアウトするほどのレッズウォッチャーでしたから(笑)おそらく森さんとのホットラインもあったと思いますが……。取材後にレッズがGM森、監督オフトの新体制を発表した速報を杉山さんに伝えると、電話の向こうで言葉を弾ませておられました。「組織を整備する相当な改革が起こると思うけど、レッズが変わるつもりがあるならオフトは適任だよ。森に“心から期待している”と伝えてください」と。

森:なるほど(笑)。うん、杉山さんと組んだ仕事でも、彼はしっかり実績を残していたからな。

豊田:来日前のオフトはオランダでユース年代を担当していたわけですが、オランダはあの頃すでにアヤックスやPSVアイントホーヘンの実績でヨーロッパでは知られた育成大国だった。しかし当時の情況で、重要場面で彼の登用に踏みきった杉山さんの視点と荒田さん(忠典 当時ジュビロ磐田代表)の決断力。お二人のコンビネーションについては敬服するしかありません。当時の磐田の強さの源だったと思います。我々としては森さんと塚本さんの浦和レッズに、そういうタッグを期待したのですが……。

森:そうだね。レッズにおいても結果的にはオフトから基礎を授かった若手が、ギド時代にはセンターラインを形成する中心選手になって行ったわけだし。

豊田:残念に思うのは、塚本体制のもとではクラブが掲げる目標とその意義もはっきりサポーターに伝えられていた上に、初タイトル(03年ナビスコ杯制覇)という成果ももたらしていること。スタッフの役割も明確だったし、非常にバランスが取れた運営がなされていたと思うのです。直後の犬飼・ギド政権になってもその素地は生きていて、クラブがファンと一体となってACL制覇まで行き着いた印象がある。もちろんオフトからギドへの政権交代では戦術やプレースタイルの変化は起こりましたが、その現場を支えるクラブ組織には“あるべき陣形”が取れていたと思う。サポーターも含めて体感したはずの、あの時の「土台」はどこへ行ってしまったんだろう。なぜそれが継続できなかったのだろう……そう感じる現状です。

森:ううん、それについてはねぇ(しばし宙を仰いでため息)。三菱自動車という大きな組織においての人事。その煽りを受けたという現実がある。勝つ組織という意味においては、犬飼さんもご存知の通りの行動力で牽引された。でも組織としての骨組みを固めるという面においては、塚本さんにあと2年くらいカチッと(クラブ代表を)やってもらえれば、また(以後のレッズは)変わったのかも知れないね。とにかくレッズの場合は、悩むべきはチームの土台づくりか、クラブの土台づくりか。そこを整理する必要があるのです。

豊田:不安がありますか?

森:最近の動きを見ているとね、悩むべき問題点がチームの土台づくりかクラブの土台づくりなのか、それさえ混乱している面があると思う。私は犬飼さんはクラブ全体の強化に関して功績を残されたと思います。でなければアジア制覇などという成果は望めません。問題はその後あたりだろうなあ。ACLを獲っての翌年、シーズン初めというのになぜオジェックをわずか2試合で降板させたのか。そんなことなら初めから代えておくべきだったと思うんだけどな。あのあたりから分からなくなった。永年にわたってチームを支えてきた選手も次々と移籍してしまうし……。外から見ての印象だけど、こんなあわただしい“揺れ”が起こるということは(GMや監督など)現場を預る人間がどんな権限を与えられて仕事をしているのか、という不安がある。そういうギクシャクした部分を残したままで現在まで来てしまっている雰囲気があります。

■「GMの権限」が確立されない危険性。

豊田:森さんのその不安部分を現状に当てはめてみればレッズが抱える問題点は浮かび上がるかも知れません。

森:うん。現状で言うなら、フォルカー・フィンケという監督をいかに使いこなすか……このテーマがクラブとしての大命題となっているはずだよね。となるとカギはGMということになる。柱谷(幸一)君は有能な人材と思うが、社長や監督とあるべきコミュニケーションがしっかり取れる状態か? 例えば急を要する補強費用も任されている状態か? 心配な面はいろいろ見える。先ほど言った「責任と権限」がしっかり彼に与えられているか、という実態が問題になるわけです。

豊田:ううーん、確かに心配な面があるような。

森:たとえばサッカーに関してはGMがクラブ内でいちばん詳しく現場の決裁もできる立場と取り決めたとする。そうしたら多少の成績の停滞時期が来たとしてもね、その決定権は安易に動かしたりしてはいけないんです。

豊田:そういう責任の所在の曖昧さが混乱を招く……。

森:そういうことです。事あるごとに監督が独断したり、社長が出てきて権限を行使したり、という場面が出てくることは好ましくない。シーズン途中であろうと強化のために補強費が必要になることは起こりうるんだからその際にはGMの裁量で、つまり柱谷君の権限で使える金額が用意されていなければならないはず。なのに、どうも聞こえてくるのは「金がない、金がない」というアナウンスばかり(首を傾げる仕草)。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

豊田:塚本さんと森さんの体制下では、そのようなケースの対応は当然整理されていたのですね?

森:もちろん。最初から言い渡されていた金額があった。GMにはね、そういう自分の裁量のもとで使える金額を用意して責任を持った戦力管理をさせなくては駄目です。「お前にこの金額を預けるからな。勝負どころやもしもの時に、この金額まではお前の考え次第で使って良いからな。だから責任を持って動かせよ」ってね。(腕を組んで再び天を仰ぐ)そういうGMの決定権が、あるべき形で与えられているのか否か。ここが気になるよな。

豊田:おっしゃる通りの現状があります。

森:監督とGMがいくらコミュニケーションを取ったところでね、いま言ったような補強の決裁権が実際にはGMは持っていないなんて情況があったら問題なのです。(語気を強めて)そういうアヤフヤな関係からは何の産物も生まれない。それが悪化すれば、次に懸念されるのは「監督とGMの間にヒビが入る」という事態だよ。特に外国人監督はそういう傾向を察知すれば、権限のないGMのことなんて眼中に無くなってしまう。頭越しに社長の方ばかりを向き始めるんです。こういうケースは(どのクラブでも)往々に見られる失敗例だから。

豊田:お話を聞いていて思い出されるのは、やはり森さんのGM時代に塚本社長が言われた言葉です。「成績が極端に上下する。現場に起きている情況が幹部にまで上がってこない。“良好です”との報告を受けていたのにチームが大きな問題を抱えていたりする。この手のレッズの悪癖はぜひ払拭したい」。いまさらなのですが……こういう根幹に関わる意思疎通ができない組織だとしたら、誰を監督にしようがどんな選手を獲得しようが、強い浦和レッズは実現できないように思えます。

森:サッカーの世界に限らずね、それは会社でもどんな組織でも基本でしょう?トップから現場までのコミュニケーションが取れて、信頼関係もしっかり築けている。(こぶしを握るしぐさを見せながら)そういう組織が強さを発揮し成果を上げるに決まっているよね。加えて重要なのは、その状態を5年、10年と続けるノウハウを養えるか否かということでしょう。それなくして「土台」なんて作れない。プレースタイル云々の議論はその後に来るものだと思う。

豊田:組織全体の信頼関係を維持したままバトンタッチを重ねて行くことは、大変に難しいのでしょうけれどね。現に荒田・杉山体制が終わったあとのジュビロ磐田も、残留争いに巻き込まれるほどの落ち込みを体験しているわけですし。ただ、厳しい質問になってしまうのですが……。例えば今回お話しいただいている森さんと塚本さん、そして犬飼さんの仕事。クラブ史上において重要な転換期となったこういう歴史や前提といったものは、レッズ内部においてしっかり検証され、次代のために共有する作業がなされているのでしょうか?

森:ううーん、残念ながらおっしゃる通りの危惧がある。さらに突っ込んでお答えすれば、浦和レッズは50%強の出資比率を持つ三菱自動車工業株式会社の子会社なのです。つまり社長を決める人事権は三菱自工本社が握っている。そういう現実がある。サッカーの知識も浦和レッズというクラブの経緯も知らない幹部が送り込まれてくる可能性は高い。その社長の個性にもよりますが、トップが代われば組織内の様々な風向きまで変わってしまうことはままあるんです。そういう歴史のくり返しではレッズが成長できなかったことは明白でしょう。誕生から15年以上だからなあ(諦観したような苦笑)。……そろそろ経験を生かせる組織になって欲しい。切にそう思いますよ。

≪続く≫

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